日本では王朝交替はなかった

 当ブログで何度か述べてきましたが、日本では王朝交替はなかった、と私は考えています。この見解の前提となるのは、5世紀の時点では王族が一系化されておらず、複数の血縁集団から構成されていたのではないか、との認識です(関連記事)。日本における世襲王権の成立は6世紀以降で、欽明「天皇」が画期になっている、と私は考えています。欽明以降、四条→後嵯峨や後桃園→光格のように、父系ではかなり離れた関係の皇位継承がありましたが、南宋における高宗→孝宗のように、同様に父系ではかなり離れた関係の皇位継承でも王朝交替とはされていないので、漢字文化圏的な観念では日本において王朝交替はなかった、というわけです。

 欽明の父である継体は、前の大王とは直接の血縁関係になかったものの、王を輩出し得る一族の一員で、5世紀後半~6世紀初頭の大王の血縁者との婚姻により大王としての正当性を獲得したのではないか、と考えています。また、継体即位の前提として、継体が近江から越前にかけて勢力を有する王族の一員だったことがあるのでしょう。もちろん、こうした私見を裏づける確たる証拠を提示できるわけではなく、多分に推測・想像であることは否定できません。欽明以降には漢字文化圏的な観念では「王朝交替」はなかったのですから、「万世一系の天皇」との言説は修辞として大問題ではない、と私は考えています。なお、遠山美都男『天皇誕生』(中央公論新社、2001年)は、『日本書紀』は万世一系を証明しようとした歴史書とは一概に言えず、王朝交替説は日本でも中国と同様に王朝交替的な歴史があったとする『日本書紀』の構想を誤認したものだ、と指摘します。

 日本の王朝交替説では、騎馬民族征服王朝説の知名度が最も高いでしょう。民主党幹事長として実質的な最高権力者とも言えた小沢一郎氏が、2009年12月12日に韓国で「韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立した」と語ったくらいで、この件は当ブログでも取り上げました(関連記事)。騎馬民族征服王朝説は、近年まで一般的には、有力な学説もしくはまともな学説の一方くらいに考えられていたように思いますが、騎馬民族なる概念と騎馬民族が日本列島を征服したことの指標とが曖昧であり、検証に耐えるような説とは言い難く、学界で主流的見解になったことは一度もなかった、と思います。

 なお、小沢一郎氏は過去に、「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」とか(関連記事)、「米国人は好きだが、どうも単細胞なところがあってだめだ」とか(関連記事)発言しており、その見識は大いに疑問で、首相に就任しなくて本当によかった、と私は考えています。まあ、20世紀末以降の現実の首相全員が小沢一郎氏よりましなのかというかと、とてもそうとは言えないでしょうが。私は小沢一郎氏を自民党在籍時からずっと心底嫌い続けてきたので、今後も折に触れてこうした小沢氏の発言を蒸し返していくつもりです。

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