多地域進化説の復権

 現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐって、1980年代には大激論が展開されました。一般的には、これは多地域進化説とアフリカ単一起源説との論争として理解されています。多地域進化説の成立過程については11年近く前(2008年)に整理しましたが(関連記事)、その源流として重要なのは、オーストラリア・アジア・アフリカ・ヨーロッパという4地域それぞれでの、相互の遺伝的交流も想定した長期の進化の結果として現代人が成立した、とのヴァイデンライヒ(Franz Weidenreich)氏の見解と、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続けた、とするブレイス(Charles Loring Brace IV)氏の人類単一種説です(関連記事)。現代的な多地域進化説の確立は、むしろ単一起源説よりやや遅いくらいです。多地域進化説は複雑なのですが、単純化していうと、現代人の各地域集団は100万年以上にわたる継続性があり、それでも相互の遺伝的交流により単一種であり続け、現代人へと進化していった、というものです(旧多地域進化説)。しかし、単一起源説が有力になっていくにつれて、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)は200万年前頃から存在した、と大きく見解を変えました。「真の」ホモ属たるエレクトス(Homo erectus)の出現以降、ホモ属の違いは単一種内の些細な変異にすぎない、というわけです。さらに多地域進化説は、数的に圧倒的に優勢な外来集団(一般にいうところの現生人類)が外部から欧州に流入してきたことにより、ネアンデルターレンシスは混血という形で外来集団に吸収されて消滅した、というように見解を変えていきました(新多地域進化説)。

 アフリカ単一起源説では、現生人類の派生的特徴はアフリカでのみ進化し、アフリカ起源の現生人類が世界中へと拡散した、とされます。アフリカ単一起源説は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシア各地の先住人類との関係について、多少の交雑を認める見解(交配説)と、交雑はなかったとする見解(完全置換説)に分かれます。アフリカ単一起源説はまず形態学から主張され(関連記事)、その頃には、程度の差はあれども、交配説的な見解が有力でした。しかし、現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究が注目されて以降は、次第に完全置換説が有力になっていきます。とくに、ネアンデルタール人のmtDNA解析結果が初めてされてから、ネアンデルタール人の本格的なゲノム解析結果が公表される(関連記事)までの1997~2010年の間は、完全置換説でほぼ決まりといった論調が強く、またこの間、多地域進化説は否定された、との認識が一般的だったように思います。

 しかし現在では、現生人類とネアンデルタール人との交雑が通説としてほぼ認められており、完全置換説は否定され、交配説が有力な仮説となっています。多地域進化説派はこうした動向を歓迎していますが、多くの研究者は、交雑を認めるにしても、古典的な多地域進化説が妥当だと認められるわけではない、と考えています(関連記事)。少なくとも、旧多地域進化説は今ではとても通用する内容ではない、と言えるでしょう。新多地域進化説は、現時点ではかなり説得力のある見解と言えるかもしれません。しかし、旧多地域進化説と単一起源説の間で激論が展開されていた時期に、すでに交配説は提唱されていたわけですから、ネアンデルタール人などの古代型ホモ属と現生人類との交雑を根拠に、多地域進化説の復権と言うのは妥当ではないかな、と思います。

 しかし、現生人類の起源と拡散に関する近年の研究の進展(関連記事)からは、多地域進化説の復権と言うのが妥当であるように思います。現在、現生人類の起源に関して有力な見解となりつつあるように思われるのが、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」です(関連記事)。多地域進化説は、アフリカとユーラシア全域を対象として単一の分類群(もしくは種)が100万年以上によたって維持・形成されていった、と想定している点では間違っていたものの、もっと狭い地域に関しては、多地域進化説的な想定が妥当ではないか、というわけです。

 さらに、これが当てはまるのはアフリカ起源の現生人類だけではないかもしれないという点からも、多地域進化説の復権と言えそうです。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万~19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的で、多地域進化説的な想定が有効であるように思います。

 ホモ属の起源に関しても、多地域進化説的な見解が当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万~180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、エレクトスが出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万~275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。300万~200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万~200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりホモ属が形成されていった、との想定には少なくとも一定以上の説得力があるように思います。

 もちろん、現生人類やネアンデルタール人、さらにはホモ属の起源に関して、上述のような想定が妥当だとしても、多地域進化説の復権とはいえ、全面的な復権ではなく、部分的なものではありますが、単一起源説が正解で多地域進化説は間違いといった単純な理解は、もはや通用しないのではないか、と思います。もちろん、今後の研究の進展により、「現生人類アフリカ多地域進化説」も、否定されるか大きく修正されるようになるかもしれず、あくまでも現時点では妥当性が高いだろう、と私が考えているにすぎません。

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