『卑弥呼』第11話「聖地」
『ビッグコミックオリジナル』2019年3月5日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが祈祷女(イノリメ)見習いたちへの講義を担当しているイクメに、倭国の歴史や地理・海の彼方の大陸のことなどを教えてほしい、と頼むところで終了しました。今回は、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)で、祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメが、ヤノハが行方不明になり、巫女たちは鞠智彦(ククチヒコ)の手勢の詮議からは逃れた、と報告を受ける場面から始まります。怒り動揺するヒルメに、祈祷部の副長であるウサメは、よかったではありませんか、これも、どんな手段を用いても日見子(ヒミコ)さまを守れとの天照大神の霊験だ、と言います。祈祷女見習いたちへの講義を担当しているイクメの行方をヒルメに問われた使者は、そもそもイクメが輿に祭祀道具を入れて運ぶよう指示した、我々が発った時、イクメは日見子とともにまだトンカラリンの近くにいた、と答えます。ヒルメはイクメが裏切ったことに衝撃を受けたようです。
鞠智(ククチ)の里では、日見子たるヤノハが乗っているはずの輿に誰もいなかった、と報告を受けた鞠智彦(ククチヒコ)が、ヤノハは自分が思っていたよりも頭がよい、と感心していました。問題は、この策を立てたのがヒルメと日見子たるヤノハのどちらなのかだ、と鞠智彦は言いますが、ウガヤはその意味を理解できません。鞠智彦はウガヤに、ヤノハが賢いのか、それともヒルメの傀儡なのかが問題なのだ、とウガヤに説明し、ヤノハと会ってみたい、と言います。
暈の国の「首都」である鹿屋(カノヤ)では、トンカラリンから巫女(見習い)が生還し、種智院では百年ぶりに日見子が顕れたと騒ぎになっている、と報告を受けたタケル王が、激昂し動揺していました。現人神で日見彦(ヒミヒコ)の自分がいるのに日見子を騙るのは天に唾する大罪だ、とタケル王は苛立ちます。法に則りヤノハの手足を砕き、荒野に晒しましょう、と進言する臣下に対して、それだけでは足りない、四肢を砕き、鼻と耳を削げ、ただし自分の醜悪な姿を見させるために目は潰すな、とタケル王は冷酷な表情で命じます。
その頃、ヤノハとイクメは崖を登っていました。少し休もうとヤノハに言われたイクメは、追手を警戒して先を急ごうとします。しかしヤノハは、誰も我々の行く先に気づいていないようだ、と言って休憩を取ります。ヒルメはヤノハとイクメを追わせていましたが、まだ行方を掴めていませんでした。ヤノハの小賢しさは予測していたが、まさかイクメまで裏切るとは、と呟くヒルメに対して、ヤノハは偽りなくトンカラリンより生還したと聞きましたが、と種智院の戦部(イクサベ)の師長であるククリが言います。するとヒルメは、ヤノハの底知れぬ邪悪さを感じなかったのか、とククリに尋ねます。返答に詰まるククリに対してヒルメは、ヤノハがモモソを殺したと思っているのでヤノハを許せない、と言います。しかし証拠がない、と言うククリに対して、ヤノハをトンカラリンに行かせず、処刑すればよかった、とヒルメは呟きます。イクメは戦女(イクサメ)としても秀でてていたな、とヒルメに語り掛けられたククリは、暈の四将軍の一人であるミマトさまの娘ですから、と返答します。するとヒルメは、ヤノハとイクメの狙いが読めたようで、後悔と焦りの混じったような表情を浮かべます。
その頃、ヤノハとイクメは休憩しており、イクメはヤノハに倭国の歴史を教えていました。倭国大乱の原因は意地の張り合いと説明するイクメに対して、鉄(カネ)を巡る諍いではないのか、と疑問を呈します。するとイクメは、理由はそれしかないと言い、倭国を統べるためには何が必要と思うか、とヤノハに尋ねます。強力な軍事力とそれを統率する王だろう、とヤノハが答えると、正解だ、とイクメは言います。その上で、天照さまの恩寵を受けた現人神、つまり日見子または日見彦が自国に出現することが必要だ、とイクメはヤノハに説明します。倭国統一のためには二人の王が必要で、一人は夜、倭国の平安と五穀豊穣を、また天変地異の起きないよう明日のお暈(ヒガサ)さまにひたすら祈り、もう一人は政事(マツリゴト)に励む、とイクメは説明します。つまり、暈の国のタケル王と鞠智彦の関係です。
しかし、それだけでは全倭国の支配者とは認められず、大陸の帝の国に使者を送り、印章を授かることが必要だ、とイクメは説明します。印章が何なのか知らないヤノハに尋ねられたイクメは、金印とも言って、大陸の帝により倭国王と認められた証だ、と答えます。その印章を受けた国はあったのか、とヤノハに問われたイクメは、過去に二回、150年前の光武帝の時代と、100年前の安帝の時代だ、と答えます。つまり、大陸とは後漢王朝を指しているわけです。大陸に使者を送ったのはどの国だ、とヤノハに問われたイクメは、150年前は那(ナ)の国、100年前は伊都(イト)の国だ、と答えます。つまり、その二国が意地を張り合い、王たちが互いに自分こそが正真正銘の倭王と主張して譲らないところに、暈の国のタケル王が割って入ったわけです。しかし、韓(カラ)への海路は那と伊都が握っており、暈が何度交渉しても両国とも通行を許さないの、とイクメは説明します。そのため暈は両国と争っているわけで、那と伊都の両国の意地の張り合いが倭国すべてに争いの種を撒いた、とイクメは言います。イクメは地面に、光武帝から那国王に送られた印に彫られた文字を書きます。そこには「漢委奴國王」とあり、漢配下の倭国の支配者たる那の王とイクメはヤノハに説明します。倭を略して委、那とすべきところを、当時の那の使者はおそらく漢字を知らず、使者の「ナ」という音を漢人が「奴」という字に当てはめたのだろう、とイクメは推測します。
ヤノハは恥じ入るような表情を浮かべながら、以前からの疑問として、この国はなぜ倭の国と言われるのか、とイクメに尋ねます。イクメは、倭は輪であり和である、と古老はしたり顔で説明する、と答えます。つまり、皆が手を携え、輪になって和を尊ぶ国という意味です。しかし、イクメの考えは違います。最初に倭人と遭遇した漢人から国の名を問われた倭人が、私国(ワノクニ)と答えたのが由来ではないか、というわけです。倭国は当時から群雄割拠で、小さな国の名はあっても、統一された国名はなかったからです。私たち皆の国です、と言うイクメにたいして、考えようによってはよい名ではないか、とヤノハは返答します。夜が明け始め、イクメに促されたヤノハは、一か八かの勝負だ、と言って立ち上がります。
その頃、鞠智彦はヤノハがどこに向かおうとしているのか、思いついていました。鞠智彦は、本丸だ、何と潔い女子だ、一世一代の勝負に出たのだろう、と高揚した表情で感心したように言います。ヤノハとイクメは、天照大神が降りる聖地とされる山杜(ヤマト)に現れます。ヤノハとイクメが近づいてくるのを見た男性の警備兵は、ヤノハとイクメに即刻立ち去るよう、命じますが、イクメが、私はミマト将軍の娘で、ここにおわすお方こそ100年の時を経て顕れし日見子さまだ、と警備兵に堂々と伝えるところで、今回は終了です。
今回は本作の世界観がかなり明かされたこともあり、情報量が多く、密度が濃くてたいへん楽しめました。本作の倭国は九州・四国・本州(の大半?)を範囲として昔より多数の国々に分かれており、「全国」の支配者と認められるには条件がある、とされています。一つは、夜に祭祀を務める日見彦たる王と、昼間に政治・軍事を務める王(暈の国では鞠智彦)がいて、祭祀を務める王が天照大神の恩寵を受ける、つまり日見彦もしくは日見子と認められることです。
もう一つが、大陸、この時点では後漢王朝により印章を授かり、倭国王と認められることです。イクメによると、過去2回、後漢より倭国王と認められ印章を授かった王がいるとのことで、これはおそらく、『後漢書』に見える57年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)と107年のことでしょう。ただ、107年の倭国からの遣使に関しては、印章を授かったとは『後漢書』には見えません。57年の遣使は那国、107年の遣使は伊都国の王とされており、この二国がその後も正当な倭国王を争っているのが、現在の「倭国大乱」の原因である、とイクメは考えています。
そこに割って入ったのが暈国のタケル王なのですが、朝鮮半島への海路を那国と伊都国に抑えられており、後漢と通交できないうえに、那国王はタケル王が日見彦でないと喧伝しているので(第7話)、タケル王は倭国王としての権威を確立できていない状況です。じっさい、タケル王は日見彦ではなく、それを鞠智彦もヒルメたち種智院の上層部も知っています。鞠智彦はタケル王に東征を提案していましたが、那国を攻め滅ぼし、伊都国など九州の他の諸国も掌握したうえで東進する、とタケル王に計画を打ち明けていますから、後漢との通交、さらには倭国王承認を視野に入れているのでしょう。
イクメによると、光武帝の時代の遣使は150年前、安帝の時代の遣使は100年前とのことですから、現在は207年頃でしょうか。100年間日見子が顕れていない、とのことですから、107年の伊都国には日見子と認められた女王がいた、ということでしょうか。現時点で207年だとすると、すでに後漢の衰退・混乱は著しく、間もなく禅譲により魏王朝へと交代し、三国時代が到来します。この頃、遼東には公孫氏が割拠しており、時として「中央政権(後漢や魏)」に服従しつつも、独立的な勢力を築いていました。遼東の公孫氏滅亡後すぐに、倭国王たる卑弥呼が魏に使者を派遣していますから、作中では、この頃すでに遼東公孫氏により後漢との直接的な通交は妨げられていた、という設定なのかもしれません。すでに、日本列島内だけではなく、朝鮮半島や中華地域も舞台とした話になりつつあり、今後は司馬懿など『三国志』の有名人物の登場も予想されますから、雄大な展開になりそうで期待しています。
この状況で、ヒルメ・タケル王・鞠智彦という暈の国の有力者たちの思惑はそれぞれ違っているようで、その中でヤノハがどう切り抜けていくのか、という話が当分は主題となりそうです。ヒルメとタケル王は、ヤノハを殺したいという点では共通の目的を有していますが、ヒルメはタケル王が真の日見彦ではないと知っており、日見子の出現を待望しているという点で、両者の思惑は本質的に相容れることはありません。一方、鞠智彦の方は、タケル王に忠誠を誓っているように見えるとはいえ、タケル王が真の日見彦ではないと知っており、ヤノハの存在を面白がっていることから、あるいはタケル王を見放してヤノハを日見子として担ぎ上げ、東征を進めようとしているのではないか、とも考えられます。ただ、いかにも小物といった感じのタケル王とは異なり、鞠智彦は優秀な大物といった感じで、思慮深いようですから、思考を読みにくいところがあります。あるいは、タケル王への忠誠は本物で、単に優秀で豪胆な人物であるヤノハに興味があり、自分の部下として使ってみたい、と鞠智彦は考えているのかもしれません。鞠智彦は、ヤノハが自分に逆らうようなら、殺すことも躊躇わないのでしょう。
ヤノハとイクメの意図はまだ全貌が明らかになっていませんが、聖地たる山杜に赴き、山杜の者たちにヤノハを日見子と認めさせ、ヒルメを従わせるとともに、タケル王を失脚させよう、としているのでしょうか。今回、部分的とはいえ、初めて聖地たる山杜が描かれました。山杜には警備兵や巫女がいるようですが、まだ詳細は不明です。モモソによると、山杜で祈りを捧げる者が倭国の支配者になるそうですから(第2話)、暈の国にあるとはいえ、山杜は倭国共通の聖地ということでしょうか。あるいは、各国もしくは特定の国々に山杜のような聖地があるのかもしれません。日見子の認定にはトンカラリンの儀式が必要とのことですから、暈の国の山杜こそ倭国共通の聖地の可能性が高そうです。次回、ヤノハとイクメがこの状況で、どのようにヤノハを日見子と認定させるのか、注目されます。この過程で、作中の世界観もまた明かされるでしょうから、その点も楽しみです。
鞠智(ククチ)の里では、日見子たるヤノハが乗っているはずの輿に誰もいなかった、と報告を受けた鞠智彦(ククチヒコ)が、ヤノハは自分が思っていたよりも頭がよい、と感心していました。問題は、この策を立てたのがヒルメと日見子たるヤノハのどちらなのかだ、と鞠智彦は言いますが、ウガヤはその意味を理解できません。鞠智彦はウガヤに、ヤノハが賢いのか、それともヒルメの傀儡なのかが問題なのだ、とウガヤに説明し、ヤノハと会ってみたい、と言います。
暈の国の「首都」である鹿屋(カノヤ)では、トンカラリンから巫女(見習い)が生還し、種智院では百年ぶりに日見子が顕れたと騒ぎになっている、と報告を受けたタケル王が、激昂し動揺していました。現人神で日見彦(ヒミヒコ)の自分がいるのに日見子を騙るのは天に唾する大罪だ、とタケル王は苛立ちます。法に則りヤノハの手足を砕き、荒野に晒しましょう、と進言する臣下に対して、それだけでは足りない、四肢を砕き、鼻と耳を削げ、ただし自分の醜悪な姿を見させるために目は潰すな、とタケル王は冷酷な表情で命じます。
その頃、ヤノハとイクメは崖を登っていました。少し休もうとヤノハに言われたイクメは、追手を警戒して先を急ごうとします。しかしヤノハは、誰も我々の行く先に気づいていないようだ、と言って休憩を取ります。ヒルメはヤノハとイクメを追わせていましたが、まだ行方を掴めていませんでした。ヤノハの小賢しさは予測していたが、まさかイクメまで裏切るとは、と呟くヒルメに対して、ヤノハは偽りなくトンカラリンより生還したと聞きましたが、と種智院の戦部(イクサベ)の師長であるククリが言います。するとヒルメは、ヤノハの底知れぬ邪悪さを感じなかったのか、とククリに尋ねます。返答に詰まるククリに対してヒルメは、ヤノハがモモソを殺したと思っているのでヤノハを許せない、と言います。しかし証拠がない、と言うククリに対して、ヤノハをトンカラリンに行かせず、処刑すればよかった、とヒルメは呟きます。イクメは戦女(イクサメ)としても秀でてていたな、とヒルメに語り掛けられたククリは、暈の四将軍の一人であるミマトさまの娘ですから、と返答します。するとヒルメは、ヤノハとイクメの狙いが読めたようで、後悔と焦りの混じったような表情を浮かべます。
その頃、ヤノハとイクメは休憩しており、イクメはヤノハに倭国の歴史を教えていました。倭国大乱の原因は意地の張り合いと説明するイクメに対して、鉄(カネ)を巡る諍いではないのか、と疑問を呈します。するとイクメは、理由はそれしかないと言い、倭国を統べるためには何が必要と思うか、とヤノハに尋ねます。強力な軍事力とそれを統率する王だろう、とヤノハが答えると、正解だ、とイクメは言います。その上で、天照さまの恩寵を受けた現人神、つまり日見子または日見彦が自国に出現することが必要だ、とイクメはヤノハに説明します。倭国統一のためには二人の王が必要で、一人は夜、倭国の平安と五穀豊穣を、また天変地異の起きないよう明日のお暈(ヒガサ)さまにひたすら祈り、もう一人は政事(マツリゴト)に励む、とイクメは説明します。つまり、暈の国のタケル王と鞠智彦の関係です。
しかし、それだけでは全倭国の支配者とは認められず、大陸の帝の国に使者を送り、印章を授かることが必要だ、とイクメは説明します。印章が何なのか知らないヤノハに尋ねられたイクメは、金印とも言って、大陸の帝により倭国王と認められた証だ、と答えます。その印章を受けた国はあったのか、とヤノハに問われたイクメは、過去に二回、150年前の光武帝の時代と、100年前の安帝の時代だ、と答えます。つまり、大陸とは後漢王朝を指しているわけです。大陸に使者を送ったのはどの国だ、とヤノハに問われたイクメは、150年前は那(ナ)の国、100年前は伊都(イト)の国だ、と答えます。つまり、その二国が意地を張り合い、王たちが互いに自分こそが正真正銘の倭王と主張して譲らないところに、暈の国のタケル王が割って入ったわけです。しかし、韓(カラ)への海路は那と伊都が握っており、暈が何度交渉しても両国とも通行を許さないの、とイクメは説明します。そのため暈は両国と争っているわけで、那と伊都の両国の意地の張り合いが倭国すべてに争いの種を撒いた、とイクメは言います。イクメは地面に、光武帝から那国王に送られた印に彫られた文字を書きます。そこには「漢委奴國王」とあり、漢配下の倭国の支配者たる那の王とイクメはヤノハに説明します。倭を略して委、那とすべきところを、当時の那の使者はおそらく漢字を知らず、使者の「ナ」という音を漢人が「奴」という字に当てはめたのだろう、とイクメは推測します。
ヤノハは恥じ入るような表情を浮かべながら、以前からの疑問として、この国はなぜ倭の国と言われるのか、とイクメに尋ねます。イクメは、倭は輪であり和である、と古老はしたり顔で説明する、と答えます。つまり、皆が手を携え、輪になって和を尊ぶ国という意味です。しかし、イクメの考えは違います。最初に倭人と遭遇した漢人から国の名を問われた倭人が、私国(ワノクニ)と答えたのが由来ではないか、というわけです。倭国は当時から群雄割拠で、小さな国の名はあっても、統一された国名はなかったからです。私たち皆の国です、と言うイクメにたいして、考えようによってはよい名ではないか、とヤノハは返答します。夜が明け始め、イクメに促されたヤノハは、一か八かの勝負だ、と言って立ち上がります。
その頃、鞠智彦はヤノハがどこに向かおうとしているのか、思いついていました。鞠智彦は、本丸だ、何と潔い女子だ、一世一代の勝負に出たのだろう、と高揚した表情で感心したように言います。ヤノハとイクメは、天照大神が降りる聖地とされる山杜(ヤマト)に現れます。ヤノハとイクメが近づいてくるのを見た男性の警備兵は、ヤノハとイクメに即刻立ち去るよう、命じますが、イクメが、私はミマト将軍の娘で、ここにおわすお方こそ100年の時を経て顕れし日見子さまだ、と警備兵に堂々と伝えるところで、今回は終了です。
今回は本作の世界観がかなり明かされたこともあり、情報量が多く、密度が濃くてたいへん楽しめました。本作の倭国は九州・四国・本州(の大半?)を範囲として昔より多数の国々に分かれており、「全国」の支配者と認められるには条件がある、とされています。一つは、夜に祭祀を務める日見彦たる王と、昼間に政治・軍事を務める王(暈の国では鞠智彦)がいて、祭祀を務める王が天照大神の恩寵を受ける、つまり日見彦もしくは日見子と認められることです。
もう一つが、大陸、この時点では後漢王朝により印章を授かり、倭国王と認められることです。イクメによると、過去2回、後漢より倭国王と認められ印章を授かった王がいるとのことで、これはおそらく、『後漢書』に見える57年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)と107年のことでしょう。ただ、107年の倭国からの遣使に関しては、印章を授かったとは『後漢書』には見えません。57年の遣使は那国、107年の遣使は伊都国の王とされており、この二国がその後も正当な倭国王を争っているのが、現在の「倭国大乱」の原因である、とイクメは考えています。
そこに割って入ったのが暈国のタケル王なのですが、朝鮮半島への海路を那国と伊都国に抑えられており、後漢と通交できないうえに、那国王はタケル王が日見彦でないと喧伝しているので(第7話)、タケル王は倭国王としての権威を確立できていない状況です。じっさい、タケル王は日見彦ではなく、それを鞠智彦もヒルメたち種智院の上層部も知っています。鞠智彦はタケル王に東征を提案していましたが、那国を攻め滅ぼし、伊都国など九州の他の諸国も掌握したうえで東進する、とタケル王に計画を打ち明けていますから、後漢との通交、さらには倭国王承認を視野に入れているのでしょう。
イクメによると、光武帝の時代の遣使は150年前、安帝の時代の遣使は100年前とのことですから、現在は207年頃でしょうか。100年間日見子が顕れていない、とのことですから、107年の伊都国には日見子と認められた女王がいた、ということでしょうか。現時点で207年だとすると、すでに後漢の衰退・混乱は著しく、間もなく禅譲により魏王朝へと交代し、三国時代が到来します。この頃、遼東には公孫氏が割拠しており、時として「中央政権(後漢や魏)」に服従しつつも、独立的な勢力を築いていました。遼東の公孫氏滅亡後すぐに、倭国王たる卑弥呼が魏に使者を派遣していますから、作中では、この頃すでに遼東公孫氏により後漢との直接的な通交は妨げられていた、という設定なのかもしれません。すでに、日本列島内だけではなく、朝鮮半島や中華地域も舞台とした話になりつつあり、今後は司馬懿など『三国志』の有名人物の登場も予想されますから、雄大な展開になりそうで期待しています。
この状況で、ヒルメ・タケル王・鞠智彦という暈の国の有力者たちの思惑はそれぞれ違っているようで、その中でヤノハがどう切り抜けていくのか、という話が当分は主題となりそうです。ヒルメとタケル王は、ヤノハを殺したいという点では共通の目的を有していますが、ヒルメはタケル王が真の日見彦ではないと知っており、日見子の出現を待望しているという点で、両者の思惑は本質的に相容れることはありません。一方、鞠智彦の方は、タケル王に忠誠を誓っているように見えるとはいえ、タケル王が真の日見彦ではないと知っており、ヤノハの存在を面白がっていることから、あるいはタケル王を見放してヤノハを日見子として担ぎ上げ、東征を進めようとしているのではないか、とも考えられます。ただ、いかにも小物といった感じのタケル王とは異なり、鞠智彦は優秀な大物といった感じで、思慮深いようですから、思考を読みにくいところがあります。あるいは、タケル王への忠誠は本物で、単に優秀で豪胆な人物であるヤノハに興味があり、自分の部下として使ってみたい、と鞠智彦は考えているのかもしれません。鞠智彦は、ヤノハが自分に逆らうようなら、殺すことも躊躇わないのでしょう。
ヤノハとイクメの意図はまだ全貌が明らかになっていませんが、聖地たる山杜に赴き、山杜の者たちにヤノハを日見子と認めさせ、ヒルメを従わせるとともに、タケル王を失脚させよう、としているのでしょうか。今回、部分的とはいえ、初めて聖地たる山杜が描かれました。山杜には警備兵や巫女がいるようですが、まだ詳細は不明です。モモソによると、山杜で祈りを捧げる者が倭国の支配者になるそうですから(第2話)、暈の国にあるとはいえ、山杜は倭国共通の聖地ということでしょうか。あるいは、各国もしくは特定の国々に山杜のような聖地があるのかもしれません。日見子の認定にはトンカラリンの儀式が必要とのことですから、暈の国の山杜こそ倭国共通の聖地の可能性が高そうです。次回、ヤノハとイクメがこの状況で、どのようにヤノハを日見子と認定させるのか、注目されます。この過程で、作中の世界観もまた明かされるでしょうから、その点も楽しみです。
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