コーカサス地域の銅石器時代~青銅器時代の人類のゲノムデータ

 コーカサス地域の銅石器時代~青銅器時代の人類のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2019A)が報道されました。1100kmに及ぶコーカサス山脈は黒海とカスピ海の間に位置しており、コーカサス地域には上部旧石器時代以降の豊富な考古学的記録があります。コーカサス地域での新石器時代は8000年前以降に始まりました。鉱石・牧草地・木材といった天然資源が豊富なコーカサス地域は、発展していくメソポタミアの都市文化にとって重要な地域でした。

 西アジア・コーカサス地域・ユーラシア草原地帯・ヨーロッパ中央部の接触に関しては、7000~6000年前頃に考古学と遺伝学の双方で証拠が得られています。こうした接触は6000~5000年前に増加していき、車輪・ワゴン・銅合金・新たな武器や家畜品種などが好感されていきました。こうした接触によりヤムナヤ(Yamnaya)文化が形成され、やがてヤムナヤ文化集団は5000~4000年前頃より拡散していき、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。車輪の開発やウマの家畜化の進展などによる移動力の増加が、こうした大移動の背景にあるのでしょう。コーカサス地域は、こうした人類集団と文化の移動・拡散において、重要な役割を果たしたのではないか、と考えられています。

 本論文は、おもに6500~3500年前頃のコーカサス地域の45人のゲノム規模の一塩基多型データを生成し、既知の古代人や現代人のデータと比較しつつ、コーカサス地域、さらにはユーラシア西部の人類集団の移動・相互の関係を検証しています。これまでのコーカサス地域の現代人のゲノム解析からは、アナトリア半島や近東の集団との類似性と、隣接する北方の草原地帯との遺伝的不連続性が指摘されていました。常染色体やミトコンドリアDNA(mtDNA)のデータからは、コーカサス地域全体は遺伝的に比較的均質に見えるのにたいして、Y染色体は多様でより深い遺伝的構造を示し、地理的・民族的・言語・歴史的事象と一致します。本論文は、古代ゲノムデータの解析・比較により、こうしたパターンがどのように形成されてきたのか、検証しています。

 まず大まかに言えるのは、6500~3500年前頃のコーカサス地域の人類集団の遺伝的構成は草原地帯と山岳地帯とで大きく分かれ、3000年にわたって安定的だった、ということです。つまり、人類集団の遺伝的構成は、コーカサス山脈の南方地域と北部の山麓地域とでは類似しているのに対して、コーカサス山脈の北部では、隣接していても、山麓地域と草原地域とでは明確に異なり、そうした構造が3000年にわたっておおむね安定的に継続した、ということです。銅石器時代~青銅器時代には、コーカサス山脈は人類集団を遺伝的に分離する障壁とはならなかったようです。本論文は、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成になっている、と指摘しています。Y染色体では、ハプログループJ・G2・Lが多い山麓地域と、R1/R1b1およびQ1a2の多い草原地域とで明確に異なりますが、mtDNAのハプログループは両集団ともY染色体DNAハプログループよりも多様で類似しています。

 青銅器時代のコーカサス地域には、おもにコーカサス山脈以北のマイコープ(Maykop)文化(5900~4900年前頃)とコーカサス山脈以南のクラアラクセス(Kura-Araxes)文化が存在し、後者は青銅器時代後期にかけて1期~3期へと変容していきます(5600~4300年前頃)。コーカサス山脈以北では、ヤムナヤ文化も拡大してきて、マイコープ文化から北部コーカサス文化(4800~4400年前頃)へと変容していきます。こうした文化変容にも関わらず、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成は比較的安定していました。

 さらに、マイコープ文化集団の担い手の遺伝的構成も、山麓地域と草原地域とで異なっており、文化変容が大規模な人類集団の移動を伴わず、在来集団による文化受容だったことを示唆しています。ただ、マイコープ文化期に、山麓地域には多いアナトリア農耕民系要素が草原地域では基本的に見られないか少ない一方で、アナトリア農耕民系要素が顕著に多い個体も草原地域マイコープ文化集団で2人確認されているので、山麓地域と草原地域とである程度の遺伝子流動があった、と推測されます。また、草原地域マイコープ文化集団には、ユーラシア北部・中央部に存在したと推測される、まだ識別されていない祖先集団(ゴースト集団)からの遺伝的影響を受けており、アメリカ大陸先住民集団や東アジア系集団との類似性をもたらしている、と推測されています。本論文の見解を私が文章にしても分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。
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 上述したように、コーカサス地域では現在、常染色体やmtDNAが比較的均質なのに対して、Y染色体では民族に応じた大きな違いが見られます。本論文は、現在のコーカサス北部集団には、鉄器時代以降に草原地帯集団から追加の遺伝子流動があった、と推測しています。考古学と歴史学からは、鉄器時代と中世におけるコーカサス地域への大量の侵入が指摘されていますが、この仮説の検証には、鉄器時代以降の古代DNA解析が必要になる、と本論文は慎重な姿勢を示しています。おそらく鉄器時代以降のコーカサス地域では、男性主体の征服活動があったのでしょう。

 また本論文は、ヤムナヤ文化系集団が、そのヨーロッパ西方への本格的な拡大の前に、ヨーロッパからわずかに遺伝的影響を受けた可能性も指摘しています。本論文はその候補として、ヨーロッパ中央部の球状アンフォラ(Globular Amphora)文化集団などを想定しています。ヤムナヤ文化集団のヨーロッパへの大規模な拡散の前に、ユーラシア西部では微妙な遺伝子流動があり、それはユーラシア草原地帯(東)からヨーロッパ(西)への一方向のみではなかった、というわけです。本論文は、考古学的証拠でも、ヨーロッパからメソポタミアまで含む文化の交流がヤムナヤ文化集団の本格的な拡大前より始まったことが示されていることから、ユーラシア西部では早くから広範囲の文化的・遺伝的交流があったのではないか、と指摘しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2019A): Ancient human genome-wide data from a 3000-year interval in the Caucasus corresponds with eco-geographic regions. Nature Communications, 10, 590.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08220-8

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