先人たちの無能さをあざ笑う
先行研究を読まずにひたすら史料を読み、論理的に導かれる確固たる答えを得た後で初めて先行研究を読むと、先行研究が気づいていないことや読み間違っていることがたちどころに分かる、との発言にたいして、
人類が今までに培った技術を完全に無視して、自分の力だけで火星行き有人宇宙船を1から開発し、今まで月までしか行けなかった先人たちの無能さをあざ笑う。極端にたとえれば、そういうことをおっしゃってるんですよねえ…。
との指摘がありました。私も含めて多くの人が、この指摘は尤もだ、と思うことでしょう(火星への有人飛行は、大規模な自然災害や人災がなければ、数十年以内に達成される可能性が高いと予想しています)。現代人の生活・技術・学術水準は、過去の膨大な蓄積の上(巨人の肩の上)に成り立っています。しかし、自戒の念を込めて言うと、こうした思考に陥ることは少なくないように思います。たとえば、技術・政治体制・思想などにおいて、ある時点での達成度を後世の視点・評価基準から、未熟・不充分・後進的・守旧的などと評価してしまうことです。
坂野潤治『日本近代史』では、「変革の相場」という概念が提示されています(関連記事)。幕末史において「変革の相場」は時代とともに上がっていき、王政復古の直前にいたって明確に「尊王倒幕」を唱えた者の方が、1857年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に「公武合体」を主張した橋本左内より、「変革度」が高いわけではなく、「変革の相場」を考慮して各人の「変革度」を測らないと、「王政復古」の日を見ず死んだ人々の思想を低く評価することになりかねない、と同書は指摘します(P22~23)。出典を忘れましたが、同様のことは中国近代史でも指摘されています。1890年代に立憲君主制を主張することは、1920年代に共産主義を主張するよりも危険で勇気の必要な行為だったので、1890年代の立憲君主制論者の「不徹底」や「守旧性」を安易に批判すべきではない、というわけです。
人類進化史においても、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との比較において、同様の問題があるように思います。ネアンデルタール人の絶滅に関してはさまざまな議論がありますが(関連記事)、ネアンデルタール人が現生人類よりも劣っていたから、との見解は今でも有力でしょう。そうした見解では、現生人類にはできたことがネアンデルタール人にはできなかった、と強調されます。たとえば、象徴的思考やある種の技術です。具体的な指標としては、洞窟壁画や投槍器・弓矢などの飛び道具がよく挙げられます。
ここで問題となるのは、その比較が適切なのか、ということです。確かに、ネアンデルタール人が投槍器・弓矢を用いた証拠はまだないと思いますし、今後も得られることはないでしょう。しかし、投槍器の出現はアフリカでは7万~6万年前頃、ヨーロッパでは5万~4万年前頃までさかのぼる可能性があるとはいっても、確実な証拠は23500~21000年前頃で、弓矢の直接的証拠は、ヨーロッパにおいて14000~13000年前頃までしかさかのぼりません(関連記事)。これでは、飛び道具の本格的な使用はネアンデルタール人の絶滅後か、その直前の衰退期にまでしかさかのぼらない可能性も低くないでしょう。現生人類による本格的な飛び道具の開発・使用が、せいぜい非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった集団の出アフリカの直前(7万~6万年前頃?)までにしかさかのぼらないのだとしたら、ネアンデルタール人と現生人類との決定的な違いとして飛び道具が適切な事例となるのか、疑問です。しかも、本格的な飛び道具の開発・使用の年代がもっと繰り下がる可能性も低くないでしょう。さらに、ネアンデルタール人が20mほど離れた獲物に槍を投げ、投槍器と同程度の打撃を獲物に与えていた可能性も指摘されています(関連記事)。
象徴的思考に関しても同様の問題があります。ネアンデルタール人には象徴的思考能力が欠けており、それが現生人類との競合に敗北した一因だった、との見解は根強いと思います。しかし、線刻(関連記事)などネアンデルタール人の象徴的思考能力の実例が次々と報告されており、ついには、ネアンデルタール人と現生人類との大きな違いと考えられていた洞窟壁画に関しても、ネアンデルタール人の所産である可能性の高いものが報告されました(関連記事)。すると今度は、ネアンデルタール人の壁画では形象的な線画が確認されていない、と指摘されました(関連記事)。この指摘は尤もなのですが、将来、ネアンデルタール人の描いた形象的な線画が確認される可能性は高いと思います。何よりも、現生人類の形象的な線画はネアンデルタール人の絶滅後か、せいぜい絶滅直前にまでしかさかのぼらない、ということが重要です(関連記事)。都市成立以降の文化と更新世の文化を比較して、更新世の現生人類は都市成立以降の現生人類と比較して愚かだった、と考える人は少ないでしょう。しかし、ネアンデルタール人にたいしては、そうした妥当とは言えない思考が今でも根強く残っているように思います。現生人類の文化も長い蓄積の上に成立したのであり、現生人類には可能でネアンデルタール人には無理だった項目の一覧を作成する前に、各項目は比較対象として妥当なのか、慎重に検証すべきだと思います。以上、まとまりのない雑然とした内容になってしまいましたが、日頃から考えていることを述べてみました。
人類が今までに培った技術を完全に無視して、自分の力だけで火星行き有人宇宙船を1から開発し、今まで月までしか行けなかった先人たちの無能さをあざ笑う。極端にたとえれば、そういうことをおっしゃってるんですよねえ…。
との指摘がありました。私も含めて多くの人が、この指摘は尤もだ、と思うことでしょう(火星への有人飛行は、大規模な自然災害や人災がなければ、数十年以内に達成される可能性が高いと予想しています)。現代人の生活・技術・学術水準は、過去の膨大な蓄積の上(巨人の肩の上)に成り立っています。しかし、自戒の念を込めて言うと、こうした思考に陥ることは少なくないように思います。たとえば、技術・政治体制・思想などにおいて、ある時点での達成度を後世の視点・評価基準から、未熟・不充分・後進的・守旧的などと評価してしまうことです。
坂野潤治『日本近代史』では、「変革の相場」という概念が提示されています(関連記事)。幕末史において「変革の相場」は時代とともに上がっていき、王政復古の直前にいたって明確に「尊王倒幕」を唱えた者の方が、1857年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に「公武合体」を主張した橋本左内より、「変革度」が高いわけではなく、「変革の相場」を考慮して各人の「変革度」を測らないと、「王政復古」の日を見ず死んだ人々の思想を低く評価することになりかねない、と同書は指摘します(P22~23)。出典を忘れましたが、同様のことは中国近代史でも指摘されています。1890年代に立憲君主制を主張することは、1920年代に共産主義を主張するよりも危険で勇気の必要な行為だったので、1890年代の立憲君主制論者の「不徹底」や「守旧性」を安易に批判すべきではない、というわけです。
人類進化史においても、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との比較において、同様の問題があるように思います。ネアンデルタール人の絶滅に関してはさまざまな議論がありますが(関連記事)、ネアンデルタール人が現生人類よりも劣っていたから、との見解は今でも有力でしょう。そうした見解では、現生人類にはできたことがネアンデルタール人にはできなかった、と強調されます。たとえば、象徴的思考やある種の技術です。具体的な指標としては、洞窟壁画や投槍器・弓矢などの飛び道具がよく挙げられます。
ここで問題となるのは、その比較が適切なのか、ということです。確かに、ネアンデルタール人が投槍器・弓矢を用いた証拠はまだないと思いますし、今後も得られることはないでしょう。しかし、投槍器の出現はアフリカでは7万~6万年前頃、ヨーロッパでは5万~4万年前頃までさかのぼる可能性があるとはいっても、確実な証拠は23500~21000年前頃で、弓矢の直接的証拠は、ヨーロッパにおいて14000~13000年前頃までしかさかのぼりません(関連記事)。これでは、飛び道具の本格的な使用はネアンデルタール人の絶滅後か、その直前の衰退期にまでしかさかのぼらない可能性も低くないでしょう。現生人類による本格的な飛び道具の開発・使用が、せいぜい非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった集団の出アフリカの直前(7万~6万年前頃?)までにしかさかのぼらないのだとしたら、ネアンデルタール人と現生人類との決定的な違いとして飛び道具が適切な事例となるのか、疑問です。しかも、本格的な飛び道具の開発・使用の年代がもっと繰り下がる可能性も低くないでしょう。さらに、ネアンデルタール人が20mほど離れた獲物に槍を投げ、投槍器と同程度の打撃を獲物に与えていた可能性も指摘されています(関連記事)。
象徴的思考に関しても同様の問題があります。ネアンデルタール人には象徴的思考能力が欠けており、それが現生人類との競合に敗北した一因だった、との見解は根強いと思います。しかし、線刻(関連記事)などネアンデルタール人の象徴的思考能力の実例が次々と報告されており、ついには、ネアンデルタール人と現生人類との大きな違いと考えられていた洞窟壁画に関しても、ネアンデルタール人の所産である可能性の高いものが報告されました(関連記事)。すると今度は、ネアンデルタール人の壁画では形象的な線画が確認されていない、と指摘されました(関連記事)。この指摘は尤もなのですが、将来、ネアンデルタール人の描いた形象的な線画が確認される可能性は高いと思います。何よりも、現生人類の形象的な線画はネアンデルタール人の絶滅後か、せいぜい絶滅直前にまでしかさかのぼらない、ということが重要です(関連記事)。都市成立以降の文化と更新世の文化を比較して、更新世の現生人類は都市成立以降の現生人類と比較して愚かだった、と考える人は少ないでしょう。しかし、ネアンデルタール人にたいしては、そうした妥当とは言えない思考が今でも根強く残っているように思います。現生人類の文化も長い蓄積の上に成立したのであり、現生人類には可能でネアンデルタール人には無理だった項目の一覧を作成する前に、各項目は比較対象として妥当なのか、慎重に検証すべきだと思います。以上、まとまりのない雑然とした内容になってしまいましたが、日頃から考えていることを述べてみました。
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