カナリア諸島先住民の起源
カナリア諸島先住民の起源に関する研究(Fregel et al., 2019)が報道されました。カナリア諸島先住民は、考古学・人類学・言語学・遺伝学などで研究されてきており、その起源はアフリカ北部のベルベル人と密接に関連した集団である、との見解が最も有力です(関連記事)。しかし、正確な起源やカナリア諸島への人類の移住過程については、合意が確立しているわけではありません。本論文は、カナリア諸島の主要7島の25ヶ所の遺跡の先住民48人の完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)配列を決定し、他地域の古代人・現代人と比較することで、この問題の解明に取り組みました。
カナリア諸島は大陸と接続したことはない、と推測されています。カナリア諸島への人類最初の移住に関しては、紀元前1000年紀説が以前からありましたが、近年では紀元後との見解が有力なようで、紀元後100~300年頃までさかのぼる可能性が提示されています。本論文でmtDNAが解析された48人の先住民の年代は約1200年にわたっています。これらのハプログループは以前の研究と一致しており、アフリカ北部系(U6)・ユーラシア系(H・J2・T2・X)・サハラ砂漠以南のアフリカ系(L1・L3)が改めて確認され、その多くは地中海系と推測されています。
カナリア諸島の現代の18人のmtDNAも解析され、50%以上がHに属します。この中には、ヨーロッパ起源と推測される系統(H6a1・H3c2・H43)もあります。15世紀のスペイン(カスティーリャ王国)の征服後、ヨーロッパ系が多数植民してきましたし、砂糖のプランテーション栽培や奴隷貿易などにより、カナリア諸島の人類集団の遺伝的構成は大きく変わりました。しかし、先住民系統が途絶えたわけではなく、カナリア諸島の現代人には先住民系のハプログループ(J2a2d・U6b1・X3a)も見られます。カナリア諸島の現代人のmtDNAのハプログループのうち、27.8%は在来系、61.1%はヨーロッパ系と推定されています。
カナリア諸島先住民のmtDNAハプログループには、アフリカ北部中央とカナリア諸島にしか存在しないハプログループ(H1cf・J2a2d・T2c1d3)だけではなく、アフリカ北部西方および中央と、ヨーロッパおよび近東(U6a1a1・U6a7a1・U6b・X3a・U6c1)で見られるハプログループが混在しています。カナリア諸島先住民のmtDNAには広く地中海に分布するハプログループが見られるため、ベルベル人と密接な関係にあるカナリア諸島最初の人々は、カナリア諸島への拡散の時点ですでに混合集団だった、と推測されています。
また、以前の研究では、母系と父系での非対称的な地理的分布が指摘されていましたが、mtDNAを解析した本論文でも、より東方の島々でのみ存在するハプログループ(H1e1a9・H4a1e・L3b1a12・U6c1)が検出されており、母系での地理的分布の偏りが改めて確認されました。こうしたmtDNAハプログループの地理的分布の違いから、カナリア諸島への移住には複数の波があったのではないか、と本論文は推測しています。これらのハプログループの個体群の年代はほぼ10世紀以後で、おおむね13世紀であることも、本論文は補強材料として挙げています。
また、考古学では、11~12世紀にいくつかの島で、海洋資源の利用や技術など生産活動に顕著な変化があり、人口が増加した、と指摘されています。こうした変化は居住構造または埋葬の顕著な変化や新たな家畜種導入などを伴わないことから、内在的発展とみなされてきました。しかし本論文は、まだ研究中ではあるものの、グランカナリア(Gran Canaria)島で8~13世紀の間にいくつかの居住形態に変化が見られることから、新たな移住の結果とも解釈できるだろう、と指摘しています。そうだとすると、新たな移住の波の証拠となるかもしれません。
このように、カナリア諸島とはいっても、移住とその後の歴史を一律に論じることはできません。本論文は、島の面積や資源も含む環境条件により、各島は異なる歴史を経てきた、と指摘します。大規模な人口を維持する能力のある島々では遺伝的多様性が維持された一方で、ラゴメラ(La Gomera)やエルイエロ(El Hierro)のようなより小さな島では、強制的族外婚のような近親婚を避ける習慣が発達しました。小規模集団が外部との接触を断たれると、長期にわたって存続することは難しいのでしょう。
上述したように、カナリア諸島最初の人類集団はアフリカ北部のベルベル人と密接に関連していた、という説が最も広く受け入れられています。しかし、カナリア諸島の葬儀や宗教的観念にはフェニキア人の影響の可能性も指摘されています。ただ、フェニキア人とカナリア諸島先住民との間でmtDNAの一致はまだ確認されておらず、確定的とは言えません。あるいは、今後カナリア諸島先住民の高品質なゲノム配列が得られたら、フェニキア人の遺伝的痕跡が確認されるかもしれません。現在まで残っているmtDNAには痕跡が残らないほどの接触があったかもしれない、というわけです。また、カナリア諸島まで到達したフェニキア人は男性主体だったので、mtDNAには痕跡を残していない、という可能性も想定されます。
参考文献:
Fregel R, Ordóñez AC, Santana-Cabrera J, Cabrera VM, Velasco-Vázquez J, Alberto V, et al. (2019) Mitogenomes illuminate the origin and migration patterns of the indigenous people of the Canary Islands. PLoS ONE 14(3): e0209125.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0209125
カナリア諸島は大陸と接続したことはない、と推測されています。カナリア諸島への人類最初の移住に関しては、紀元前1000年紀説が以前からありましたが、近年では紀元後との見解が有力なようで、紀元後100~300年頃までさかのぼる可能性が提示されています。本論文でmtDNAが解析された48人の先住民の年代は約1200年にわたっています。これらのハプログループは以前の研究と一致しており、アフリカ北部系(U6)・ユーラシア系(H・J2・T2・X)・サハラ砂漠以南のアフリカ系(L1・L3)が改めて確認され、その多くは地中海系と推測されています。
カナリア諸島の現代の18人のmtDNAも解析され、50%以上がHに属します。この中には、ヨーロッパ起源と推測される系統(H6a1・H3c2・H43)もあります。15世紀のスペイン(カスティーリャ王国)の征服後、ヨーロッパ系が多数植民してきましたし、砂糖のプランテーション栽培や奴隷貿易などにより、カナリア諸島の人類集団の遺伝的構成は大きく変わりました。しかし、先住民系統が途絶えたわけではなく、カナリア諸島の現代人には先住民系のハプログループ(J2a2d・U6b1・X3a)も見られます。カナリア諸島の現代人のmtDNAのハプログループのうち、27.8%は在来系、61.1%はヨーロッパ系と推定されています。
カナリア諸島先住民のmtDNAハプログループには、アフリカ北部中央とカナリア諸島にしか存在しないハプログループ(H1cf・J2a2d・T2c1d3)だけではなく、アフリカ北部西方および中央と、ヨーロッパおよび近東(U6a1a1・U6a7a1・U6b・X3a・U6c1)で見られるハプログループが混在しています。カナリア諸島先住民のmtDNAには広く地中海に分布するハプログループが見られるため、ベルベル人と密接な関係にあるカナリア諸島最初の人々は、カナリア諸島への拡散の時点ですでに混合集団だった、と推測されています。
また、以前の研究では、母系と父系での非対称的な地理的分布が指摘されていましたが、mtDNAを解析した本論文でも、より東方の島々でのみ存在するハプログループ(H1e1a9・H4a1e・L3b1a12・U6c1)が検出されており、母系での地理的分布の偏りが改めて確認されました。こうしたmtDNAハプログループの地理的分布の違いから、カナリア諸島への移住には複数の波があったのではないか、と本論文は推測しています。これらのハプログループの個体群の年代はほぼ10世紀以後で、おおむね13世紀であることも、本論文は補強材料として挙げています。
また、考古学では、11~12世紀にいくつかの島で、海洋資源の利用や技術など生産活動に顕著な変化があり、人口が増加した、と指摘されています。こうした変化は居住構造または埋葬の顕著な変化や新たな家畜種導入などを伴わないことから、内在的発展とみなされてきました。しかし本論文は、まだ研究中ではあるものの、グランカナリア(Gran Canaria)島で8~13世紀の間にいくつかの居住形態に変化が見られることから、新たな移住の結果とも解釈できるだろう、と指摘しています。そうだとすると、新たな移住の波の証拠となるかもしれません。
このように、カナリア諸島とはいっても、移住とその後の歴史を一律に論じることはできません。本論文は、島の面積や資源も含む環境条件により、各島は異なる歴史を経てきた、と指摘します。大規模な人口を維持する能力のある島々では遺伝的多様性が維持された一方で、ラゴメラ(La Gomera)やエルイエロ(El Hierro)のようなより小さな島では、強制的族外婚のような近親婚を避ける習慣が発達しました。小規模集団が外部との接触を断たれると、長期にわたって存続することは難しいのでしょう。
上述したように、カナリア諸島最初の人類集団はアフリカ北部のベルベル人と密接に関連していた、という説が最も広く受け入れられています。しかし、カナリア諸島の葬儀や宗教的観念にはフェニキア人の影響の可能性も指摘されています。ただ、フェニキア人とカナリア諸島先住民との間でmtDNAの一致はまだ確認されておらず、確定的とは言えません。あるいは、今後カナリア諸島先住民の高品質なゲノム配列が得られたら、フェニキア人の遺伝的痕跡が確認されるかもしれません。現在まで残っているmtDNAには痕跡が残らないほどの接触があったかもしれない、というわけです。また、カナリア諸島まで到達したフェニキア人は男性主体だったので、mtDNAには痕跡を残していない、という可能性も想定されます。
参考文献:
Fregel R, Ordóñez AC, Santana-Cabrera J, Cabrera VM, Velasco-Vázquez J, Alberto V, et al. (2019) Mitogenomes illuminate the origin and migration patterns of the indigenous people of the Canary Islands. PLoS ONE 14(3): e0209125.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0209125
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