私ほど東大や朝日などの権威主義に反発してきた人間はいないと言う自負があります

 井沢元彦氏が亀田俊和氏の

私は、あなたが呉座さんへの批判に梅原猛氏のお名前を出したことを完全な蛇足であると考えました。そして、それはあなたの権威主義が原因であると解釈しています。

との指摘を受けて(この経緯についてはまとめ記事があります)、以下のように発言しています。

私ほど東大や朝日などの権威主義に反発してきた人間はいないと言う自負があります。どなたか信頼できる恩師なり先輩なりに聞いてもらえばわかります。経歴を調べていただいても結構。梅原さんの件についてはご説明したつもりですが、あえて分かろうとしないあなたの姿勢には失望を覚えました。

 率直に言って、これでは亀田氏への反論にはまったくなっていません。ある権威を批判した経験が、別の権威に依存する権威主義者ではないことを証明するわけではないからです。これが井沢氏の本気の反論なのか、論点ずらしの技術なのか、私には分かりませんが。それにしても、井沢氏が呉座勇一氏だけではなく亀田氏にも絡んでいったことにより、歴史愛好者の間での井沢氏の評価が垣間見えてきたのは興味深いことです。たとえば、

そうですよね、自分への批判に対して死者を盾に使う人は権威主義者じゃなくて単なる卑劣主義者ですもんね。
別の言い方をすれば外道ともいいますが。


との発言や、

正直言うと『逆説の日本史』は興味もないし読んだこともなく読む予定もない。今回「『日本国紀』からの流れ弾が被弾(ぷw)」くらいにしか思ってなかったけど、これがまあまあ反響あるあたり、井沢元彦って日本史クラスタから相当嫌われてるんだな、ということはよくわかりました!わかったわかった…

との発言です。私のように歴史学を専攻したことのない歴史愛好者の間でも、井沢氏への不満・批判・嫌悪感はかなり蓄積されており、井沢氏が呉座氏や亀田氏に絡んでいったことにより、それが可視化されたのではないか、と思います。井沢氏が週刊誌や著書で愛読者相手に吹きまくっている分には、視界に入りにくいこともあってわざわざ取り上げる気にはならなくても、双方向のやり取りが基本設定に組み込まれていて利用者の多いTwitterのような場だと、これまでの苛立ちをつい気軽に呟いてしまう、ということなのかもしれません。

 なぜ井沢氏が歴史愛好者に嫌われているのかというと、まとめ記事のコメント欄にある、

井沢元彦氏の最大の欠点は「通説への異議申立を気取ってるが、氏の主張より、最新の『通説』の方が発想も柔軟で遥かに面白い」と云う点だと思う

との指摘が根本的要因としてあるのだと思います。もちろん、それだけでは井沢氏への不満・批判・嫌悪感が蓄積されないわけで、井沢氏の歴史学への傲慢で的外れな攻撃も要因なのでしょう。井沢氏は、自分を嫌っているのは「専門馬鹿」で「頭の固い」歴史学者(やかつて歴史学を専攻した人々)や、時代錯誤の「左翼思想」に囚われている一部の歴史愛好者のみだ、と考えているのかもしれません。そのため、一般向けの歴史書で多くの読者を得た呉座氏と亀田氏に絡んでいけば新規の読者を獲得できる、と井沢氏は目論んだのかもしれません。まあ、これは私の邪推でもあるので、証明できるわけではありませんが。しかし、上述した理由で歴史愛好者の間で広範に井沢氏への不満・批判・嫌悪感が蓄積されていたことから、呉座氏と亀田氏に絡んでいった井沢氏の行動は、少なからぬ歴史愛好者に井沢氏の見解がどのようなものなのか結果的に周知させてしまうという意味で、逆効果になってしまう可能性が高いように思います。

 かつて、確か『朝まで生テレビ』だったと記憶していますが、井沢氏は小田実氏に絡んでいき、今はネットであなたの昔の間違った言説を簡単に知ることができるのだ、というようなことを得意気に言い放っていました。小田氏の言説の問題点を批判することは重要でしょうし、それは対象が朝日新聞などでも同様です。井沢氏は「進歩的」な言説の「欺瞞」を批判してきたことに強い自負を抱いているようですが、仮に「進歩派」にたいする井沢氏の批判が一定以上妥当だとしても、それが歴史学にたいする井沢氏の「批判」の妥当性を証明するわけではありません。と言いますか、井沢氏の歴史学への批判の少なくとも一部は藁人形論法そのもので、誹謗中傷でしかない、と私は考えていますが、昨日(2019年3月13日)述べたので(関連記事)ここでは繰り返しません。

 井沢氏は作家としては公式のインターネットサイトの開設時期が早かったと記憶していますし、小田実氏のような言説がネットで広く周知されるのはよいことだと思います。その意味で、テレビでの小田氏への井沢氏の啖呵は、ある意味で痛快なものとも言えるでしょう。しかし、そのインターネットで井沢氏の評価が下がっていくのは皮肉なもので、自業自得でしかありませんから、私はまったく同情できません。井沢氏のような売れっ子作家への批判は、かつてはマスメディア内部にいなければなかなか難しかったでしょうが、今ではインターネットの普及により一般人でも気軽にできます。その意味で、井沢氏が呉座氏と亀田氏に絡んでいったことを契機に、井沢氏への一般層の不満・批判・嫌悪感が以前よりも可視化されていっているように見えることは、たいへん痛快でもあります。

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  • 天武の年齢が不明な件についての補足

    Excerpt: もう8年半近く前(2010年9月30日)になりますが(関連記事)、天武天皇の年齢が不明であることについて、井沢元彦『逆説の日本史』文庫版2巻(小学館、1998年)を引用しました。以下、『逆説の日本史』.. Weblog: 雑記帳 racked: 2019-03-17 18:56