イベリア半島南部における4万年以上前のオーリナシアン
イベリア半島南部におけるオーリナシアン(Aurignacian)インダストリーの出現時期に関する研究(Cortés-Sánchez et al., 2019)が報道(Douk., 2019)されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。なお、以下の年代は、基本的には放射性炭素年代測定法による較正年代です。ヨーロッパにおけるオーリナシアンの出現は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から解剖学的現代人(Homo sapiens、現生人類)への「交替劇」、つまりネアンデルタール人絶滅の重要な指標となることから、高い関心が寄せられてきました。
近年では、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人はおおむね4万年前頃までに絶滅した、との見解が有力です(関連記事)。イベリア半島は、4万年前頃以降もネアンデルタール人が生存していた(後期絶滅説)候補地として以前から有力だったのですが(関連記事)、近年では、イベリア半島におけるネアンデルタール人の絶滅も4万年以上前と推測する見解(早期絶滅説)が有力になりつつあるように思います(関連記事)。たとえば、イベリア半島南東部にあるエルソルト(El Salt)開地遺跡では、光刺激ルミネッセンス法で45200±3400年前頃以降はネアンデルタール人が確認されておらず(関連記事)、ネアンデルタール人の消滅と気候の乾燥化との関連が指摘されています(関連記事)。
一方近年でも、イベリア半島における4万年前以降のネアンデルタール人の生存を主張する見解は提示されており、イベリア半島南東部で37000年前頃までネアンデルタール人が存続しており、現生人類の拡散はそれ以降だった、と推測されています(関連記事)。この見解では、エブロ川を境にイベリア半島南部への現生人類の拡散はイベリア半島北部やヨーロッパの他地域よりも遅れ、それはエブロ川を境とする生態系の違いのためではないか、と想定されています(エブロ川境界仮説)。また、イタリアのフレグレイ平野で39850年前に起きたカルデラ爆発が、当時ヨーロッパにいた現生人類とネアンデルタール人に打撃を与え、ヨーロッパにおける現生人類の西進を停滞させたのではないか、とも推測されています。
本論文は、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の中部旧石器時代後期~上部旧石器時代の年代を改めて放射性炭素年代法で測定し、新たに17点の年代値を得るとともに、既知の年代データと統合して、イベリア半島南部におけるネアンデルタール人から現生人類への「交替劇」を検証しています。バホンディージョ洞窟遺跡では、第19層~第14層までが中部旧石器時代となり、まず間違いなくネアンデルタール人が担い手のムステリアン(Mousterian)インダストリーは50000~46000年前頃の鋸歯緑ムステリアン(Denticulate Mousterian)まで続きます。石器技術の大きな変化は43400~40000年前頃となる第13層で起きました。第13層では石刃や小石刃が出現するようになります。第12層は典型的な上部旧石器、第11層は発展オーリナシアン(Evolved Aurignacian)で、その上の第10層はグラヴェティアン(Gravettian)インダストリーとなります。なお、バホンディージョ洞窟遺跡における中部旧石器時代と上部旧石器時代の違いとして炉床が挙げられており、前者ではイネ科の草のみを燃料として500℃を超えることはなかったのに、後者では木を燃料として550℃以上の場合もあった、と推定されています。また、バホンディージョ洞窟遺跡では、ネアンデルタール人による15万年前頃までさかのぼる海洋資源の利用も確認されています(関連記事)。
ヨーロッパ西部の最初期オーリナシアンは43000年前頃以降となり、伝統的にヨーロッパ中央部起源のプロトオーリナシアン(Protoaurignacian)もしくは早期オーリナシアン(Early Aurignacian)と分類されてきました。イベリア半島では中部旧石器時代~上部旧石器時代にかけての移行期文化が確認されておらず、バホンディージョ洞窟遺跡第13層の石器群は、プロトオーリナシアンもしくは早期オーリナシアンに分類されます。ただ、第13層の石器群の分類については、石器数が100個未満と少ないこと(イベリア半島における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行の検証にはこの問題がつきまといます)と、通常はオーリナシアンと共伴する骨器がないことと、早期オーリナシアンは技術的・分類学的に明確に定義されていない、との最近の指摘から、難しくなっています。しかし、いずれにしても、現生人類が担い手の(プロトもしくは早期)オーリナシアンである可能性はきわめて高い、と言えるでしょう。この第13層の(プロトもしくは早期)オーリナシアンは、第11層の発展オーリナシアンとの強い関連が指摘されています。
バホンティージョ洞窟遺跡の年代で重要なのは、ネアンデルタール人の痕跡が46000年前頃で途絶えていることで、これはバホンディージョ洞窟遺跡と同じくマラガ県内の遺跡であるアブリゴ(Abrigo)やザファラヤ(Zafarraya)も同様ですから、早期絶滅説と整合的です。次に重要なのは、ヨーロッパにおける現生人類拡散の指標となる(プロトもしくは早期)オーリナシアンが43000年前頃までさかのぼることで、これはヨーロッパ西部の他地域の最初期オーリナシアンの年代とほぼ同じです。イベリア半島北部でも、同じ頃にオーリナシアンの存在が確認されています(関連記事)。つまり、イベリア半島南部への現生人類の拡散はヨーロッパの他地域よりも遅れておらず、エブロ川境界仮説で想定されているような、エブロ川を境とする生態系の違いは、現生人類の拡散を遅らせなかった、というわけです。また、本論文の年代観からは、現生人類が拡散してきた時、イベリア半島ではネアンデルタール人は絶滅していたか人口が少なく孤立しており、大きな抵抗がなかった、とも考えられます。本論文は、オーリナシアンの担い手である現生人類集団の、ヨーロッパ東方からイベリア半島への急速な拡散を想定しています。
本論文は、ハインリッヒイベント(HE)5とHE 4(40200~38300年前頃)の間に位置するこの時期のヨーロッパは比較的寒冷だったので、イベリア半島南部への現生人類最初の拡散は、より気候が温暖で資源獲得に有利な点からも沿岸経路だった可能性が高い、と推測しています。本論文はその傍証として、イベリア半島へと西進するさいに内陸経由だと山脈が障壁になることと、アラビア半島やオーストラリア(更新世の寒冷期には、オーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きとなってサフルランドを形成していました)やアメリカ大陸でも現生人類の初期の拡散は沿岸経路だった可能性が高いことを挙げています。ただ、本論文は、当時は現在よりも陸地が拡大していたので、少なからぬ遺跡が海面下にあると推測され、遺跡がまばらなことから、初期現生人類はもちろん、末期ネアンデルタール人の遊動・居住パターンの把握が困難であることも指摘しています。
上記報道は、イベリア半島南部における4万年前頃以降のネアンデルタール人の存在を主張する見解にたいして、層序の問題も指摘されていることから、早期絶滅説が有利としています。また上記報道は、ネアンデルタール人が4万年前頃以降もイベリア半島に存在したとしても、まばらで孤立していた、と推測しています。もっとも、上記報道は、ある石器群を特定の人類集団と結びつけることには慎重であるべきことや、ペプチドの特異的配列パターンから物質を同定するコラーゲンフィンガープリント法やDNA解析を用いて、「交替劇」の時期の人類集団の様相を詳しく解明することも提起しており、この慎重な姿勢には同感です。イベリア半島北部では、バホンディージョ洞窟遺跡でオーリナシアンが出現した頃におけるオーリナシアンとシャテルペロニアン(Châtelperronian)との共存の可能性も指摘されており(関連記事)、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期の様相はかなり複雑だったと思われます。この時期の解明に、コラーゲンフィンガープリント法やDNA解析は大いに貢献するでしょう。
参考文献:
Cortés-Sánchez M. et al.(2019): An early Aurignacian arrival in southwestern Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 2, 207–212.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0753-6
Douk K. et al.(2019): No hard borders for humans. Nature Ecology & Evolution, 3, 2, 157–158.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0795-9
近年では、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人はおおむね4万年前頃までに絶滅した、との見解が有力です(関連記事)。イベリア半島は、4万年前頃以降もネアンデルタール人が生存していた(後期絶滅説)候補地として以前から有力だったのですが(関連記事)、近年では、イベリア半島におけるネアンデルタール人の絶滅も4万年以上前と推測する見解(早期絶滅説)が有力になりつつあるように思います(関連記事)。たとえば、イベリア半島南東部にあるエルソルト(El Salt)開地遺跡では、光刺激ルミネッセンス法で45200±3400年前頃以降はネアンデルタール人が確認されておらず(関連記事)、ネアンデルタール人の消滅と気候の乾燥化との関連が指摘されています(関連記事)。
一方近年でも、イベリア半島における4万年前以降のネアンデルタール人の生存を主張する見解は提示されており、イベリア半島南東部で37000年前頃までネアンデルタール人が存続しており、現生人類の拡散はそれ以降だった、と推測されています(関連記事)。この見解では、エブロ川を境にイベリア半島南部への現生人類の拡散はイベリア半島北部やヨーロッパの他地域よりも遅れ、それはエブロ川を境とする生態系の違いのためではないか、と想定されています(エブロ川境界仮説)。また、イタリアのフレグレイ平野で39850年前に起きたカルデラ爆発が、当時ヨーロッパにいた現生人類とネアンデルタール人に打撃を与え、ヨーロッパにおける現生人類の西進を停滞させたのではないか、とも推測されています。
本論文は、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の中部旧石器時代後期~上部旧石器時代の年代を改めて放射性炭素年代法で測定し、新たに17点の年代値を得るとともに、既知の年代データと統合して、イベリア半島南部におけるネアンデルタール人から現生人類への「交替劇」を検証しています。バホンディージョ洞窟遺跡では、第19層~第14層までが中部旧石器時代となり、まず間違いなくネアンデルタール人が担い手のムステリアン(Mousterian)インダストリーは50000~46000年前頃の鋸歯緑ムステリアン(Denticulate Mousterian)まで続きます。石器技術の大きな変化は43400~40000年前頃となる第13層で起きました。第13層では石刃や小石刃が出現するようになります。第12層は典型的な上部旧石器、第11層は発展オーリナシアン(Evolved Aurignacian)で、その上の第10層はグラヴェティアン(Gravettian)インダストリーとなります。なお、バホンディージョ洞窟遺跡における中部旧石器時代と上部旧石器時代の違いとして炉床が挙げられており、前者ではイネ科の草のみを燃料として500℃を超えることはなかったのに、後者では木を燃料として550℃以上の場合もあった、と推定されています。また、バホンディージョ洞窟遺跡では、ネアンデルタール人による15万年前頃までさかのぼる海洋資源の利用も確認されています(関連記事)。
ヨーロッパ西部の最初期オーリナシアンは43000年前頃以降となり、伝統的にヨーロッパ中央部起源のプロトオーリナシアン(Protoaurignacian)もしくは早期オーリナシアン(Early Aurignacian)と分類されてきました。イベリア半島では中部旧石器時代~上部旧石器時代にかけての移行期文化が確認されておらず、バホンディージョ洞窟遺跡第13層の石器群は、プロトオーリナシアンもしくは早期オーリナシアンに分類されます。ただ、第13層の石器群の分類については、石器数が100個未満と少ないこと(イベリア半島における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行の検証にはこの問題がつきまといます)と、通常はオーリナシアンと共伴する骨器がないことと、早期オーリナシアンは技術的・分類学的に明確に定義されていない、との最近の指摘から、難しくなっています。しかし、いずれにしても、現生人類が担い手の(プロトもしくは早期)オーリナシアンである可能性はきわめて高い、と言えるでしょう。この第13層の(プロトもしくは早期)オーリナシアンは、第11層の発展オーリナシアンとの強い関連が指摘されています。
バホンティージョ洞窟遺跡の年代で重要なのは、ネアンデルタール人の痕跡が46000年前頃で途絶えていることで、これはバホンディージョ洞窟遺跡と同じくマラガ県内の遺跡であるアブリゴ(Abrigo)やザファラヤ(Zafarraya)も同様ですから、早期絶滅説と整合的です。次に重要なのは、ヨーロッパにおける現生人類拡散の指標となる(プロトもしくは早期)オーリナシアンが43000年前頃までさかのぼることで、これはヨーロッパ西部の他地域の最初期オーリナシアンの年代とほぼ同じです。イベリア半島北部でも、同じ頃にオーリナシアンの存在が確認されています(関連記事)。つまり、イベリア半島南部への現生人類の拡散はヨーロッパの他地域よりも遅れておらず、エブロ川境界仮説で想定されているような、エブロ川を境とする生態系の違いは、現生人類の拡散を遅らせなかった、というわけです。また、本論文の年代観からは、現生人類が拡散してきた時、イベリア半島ではネアンデルタール人は絶滅していたか人口が少なく孤立しており、大きな抵抗がなかった、とも考えられます。本論文は、オーリナシアンの担い手である現生人類集団の、ヨーロッパ東方からイベリア半島への急速な拡散を想定しています。
本論文は、ハインリッヒイベント(HE)5とHE 4(40200~38300年前頃)の間に位置するこの時期のヨーロッパは比較的寒冷だったので、イベリア半島南部への現生人類最初の拡散は、より気候が温暖で資源獲得に有利な点からも沿岸経路だった可能性が高い、と推測しています。本論文はその傍証として、イベリア半島へと西進するさいに内陸経由だと山脈が障壁になることと、アラビア半島やオーストラリア(更新世の寒冷期には、オーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きとなってサフルランドを形成していました)やアメリカ大陸でも現生人類の初期の拡散は沿岸経路だった可能性が高いことを挙げています。ただ、本論文は、当時は現在よりも陸地が拡大していたので、少なからぬ遺跡が海面下にあると推測され、遺跡がまばらなことから、初期現生人類はもちろん、末期ネアンデルタール人の遊動・居住パターンの把握が困難であることも指摘しています。
上記報道は、イベリア半島南部における4万年前頃以降のネアンデルタール人の存在を主張する見解にたいして、層序の問題も指摘されていることから、早期絶滅説が有利としています。また上記報道は、ネアンデルタール人が4万年前頃以降もイベリア半島に存在したとしても、まばらで孤立していた、と推測しています。もっとも、上記報道は、ある石器群を特定の人類集団と結びつけることには慎重であるべきことや、ペプチドの特異的配列パターンから物質を同定するコラーゲンフィンガープリント法やDNA解析を用いて、「交替劇」の時期の人類集団の様相を詳しく解明することも提起しており、この慎重な姿勢には同感です。イベリア半島北部では、バホンディージョ洞窟遺跡でオーリナシアンが出現した頃におけるオーリナシアンとシャテルペロニアン(Châtelperronian)との共存の可能性も指摘されており(関連記事)、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期の様相はかなり複雑だったと思われます。この時期の解明に、コラーゲンフィンガープリント法やDNA解析は大いに貢献するでしょう。
参考文献:
Cortés-Sánchez M. et al.(2019): An early Aurignacian arrival in southwestern Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 2, 207–212.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0753-6
Douk K. et al.(2019): No hard borders for humans. Nature Ecology & Evolution, 3, 2, 157–158.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0795-9
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