現生人類の出アフリカ直前のアフリカ南部から東部への移動
現生人類(Homo sapiens)の出アフリカ直前のアフリカ南部から東部への移動の可能性を検証した研究(Huypens et al., 2019)が公表されました。現生人類の起源に関しては、現在ではアフリカ単一起源説が通説として認められている、と言えるでしょう。しかし、これは現代人にネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他のホモ属系統の遺伝的影響が皆無であることを意味するわけではありません。一時期は、現生人類と他のホモ属系統との交雑を認めない完全置換説が主流でしたが、現在では、低頻度ながら現代人に他のホモ属系統の遺伝的影響を認める見解が有力です。その意味で、現在の主流的なアフリカ単一起源説とは、現生人類特有の共通する派生的特徴(およびその遺伝的基盤)はアフリカでのみ進化し、他のホモ属系統からもわずかに遺伝的影響を受けた、という内容だと考えるべきでしょう。
現生人類アフリカ単一起源説が有力になると、現生人類の起源地がアフリカのどこなのか、という問題も議論されました。その中でも有力なのが南部と東部です。南部説の根拠は、南部のコイサン集団が遺伝的には現代人の各地域集団の中で最初に分岐した、と推定されていることです。東部説の根拠はおもにホモ属遺骸です。中央部説も提唱されており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性とY染色体DNAハプログループの深い分岐(関連記事)が根拠となっています。また、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。
本論文は、おもに現代人のmtDNAのハプログループの地理的系統学を改めて検証するとともに、ゲノム規模の一塩基多型データも分析し、考古学・古気候学の研究成果も参照しつつ、初期現生人類の進化を解明していきます。現代人のmtDNAのハプログループは、まず19万~15万年前頃にL0系統とその他の系統(L1~L6)が分岐し、150000~135000年前頃にL1系統とL2~6系統が分岐します。L0系統を有する人々アフリカは南部に多く存在し、L0系統の中でも、分岐が最も古いL0d系統とその次に古いL0k系統は、アフリカ南部のコイサン集団において高頻度で見られます(関連記事)。そのため、L0系統がアフリカ南部でまず分岐していった、と推測されます。本論文はこれを、気候条件が厳しかった20万~13万年前頃の海洋酸素同位体ステージ(MIS)6に、アフリカ南部沿岸が現生人類にとって待避所となったことを示唆するのかもしれない、と解釈しています。しかし、L0系統の中には、L0a・L0b・L0f2・L0f3のように、アフリカ東部の集団に見られる亜系統も存在します。これらL0諸系統の推定分岐年代から、L0系統で東部に存在する亜系統は、7万~6万年前頃にアフリカ南部からアフリカ東部へと移動したと推測するのが最も節約的になる、と本論文は指摘します。
本論文はそれを支持する根拠として、考古学の研究成果を挙げています。装飾品の製作といった象徴的行動や、石器の熱処理などの技術的革新は、「現代的行動」と解釈されています。本論文は、こうした「現代的行動」が、アフリカ各地や現生人類に限らずネアンデルタール人にも一部見られることを指摘しつつ、その考古学的指標が7万年前頃まではアフリカ南部において他地域よりも高密度で確認される、と強調します。さらに本論文は、7万年前頃にアフリカ南部と東部でほぼ同時に細石器技術が出現し、この時期には、過去135000年において、サハラ砂漠以南のアフリカ全域が唯一湿潤だった時期だ、と指摘します。アフリカ南部の集団がサハラ砂漠以南のアフリカ全域で拡散の容易な時期に細石器技術を携えて北上し、東部に到達して「現代的行動」を定着させてから間もなく、東部の一部集団がアフリカからユーラシアへと拡散し、非アフリカ系現代人全員の主要な遺伝子源になった、というわけです。アフリカ東部の遺跡では、67000年前頃以降の技術革新が確認されており、本論文の見解と整合的と言えるかもしれません(関連記事)。
本論文の見解に従えば、7万年前頃のアフリカ南部の現生人類集団の革新的な文化が、出アフリカと世界全域への拡散の基盤になった、と解釈できます。ただ本論文は、7万年前頃のアフリカ南部の集団がその他の地域の現生人類集団の主要な遺伝子源だったわけではない、とも指摘しています。上述したように、アフリカ系現代人の遺伝的分岐はもっと古いからです。また本論文は、mtDNAでは7万~6万年前頃のアフリカ南部からアフリカ北部への移住の根拠が示されるものの、ゲノム規模の一塩基多型データではその痕跡が検出できなかった、とも指摘しています。
本論文の見解はたいへん興味深いのですが、やはり現代人の遺伝データ、それもおもにmtDNAに依拠した進化史の復元に限界があることは否定できないでしょう。とはいっても、現生人類の起源と拡散に重要な時期となるMIS6~4のアフリカで発見されたホモ属遺骸は少なく、今後増加するとしてもDNA解析は難しそうですから、やはり現代人の遺伝データにかなり依拠せざるを得ないでしょう。しかし、完新世の現生人類遺骸ならば、サハラ砂漠以南のアフリカでも8000年前頃の人類のDNA解析に成功しているので(関連記事)、バンツー語族拡大前の人類のDNA解析を蓄積していけば、より正確な現生人類拡散の様相を解明できそうです。
また本論文は、7万年前頃が過去135000年においてサハラ砂漠以南のアフリカ全域が唯一湿潤だった時期だ、と指摘しますが、これを直ちに確たる見解と認めるのではなく、今後の研究の進展に注目すべきだろう、とは思います。また本論文は、7万年前頃よりも前には、「現代的行動」の痕跡の密度はアフリカ東部よりもアフリカ南部の方が高い、との認識を前提としていますが、アフリカ南部、とくに南アフリカ共和国はサハラ砂漠以南のアフリカでもとくに考古学的調査・研究の進展している地域なので、今後この差が縮まっていく可能性は低くないように思います。
参考文献:
Rito T et al.(2019): A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa immediately preceded the out-of-Africa migration. Scientific Reports, 9, 4728.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-41176-3
現生人類アフリカ単一起源説が有力になると、現生人類の起源地がアフリカのどこなのか、という問題も議論されました。その中でも有力なのが南部と東部です。南部説の根拠は、南部のコイサン集団が遺伝的には現代人の各地域集団の中で最初に分岐した、と推定されていることです。東部説の根拠はおもにホモ属遺骸です。中央部説も提唱されており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性とY染色体DNAハプログループの深い分岐(関連記事)が根拠となっています。また、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。
本論文は、おもに現代人のmtDNAのハプログループの地理的系統学を改めて検証するとともに、ゲノム規模の一塩基多型データも分析し、考古学・古気候学の研究成果も参照しつつ、初期現生人類の進化を解明していきます。現代人のmtDNAのハプログループは、まず19万~15万年前頃にL0系統とその他の系統(L1~L6)が分岐し、150000~135000年前頃にL1系統とL2~6系統が分岐します。L0系統を有する人々アフリカは南部に多く存在し、L0系統の中でも、分岐が最も古いL0d系統とその次に古いL0k系統は、アフリカ南部のコイサン集団において高頻度で見られます(関連記事)。そのため、L0系統がアフリカ南部でまず分岐していった、と推測されます。本論文はこれを、気候条件が厳しかった20万~13万年前頃の海洋酸素同位体ステージ(MIS)6に、アフリカ南部沿岸が現生人類にとって待避所となったことを示唆するのかもしれない、と解釈しています。しかし、L0系統の中には、L0a・L0b・L0f2・L0f3のように、アフリカ東部の集団に見られる亜系統も存在します。これらL0諸系統の推定分岐年代から、L0系統で東部に存在する亜系統は、7万~6万年前頃にアフリカ南部からアフリカ東部へと移動したと推測するのが最も節約的になる、と本論文は指摘します。
本論文はそれを支持する根拠として、考古学の研究成果を挙げています。装飾品の製作といった象徴的行動や、石器の熱処理などの技術的革新は、「現代的行動」と解釈されています。本論文は、こうした「現代的行動」が、アフリカ各地や現生人類に限らずネアンデルタール人にも一部見られることを指摘しつつ、その考古学的指標が7万年前頃まではアフリカ南部において他地域よりも高密度で確認される、と強調します。さらに本論文は、7万年前頃にアフリカ南部と東部でほぼ同時に細石器技術が出現し、この時期には、過去135000年において、サハラ砂漠以南のアフリカ全域が唯一湿潤だった時期だ、と指摘します。アフリカ南部の集団がサハラ砂漠以南のアフリカ全域で拡散の容易な時期に細石器技術を携えて北上し、東部に到達して「現代的行動」を定着させてから間もなく、東部の一部集団がアフリカからユーラシアへと拡散し、非アフリカ系現代人全員の主要な遺伝子源になった、というわけです。アフリカ東部の遺跡では、67000年前頃以降の技術革新が確認されており、本論文の見解と整合的と言えるかもしれません(関連記事)。
本論文の見解に従えば、7万年前頃のアフリカ南部の現生人類集団の革新的な文化が、出アフリカと世界全域への拡散の基盤になった、と解釈できます。ただ本論文は、7万年前頃のアフリカ南部の集団がその他の地域の現生人類集団の主要な遺伝子源だったわけではない、とも指摘しています。上述したように、アフリカ系現代人の遺伝的分岐はもっと古いからです。また本論文は、mtDNAでは7万~6万年前頃のアフリカ南部からアフリカ北部への移住の根拠が示されるものの、ゲノム規模の一塩基多型データではその痕跡が検出できなかった、とも指摘しています。
本論文の見解はたいへん興味深いのですが、やはり現代人の遺伝データ、それもおもにmtDNAに依拠した進化史の復元に限界があることは否定できないでしょう。とはいっても、現生人類の起源と拡散に重要な時期となるMIS6~4のアフリカで発見されたホモ属遺骸は少なく、今後増加するとしてもDNA解析は難しそうですから、やはり現代人の遺伝データにかなり依拠せざるを得ないでしょう。しかし、完新世の現生人類遺骸ならば、サハラ砂漠以南のアフリカでも8000年前頃の人類のDNA解析に成功しているので(関連記事)、バンツー語族拡大前の人類のDNA解析を蓄積していけば、より正確な現生人類拡散の様相を解明できそうです。
また本論文は、7万年前頃が過去135000年においてサハラ砂漠以南のアフリカ全域が唯一湿潤だった時期だ、と指摘しますが、これを直ちに確たる見解と認めるのではなく、今後の研究の進展に注目すべきだろう、とは思います。また本論文は、7万年前頃よりも前には、「現代的行動」の痕跡の密度はアフリカ東部よりもアフリカ南部の方が高い、との認識を前提としていますが、アフリカ南部、とくに南アフリカ共和国はサハラ砂漠以南のアフリカでもとくに考古学的調査・研究の進展している地域なので、今後この差が縮まっていく可能性は低くないように思います。
参考文献:
Rito T et al.(2019): A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa immediately preceded the out-of-Africa migration. Scientific Reports, 9, 4728.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-41176-3
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