『卑弥呼』第13話「思惑」
『ビッグコミックオリジナル』2019年4月5日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハがミマト将軍に、ヤノハが四番目の提案を言おうとするところで終了しました。今回は、ミマト将軍から四番目の提案を促されたヤノハが、ミマト将軍とイクメに山社(ヤマト)とは何なのか、尋ねる場面から始まります。山社とは聖地で、各時代に顕れた日見子(ヒミコ)と日見彦(ヒミヒコ)が神々と対話する場所だ、と答えます。倭国最初の山社がどこにあったのか、ヤノハに尋ねられたミマト将軍は、困った様子で娘のイクメを見ます。詳しくは覚えていないので、娘に助けを求めた、ということでしょうか。イクメによると、最初の山社は筑紫島(ツクシノシマ)の真ん中の千穂(チホ)にあったと言われているそうです。千穂は高い山で、その上に神々のいる高天原があり、天照大御神はそこから千穂に降りて最初の山社に籠った、とイクメはヤノハに説明します。
ミマト将軍によると、名を馳せた日見彦は天照大神から数えて6代目で、その時の山社は日向(ヒムカ)にあったそうです。6代目の日見彦はサヌという王で、政治を担当したのはイツセという兄でした。その後、8代目の日見子・日見彦が顕れ、それぞれ神託を受けた地に山社を建てました。那(ナ)の国や伊都(イト)の国が大陸(後漢)から金印を授かったのはこの時代でした。しかし、その間筑紫島どころか倭国中の戦乱は続いたままで、平和だった時代は百年前の日見子の治世のみでした。その日見子が山社として選んだのが現在の地で、暈(クマ)の国のタケル王もこの地を山社としました。
ヤノハがこのようにミマト将軍とイクメから説明を受けているところへ、山社で最高位の祈祷女(イノリメ)であるイスズがミマト将軍との面会のため、楼観の真下に来ている、とミマト将軍の配下が報告します。ミマト将軍は、タケル王と鞠智彦(ククチヒコ)、さらには暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)のヒルメのヤノハに関する指示がそれぞれ異なっており、イスズはヒルメと同じくヤノハを捕らえるよう要求するだろうということで、悩みます。イクメはヤノハに、まだイスズと会わない方がよいだろう、と進言します。しかし、出入口は梯子しかないため、ヤノハにも妙案は浮かびません。するとミマト将軍は、天井裏に隠れるよう、勧めます。
その頃、トンカラリンの洞窟近くでは、アカメが今後どうすべきか、悩んでいました。那の国に行こうと考えたアカメですが、お頭は自分が生きていると分かったら絶対許さないだろう、と考え直します。豊秋津島(トヨアキツシマ)の金砂(カナスナ)の国なら自分を高く買ってくれそうだ、と思案するアカメは、ヤノハがどうなったのか、ふと気になります。ヤノハは種智院に無事帰っても確実にタケル王に殺されるものの、おめおめ命を投げ出すとは思えない、とアカメは考えつつ道を歩いて行きます。すると足跡から、2人が山社に向かったのだ、とアカメは気づき、ヤノハは万にひとつだが生き残れるかもしれない、と考え直します。
その頃、暈と那の国境では、戦柱(イクサバシラ)に選ばれたヌカデがオシクマ将軍に謁見していました。ヌカデの顔を見たオシクマ将軍は、さすが種智院一の見習い戦女(イクサメ)だ、よい面構えをしている、それに期待以上の美形だ、と言います。目の前の川(筑後川でしょうか)を泳いで渡れるか、とオシクマ将軍に問われたヌカデは、容易いと答えます。対岸には那の国の本陣があり、総大将はトメ将軍だ、とオシクマ将軍はヌカデに伝えます。トメ将軍は船と航海を好み、将軍よりも島子(航路などを司る、那の国の長官)の地位に就きたかったようだが、平民の出身では難しい、とオシクマ将軍はヌカデに説明します。トメ将軍が次に好きなのは女性なので、近くの村人になりすましてトメ将軍に近づけ、とオシクマ将軍はヌカデに命じます。側女に扮してトメ将軍を殺すのか、と尋ねるヌカデにたいして、トメ将軍に和議の思惑があれば殺すな、なければ殺せ、とオシクマ将軍は答えます。
命令を伝えたオシクマ将軍は、ヌカデにトンカラリンの儀式を生き延びた娘がいることを伝えます。オシクマ将軍の主君であるタケル王も鞠智彦も日見子出現を認めるはずはないが、種智院も同意見なのは奇妙だ、とオシクマ将軍は愉快そうにヌカデに話します。ヌカデにその理由を問われたオシクマ将軍は、生還した娘がヒルメに最も忌み嫌われている女性だからという噂がある、と答えます。その娘が死んだのか、ヌカデに問われたオシクマ将軍は、かなりの切れ者のようで、追手から逃れたようだ、と答えます。ヌカデは平伏したまま、ヤノハなら生き延びる、と笑いを抑えながら呟きます。ヌカデもヤノハも死地にあることから、ヤノハにある種の共感を抱いているということもあるでしょうし、自分が戦柱という危険な任務を負わされることになったのはヤノハが原因なので、憎悪も込められているのでしょう。ヌカデはヤノハに、感嘆と憎悪の入り混じった感情を抱いているのでしょうか。
山社では、ヤノハが楼観の天井裏に隠れた後、イスズがミマト将軍とイクメの親子を楼観に訪ねていました。ヒルメは日見子の偽者であるヤノハを即刻捕らえるよう伝えているのに、その命令をなぜ無視するのか、とイスズに問われたミマト将軍は、ことは単純ではない、と答えて、タケル王・鞠智彦・ヒルメの命令がそれぞれ異なる、と説明します。タケル王は、ヤノハの両手両足を大槌で砕いて荒野に晒せと命じ、鞠智彦はヤノハを拘束して鞠智の里まで連れてくるよう命じ、ヒルメはヤノハをとらえるよう命じている、というわけです。誰の命令に従えばよいのだ、とミマト将軍に問われたイスズは、ミマト将軍は山社の守り人なのだから、祈祷女であるヒルメの命令を優先すべきだ、と答えます。するとイクメが、ヒルメはあくまでも種智院の長であり、山社の長はイスズだ、と強い調子で訴えます。イクメの様子に一瞬気圧されたイスズですが、ヒルメと同様に、ヤノハを即座に捕らえるよう命じようとします。するとイクメはイスズに、ヒルメの言いなりになるのか、と挑発するように問いかけます。イスズは誰もが認める霊感の持ち主なのだから、自ら神事を行ない、ヤノハが本物の日見子なのか偽物なのか、伺いを立てるべきだ、とイクメは訴えます。するとイスズは、覚悟を決めた様子で今日中に籠る、と宣言します。
この様子を、ヤノハは天井裏から覗いていました。イスズは興奮しやすいという点では利用価値がある、とヤノハは呟きます。そこへアカメが現れ、山社に逃げるとはさすがだ、とヤノハに話しかけます。ヤノハは驚いた様子を見せず、よくここに忍び込めたな、と言いますが、志能備(シノビ)には容易いことだ、とアカメは応じます。助けてやったのに、私の命を奪いに来たのか、とヤノハはアカメに問います。ヤノハはトンカラリンの洞窟でアカメを殺すつもりはなく、最初から気絶させるだけのつもりだったのでしょう。アカメは、行く場所がなくなったので自分をヤノハの影にしてもらいたい、と頼みます。つまり、誰にも知られず、ヤノハの指示通り動く存在というわけです。志能備のアカメには適任と言えるでしょう。ヤノハがアカメに、暈と那の境にいるヌカデという戦女に自分の言葉を伝えてほしい、と伝えるところで今回は終了です。
今回も、情報量が多いというか密度が濃く、本作の世界観が明かされていったこともあり、たいへん楽しめました。山社については、前回で移動することもあり得ると予想していましたが、やはりそうだと明かされました。最初の山社は筑紫島(九州)の真ん中の千穂にあったとのことで、つまりは天孫降臨神話の舞台である高千穂のことなのでしょう。その上に神々のいる高天原があり、天照大御神が千穂に降りた、とのことです。本作の設定では、天孫降臨の「実行者」が天照大御神となっているようです。作中世界では、天照大御神はこの時点で少なくとも九州においては広く信仰されているようです。そうした信仰がいかなる契機で広まったのか、そもそも天照大御神はどのような人物だったのか、高天原がどこに設定されているのか、あるいはこの時点ですでに多分に神話化されており、作中世界の史実とはかなり異なって語られているのかなど、明かされていない設定は多くあります。今後、そうした謎が少しずつ明かされていくのではないか、と期待しています。
まだ明かされていない設定についてあまり多くを語り想像しても仕方ないので、今回語られた情報を見ていくと、天照大御神から数えて6代目の日見彦は名を馳せ、その時の山社は日向にあった、との設定は大いに注目されます。その王の名はサヌで、政治を担当したのは兄のイツセとのことです。暈の国で言えば、サヌがタケル王でイツセが鞠智彦なのでしょう。『隋書』に見える、倭王は天を兄、日を弟とし、夜明け前に兄が胡坐をかいて政務をとり、日の出後は弟に任せる、という記述を参考にした設定で、それが弥生時代からあった、ということなのでしょう。
サヌは、明らかに『日本書紀』で語られる神武天皇(天皇という称号は7世紀以降に使用されるようになったのでしょうが)だと思います。天照大御神から数えて6代目で、イツセという兄がいるという『日本書紀』の系譜との合致もありますし、神武の幼名は狭野尊(巻2神代下)ですから、これは間違いないでしょう。日向の王族が船に乗り東征し、東の果ての日下という小さな国を得たが(第8話)、この東征には重大な秘密があるようだ(前回)、と作中では語られており、この日向の王族がサヌ、つまりは『日本書紀』の神武だと思われます。イクメによると、8代目の日見彦と日見子は後漢から金印を授かったとされていますから、57年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)と107年のことなのでしょう。そうすると、8代目の日見彦と6代目の日見彦との間がどれくらい空いているのか分かりませんが、神武は紀元前1世紀、天照大御神は紀元前3世紀頃の人物でしょうか。
また、後漢から金印を授かった日見子と日見彦は那国と伊都国の人物とされていますから、日見子と日見彦は血縁関係で継承されるわけではなさそうです。そうすると、サヌというか神武は天照大御神から6代目とされていますが、これはあくまでも日見子・日見彦としてであって、天照大御神の子孫とは限らないのでしょう。『日本書紀』編纂の時代までに、こうした初期の王たちが一系にまとめられた、という設定のように思われます。この間倭国はおおむね戦乱状態で、平和だったのは100年前の日見子の時代のみだった、との情報も注目されます。タケル王のように、広く権威を認められず、日見彦と自称していただけの王も多かった、ということでしょうか。
アカメがヤノハの配下になるのは、もはや鞠智彦の配下には戻れないことからも、予想通りでした。アカメはあっさり退場したかと思いましたが、意外と長く登場するかもしれません。ヤノハにとって、暈に来た当初より縁の深いヌカデも、今後重要な役割を果たしそうです。ヤノハがヌカデに何をやらせようとしているのか、注目されます。ヌカデはヤノハがモモソを殺したさいに嘘を言って庇っており、ヤノハの決定的な弱みを握っています。そのため、ヤノハとヌカデとの関係は緊張したものになりそうで、いつかヤノハがヌカデを殺すことになりそうです。といいますか、ヤノハがヌカデに何を伝えようとしているのかも不明なわけで、ヌカデも配下にするという可能性が高そうですが、ヌカデが戦柱として確実に死ぬような謀略を仕掛けようとしているのかもしれません。
イスズは今回が初登場となり、小物感が拭えませんが、モブ顔ではなさそうなので、今後重要な役割を果たすかもしれません。まあ、モブ顔だと思ったイクメが予想以上に活躍していますし、典型的なヒロイン顔だと思ったモモソがあっさりと殺害されて退場していますから(今後もヤノハの夢にたびたび出てくるのでしょうが)、顔で今後の活躍を判断するのは危険ですが。当分は、ヤノハがどのように日見子(卑弥呼)と認められていき、それを阻止しようとするタケル王・鞠智彦・ヒルメがヤノハに対処するのか、という話が中心になりそうですが、東征したサヌ(神武)の子孫や、さらには朝鮮半島と魏・呉との関係も描かれそうなので、ぜひ長期連載で壮大な物語が展開してもらいたいものです。
ミマト将軍によると、名を馳せた日見彦は天照大神から数えて6代目で、その時の山社は日向(ヒムカ)にあったそうです。6代目の日見彦はサヌという王で、政治を担当したのはイツセという兄でした。その後、8代目の日見子・日見彦が顕れ、それぞれ神託を受けた地に山社を建てました。那(ナ)の国や伊都(イト)の国が大陸(後漢)から金印を授かったのはこの時代でした。しかし、その間筑紫島どころか倭国中の戦乱は続いたままで、平和だった時代は百年前の日見子の治世のみでした。その日見子が山社として選んだのが現在の地で、暈(クマ)の国のタケル王もこの地を山社としました。
ヤノハがこのようにミマト将軍とイクメから説明を受けているところへ、山社で最高位の祈祷女(イノリメ)であるイスズがミマト将軍との面会のため、楼観の真下に来ている、とミマト将軍の配下が報告します。ミマト将軍は、タケル王と鞠智彦(ククチヒコ)、さらには暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)のヒルメのヤノハに関する指示がそれぞれ異なっており、イスズはヒルメと同じくヤノハを捕らえるよう要求するだろうということで、悩みます。イクメはヤノハに、まだイスズと会わない方がよいだろう、と進言します。しかし、出入口は梯子しかないため、ヤノハにも妙案は浮かびません。するとミマト将軍は、天井裏に隠れるよう、勧めます。
その頃、トンカラリンの洞窟近くでは、アカメが今後どうすべきか、悩んでいました。那の国に行こうと考えたアカメですが、お頭は自分が生きていると分かったら絶対許さないだろう、と考え直します。豊秋津島(トヨアキツシマ)の金砂(カナスナ)の国なら自分を高く買ってくれそうだ、と思案するアカメは、ヤノハがどうなったのか、ふと気になります。ヤノハは種智院に無事帰っても確実にタケル王に殺されるものの、おめおめ命を投げ出すとは思えない、とアカメは考えつつ道を歩いて行きます。すると足跡から、2人が山社に向かったのだ、とアカメは気づき、ヤノハは万にひとつだが生き残れるかもしれない、と考え直します。
その頃、暈と那の国境では、戦柱(イクサバシラ)に選ばれたヌカデがオシクマ将軍に謁見していました。ヌカデの顔を見たオシクマ将軍は、さすが種智院一の見習い戦女(イクサメ)だ、よい面構えをしている、それに期待以上の美形だ、と言います。目の前の川(筑後川でしょうか)を泳いで渡れるか、とオシクマ将軍に問われたヌカデは、容易いと答えます。対岸には那の国の本陣があり、総大将はトメ将軍だ、とオシクマ将軍はヌカデに伝えます。トメ将軍は船と航海を好み、将軍よりも島子(航路などを司る、那の国の長官)の地位に就きたかったようだが、平民の出身では難しい、とオシクマ将軍はヌカデに説明します。トメ将軍が次に好きなのは女性なので、近くの村人になりすましてトメ将軍に近づけ、とオシクマ将軍はヌカデに命じます。側女に扮してトメ将軍を殺すのか、と尋ねるヌカデにたいして、トメ将軍に和議の思惑があれば殺すな、なければ殺せ、とオシクマ将軍は答えます。
命令を伝えたオシクマ将軍は、ヌカデにトンカラリンの儀式を生き延びた娘がいることを伝えます。オシクマ将軍の主君であるタケル王も鞠智彦も日見子出現を認めるはずはないが、種智院も同意見なのは奇妙だ、とオシクマ将軍は愉快そうにヌカデに話します。ヌカデにその理由を問われたオシクマ将軍は、生還した娘がヒルメに最も忌み嫌われている女性だからという噂がある、と答えます。その娘が死んだのか、ヌカデに問われたオシクマ将軍は、かなりの切れ者のようで、追手から逃れたようだ、と答えます。ヌカデは平伏したまま、ヤノハなら生き延びる、と笑いを抑えながら呟きます。ヌカデもヤノハも死地にあることから、ヤノハにある種の共感を抱いているということもあるでしょうし、自分が戦柱という危険な任務を負わされることになったのはヤノハが原因なので、憎悪も込められているのでしょう。ヌカデはヤノハに、感嘆と憎悪の入り混じった感情を抱いているのでしょうか。
山社では、ヤノハが楼観の天井裏に隠れた後、イスズがミマト将軍とイクメの親子を楼観に訪ねていました。ヒルメは日見子の偽者であるヤノハを即刻捕らえるよう伝えているのに、その命令をなぜ無視するのか、とイスズに問われたミマト将軍は、ことは単純ではない、と答えて、タケル王・鞠智彦・ヒルメの命令がそれぞれ異なる、と説明します。タケル王は、ヤノハの両手両足を大槌で砕いて荒野に晒せと命じ、鞠智彦はヤノハを拘束して鞠智の里まで連れてくるよう命じ、ヒルメはヤノハをとらえるよう命じている、というわけです。誰の命令に従えばよいのだ、とミマト将軍に問われたイスズは、ミマト将軍は山社の守り人なのだから、祈祷女であるヒルメの命令を優先すべきだ、と答えます。するとイクメが、ヒルメはあくまでも種智院の長であり、山社の長はイスズだ、と強い調子で訴えます。イクメの様子に一瞬気圧されたイスズですが、ヒルメと同様に、ヤノハを即座に捕らえるよう命じようとします。するとイクメはイスズに、ヒルメの言いなりになるのか、と挑発するように問いかけます。イスズは誰もが認める霊感の持ち主なのだから、自ら神事を行ない、ヤノハが本物の日見子なのか偽物なのか、伺いを立てるべきだ、とイクメは訴えます。するとイスズは、覚悟を決めた様子で今日中に籠る、と宣言します。
この様子を、ヤノハは天井裏から覗いていました。イスズは興奮しやすいという点では利用価値がある、とヤノハは呟きます。そこへアカメが現れ、山社に逃げるとはさすがだ、とヤノハに話しかけます。ヤノハは驚いた様子を見せず、よくここに忍び込めたな、と言いますが、志能備(シノビ)には容易いことだ、とアカメは応じます。助けてやったのに、私の命を奪いに来たのか、とヤノハはアカメに問います。ヤノハはトンカラリンの洞窟でアカメを殺すつもりはなく、最初から気絶させるだけのつもりだったのでしょう。アカメは、行く場所がなくなったので自分をヤノハの影にしてもらいたい、と頼みます。つまり、誰にも知られず、ヤノハの指示通り動く存在というわけです。志能備のアカメには適任と言えるでしょう。ヤノハがアカメに、暈と那の境にいるヌカデという戦女に自分の言葉を伝えてほしい、と伝えるところで今回は終了です。
今回も、情報量が多いというか密度が濃く、本作の世界観が明かされていったこともあり、たいへん楽しめました。山社については、前回で移動することもあり得ると予想していましたが、やはりそうだと明かされました。最初の山社は筑紫島(九州)の真ん中の千穂にあったとのことで、つまりは天孫降臨神話の舞台である高千穂のことなのでしょう。その上に神々のいる高天原があり、天照大御神が千穂に降りた、とのことです。本作の設定では、天孫降臨の「実行者」が天照大御神となっているようです。作中世界では、天照大御神はこの時点で少なくとも九州においては広く信仰されているようです。そうした信仰がいかなる契機で広まったのか、そもそも天照大御神はどのような人物だったのか、高天原がどこに設定されているのか、あるいはこの時点ですでに多分に神話化されており、作中世界の史実とはかなり異なって語られているのかなど、明かされていない設定は多くあります。今後、そうした謎が少しずつ明かされていくのではないか、と期待しています。
まだ明かされていない設定についてあまり多くを語り想像しても仕方ないので、今回語られた情報を見ていくと、天照大御神から数えて6代目の日見彦は名を馳せ、その時の山社は日向にあった、との設定は大いに注目されます。その王の名はサヌで、政治を担当したのは兄のイツセとのことです。暈の国で言えば、サヌがタケル王でイツセが鞠智彦なのでしょう。『隋書』に見える、倭王は天を兄、日を弟とし、夜明け前に兄が胡坐をかいて政務をとり、日の出後は弟に任せる、という記述を参考にした設定で、それが弥生時代からあった、ということなのでしょう。
サヌは、明らかに『日本書紀』で語られる神武天皇(天皇という称号は7世紀以降に使用されるようになったのでしょうが)だと思います。天照大御神から数えて6代目で、イツセという兄がいるという『日本書紀』の系譜との合致もありますし、神武の幼名は狭野尊(巻2神代下)ですから、これは間違いないでしょう。日向の王族が船に乗り東征し、東の果ての日下という小さな国を得たが(第8話)、この東征には重大な秘密があるようだ(前回)、と作中では語られており、この日向の王族がサヌ、つまりは『日本書紀』の神武だと思われます。イクメによると、8代目の日見彦と日見子は後漢から金印を授かったとされていますから、57年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)と107年のことなのでしょう。そうすると、8代目の日見彦と6代目の日見彦との間がどれくらい空いているのか分かりませんが、神武は紀元前1世紀、天照大御神は紀元前3世紀頃の人物でしょうか。
また、後漢から金印を授かった日見子と日見彦は那国と伊都国の人物とされていますから、日見子と日見彦は血縁関係で継承されるわけではなさそうです。そうすると、サヌというか神武は天照大御神から6代目とされていますが、これはあくまでも日見子・日見彦としてであって、天照大御神の子孫とは限らないのでしょう。『日本書紀』編纂の時代までに、こうした初期の王たちが一系にまとめられた、という設定のように思われます。この間倭国はおおむね戦乱状態で、平和だったのは100年前の日見子の時代のみだった、との情報も注目されます。タケル王のように、広く権威を認められず、日見彦と自称していただけの王も多かった、ということでしょうか。
アカメがヤノハの配下になるのは、もはや鞠智彦の配下には戻れないことからも、予想通りでした。アカメはあっさり退場したかと思いましたが、意外と長く登場するかもしれません。ヤノハにとって、暈に来た当初より縁の深いヌカデも、今後重要な役割を果たしそうです。ヤノハがヌカデに何をやらせようとしているのか、注目されます。ヌカデはヤノハがモモソを殺したさいに嘘を言って庇っており、ヤノハの決定的な弱みを握っています。そのため、ヤノハとヌカデとの関係は緊張したものになりそうで、いつかヤノハがヌカデを殺すことになりそうです。といいますか、ヤノハがヌカデに何を伝えようとしているのかも不明なわけで、ヌカデも配下にするという可能性が高そうですが、ヌカデが戦柱として確実に死ぬような謀略を仕掛けようとしているのかもしれません。
イスズは今回が初登場となり、小物感が拭えませんが、モブ顔ではなさそうなので、今後重要な役割を果たすかもしれません。まあ、モブ顔だと思ったイクメが予想以上に活躍していますし、典型的なヒロイン顔だと思ったモモソがあっさりと殺害されて退場していますから(今後もヤノハの夢にたびたび出てくるのでしょうが)、顔で今後の活躍を判断するのは危険ですが。当分は、ヤノハがどのように日見子(卑弥呼)と認められていき、それを阻止しようとするタケル王・鞠智彦・ヒルメがヤノハに対処するのか、という話が中心になりそうですが、東征したサヌ(神武)の子孫や、さらには朝鮮半島と魏・呉との関係も描かれそうなので、ぜひ長期連載で壮大な物語が展開してもらいたいものです。
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