人類の社会構造と近親婚
人類の社会構造が元々は父系的だったのか母系的だったのか、という問題について、私は以前より高い関心を抱いていたので、当ブログでも何度か取り上げてきました。この問題については、唯物史観の影響により現在でも、人類の「原始社会」は母系制だった、との観念が一般層でも根強いように思われます(関連記事)。もっとも、より詳しくは、唯物史観が「原始社会」母系制説を採用した、と言うべきでしょうが。私は以前より、更新世の人類社会が母系制だったのか、疑問を抱いてきましたが(関連記事)、最近では、人類社会は元々母系的ではなかった、との確信がますます強くなっています(関連記事)。
「遅れた(未開な)」母系制社会から「社会の進歩」に伴い父系制社会に移行した、といった観念は、偏見・差別を助長するものだと思います。もちろん、それがかなりの程度妥当であれば広く認知されるべきでしょうが、少なくとも現時点では根拠薄弱で妥当性が低いのだとしたら、人類の「原始社会」は母系制だった、との見解がある程度以上受け入れられている状況は改善されるべきでしょう。これは唯物史観の悪影響の一例だと思います。唯物史観は今では否定・克服されたとして、その影響力を過大視することに否定的な人は少なくないかもしれませんが、呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』(関連記事)で指摘されているように、人々は今でも無意識のうちに唯物史観(階級闘争史観)に拘束されており、克服されたとの認識により、かえって唯物史観の影響に気づきにくくなっているのかもしれません。
この問題についてまず参考になるのは、きわめて多様な社会を構築する現代人(Homo sapiens)をのぞいて、現生類人猿系統の社会はすべて父系的もしくは非母系的である、ということです(関連記事)。また、現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の49000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、人類系統の社会は他の現生類人猿系統と同様に元々は父系的だった、と考えるのが節約的だと思います。
ただ、これまでの当ブログの記事で単純化しすぎたと反省しているのは、人類系統において少なくとも現代人は、他の霊長類とは異なり、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続け、そうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点(関連記事)を軽視していたことです。この柔軟性により、現生人類(Homo sapiens)は世界中に拡散し、大型動物としては異例なほど多くの個体数にまで拡大できたのではないか、と思います。この柔軟性が、現代人において、父系的な社会を基本としつつも、母系的な社会も構築させた要因なのだと思います。9世紀~12世紀にかけて、北アメリカ大陸では支配層の母系継承も見られました(関連記事)。
こうした柔軟性は現代人系統のいずれかの時点で獲得されたものでしょうが、それはある程度段階的なものだったでしょうし、そもそも霊長類、その中でも現代人も含まれる類人猿系統はとくに柔軟な行動を示します(関連記事)。これが現代人の柔軟性の基盤となっているのでしょうが、現代人系統では類人猿系統の中でもとりわけ、この柔軟性が発達したのだと思います。そうした柔軟性が現生人類出現以降のことなのか、それとも現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の時点でかなりの程度備わっていたのか、現時点では明確にできません。
この問題で参考になりそうなのは、近親婚(近親交配、近親相姦)です。霊長類には、絶対的というほど強くないとはいえ、近親相姦回避の生得的な仕組みが備わっており、現代人も同様だと考えられます(関連記事)。これは、血縁関係ではなく育児というか共に生活して育つことで発動されます。現代人を除く類人猿系統はすべて、父系もしくは非母系社会を形成するので、雌が出生集団を離れていくことで、さらに近親相姦の可能性が低下します。上述したアウストラロピテクス属やパラントロプス属やネアンデルタール人の事例からは、人類系統においても、雌が出生集団を離れていくことで、さらに近親相姦の可能性を低下させていた、と推測されます。
しかし、現生人類社会においてしばしば近親婚が見られることは、歴史学などでも確認されています。近親婚が行なわれる理由としては、人口密度が希薄で、交通手段の未発達やそれとも関連した1世代での活動範囲の狭さなどによる、他集団との接触機会の少なさが考えられます。その他の理由としては、何らかの閉鎖性が考えられます。それは宗教的だったり社会身分的なものだったりするのでしょうが、高貴性と財産の保持という観点からの、古代エジプトや古代日本の王族の事例がよく該当すると言えそうです。また、更新世よりもずっと人口密度が高く、他地域よりもむしろ移住が活発で、交通手段も発達していたのに、アラブ地域やイランのように、王族のような最上級の階層に限らず、広範に長期にわたって近親婚が推奨されてきた地域もあります(関連記事)。ローマ帝国支配下のエジプトでは、きょうだい間の結婚が社会的にも法的にも認められていたようです(関連記事)。
こうした現生人類の柔軟性が、父系制に限定されない、多様な社会を構築する基盤になっているのだと思います。では、他の人類系統ではどうなのかというと、南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人個体では、自身のみならず、近い祖先の間での一般的な近親婚が推測されています(関連記事)。一方、更新世の現生人類社会では近親婚が回避されていたのではないか、と推測されています(関連記事)。そのため、近親婚の繰り返しがネアンデルタール人絶滅の要因だったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列では、近親婚の痕跡は確認されませんでしたし(関連記事)、デニソワ洞窟で発見された、ネアンデルタール人と近縁で種区分未定のデニソワ人(Denisovan)についても、近い世代での近親婚の痕跡は確認されていません(関連記事)。
更新世のホモ属においては近親婚の頻度が高かった、との推測もありますが(関連記事)、そうだとしても、基本的には近親婚を回避する傾向が強かったと推測されます。それでも、シベリアのネアンデルタール人社会において少なくとも数世代にわたって近親婚が行なわれていただろう事例は、現生人類系統ではないホモ属にも、配偶行動に関してある程度以上の柔軟性があったことを示唆します。もちろん、非現生人類ホモ属の近親婚は、宗教的あるいは社会身分的な理由ではなく、低い人口密度に起因する配偶相手の少なさが要因かもしれず、現生人類の柔軟性とは水準が異なる可能性もあります。ただ、現代人系統において、ネアンデルタール人との最終共通祖先の時点である程度以上の柔軟性が備わっており、父系制に限定されない社会が存在した可能性も無視できない、とは思います。
唯物史観で採用された「原始乱婚説」では、人類の「原始社会」は親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定されています。しかし上述したように、人類系統にはずっと近親婚を回避する生得的な認知メカニズムが備わっていた、と考えるのが妥当で、唯物史観的な「原始乱婚説」は、現在では少なくともそのままでは通用しないと思います。近年、唯物史観的な「原始乱婚説」がフェミニストの間で評価されている、との指摘もあります。その代表作と言えるかもしれない『性の進化論』を当ブログでも取り上げましたが(関連記事1および関連記事2)、人類社会における一夫一妻を基調とする通説には問題があり、今では捨てられてしまった唯物史観的な「原始乱婚説」にも改めて採るべきところがある、といったところで、唯物史観的な「原始乱婚説」とは似て非なるものだと思います。私は、『性の進化論』の見解が妥当である可能性を全否定するわけではありませんが、きわめて低いと考えていますし、仮に同書の見解が妥当だとしても、それを唯物史観の復権と評価することは妥当ではないでしょう。やはり今でも、唯物史観の悪影響にたいする批判は必要なのだと思います。
なお、『性の進化論』を取り上げたさいにも述べましたが、私は現代人系統がかつて乱婚社会を経験した、との見解にきわめて批判的です。同書でも、現代人系統の性的二形はアウストラロピテクス属の頃には大きく、ゴリラのようなハーレム社会を形成していた、と推測されています。一方、配偶行動とも密接に関連しているだろう発情徴候は、類人猿系統においてチンパンジー属系統においてのみ顕著に発達した可能性が高い、と推測されます(関連記事)。おそらく現代人系統は、マウンテンゴリラのような、親子・兄弟といった父系の血縁関係にある複数の雄が複数の雌と交尾相手を重複させずに共存する、家族に近い小規模な共同体から出発し、利他的傾向とコミュニケーション能力が強化されるような選択圧を受けた結果、一夫一妻傾向の家族を内包する大規模な共同体という、独特な社会を形成したのではないか、と思います(関連記事)。
「遅れた(未開な)」母系制社会から「社会の進歩」に伴い父系制社会に移行した、といった観念は、偏見・差別を助長するものだと思います。もちろん、それがかなりの程度妥当であれば広く認知されるべきでしょうが、少なくとも現時点では根拠薄弱で妥当性が低いのだとしたら、人類の「原始社会」は母系制だった、との見解がある程度以上受け入れられている状況は改善されるべきでしょう。これは唯物史観の悪影響の一例だと思います。唯物史観は今では否定・克服されたとして、その影響力を過大視することに否定的な人は少なくないかもしれませんが、呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』(関連記事)で指摘されているように、人々は今でも無意識のうちに唯物史観(階級闘争史観)に拘束されており、克服されたとの認識により、かえって唯物史観の影響に気づきにくくなっているのかもしれません。
この問題についてまず参考になるのは、きわめて多様な社会を構築する現代人(Homo sapiens)をのぞいて、現生類人猿系統の社会はすべて父系的もしくは非母系的である、ということです(関連記事)。また、現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の49000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、人類系統の社会は他の現生類人猿系統と同様に元々は父系的だった、と考えるのが節約的だと思います。
ただ、これまでの当ブログの記事で単純化しすぎたと反省しているのは、人類系統において少なくとも現代人は、他の霊長類とは異なり、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続け、そうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点(関連記事)を軽視していたことです。この柔軟性により、現生人類(Homo sapiens)は世界中に拡散し、大型動物としては異例なほど多くの個体数にまで拡大できたのではないか、と思います。この柔軟性が、現代人において、父系的な社会を基本としつつも、母系的な社会も構築させた要因なのだと思います。9世紀~12世紀にかけて、北アメリカ大陸では支配層の母系継承も見られました(関連記事)。
こうした柔軟性は現代人系統のいずれかの時点で獲得されたものでしょうが、それはある程度段階的なものだったでしょうし、そもそも霊長類、その中でも現代人も含まれる類人猿系統はとくに柔軟な行動を示します(関連記事)。これが現代人の柔軟性の基盤となっているのでしょうが、現代人系統では類人猿系統の中でもとりわけ、この柔軟性が発達したのだと思います。そうした柔軟性が現生人類出現以降のことなのか、それとも現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の時点でかなりの程度備わっていたのか、現時点では明確にできません。
この問題で参考になりそうなのは、近親婚(近親交配、近親相姦)です。霊長類には、絶対的というほど強くないとはいえ、近親相姦回避の生得的な仕組みが備わっており、現代人も同様だと考えられます(関連記事)。これは、血縁関係ではなく育児というか共に生活して育つことで発動されます。現代人を除く類人猿系統はすべて、父系もしくは非母系社会を形成するので、雌が出生集団を離れていくことで、さらに近親相姦の可能性が低下します。上述したアウストラロピテクス属やパラントロプス属やネアンデルタール人の事例からは、人類系統においても、雌が出生集団を離れていくことで、さらに近親相姦の可能性を低下させていた、と推測されます。
しかし、現生人類社会においてしばしば近親婚が見られることは、歴史学などでも確認されています。近親婚が行なわれる理由としては、人口密度が希薄で、交通手段の未発達やそれとも関連した1世代での活動範囲の狭さなどによる、他集団との接触機会の少なさが考えられます。その他の理由としては、何らかの閉鎖性が考えられます。それは宗教的だったり社会身分的なものだったりするのでしょうが、高貴性と財産の保持という観点からの、古代エジプトや古代日本の王族の事例がよく該当すると言えそうです。また、更新世よりもずっと人口密度が高く、他地域よりもむしろ移住が活発で、交通手段も発達していたのに、アラブ地域やイランのように、王族のような最上級の階層に限らず、広範に長期にわたって近親婚が推奨されてきた地域もあります(関連記事)。ローマ帝国支配下のエジプトでは、きょうだい間の結婚が社会的にも法的にも認められていたようです(関連記事)。
こうした現生人類の柔軟性が、父系制に限定されない、多様な社会を構築する基盤になっているのだと思います。では、他の人類系統ではどうなのかというと、南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人個体では、自身のみならず、近い祖先の間での一般的な近親婚が推測されています(関連記事)。一方、更新世の現生人類社会では近親婚が回避されていたのではないか、と推測されています(関連記事)。そのため、近親婚の繰り返しがネアンデルタール人絶滅の要因だったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列では、近親婚の痕跡は確認されませんでしたし(関連記事)、デニソワ洞窟で発見された、ネアンデルタール人と近縁で種区分未定のデニソワ人(Denisovan)についても、近い世代での近親婚の痕跡は確認されていません(関連記事)。
更新世のホモ属においては近親婚の頻度が高かった、との推測もありますが(関連記事)、そうだとしても、基本的には近親婚を回避する傾向が強かったと推測されます。それでも、シベリアのネアンデルタール人社会において少なくとも数世代にわたって近親婚が行なわれていただろう事例は、現生人類系統ではないホモ属にも、配偶行動に関してある程度以上の柔軟性があったことを示唆します。もちろん、非現生人類ホモ属の近親婚は、宗教的あるいは社会身分的な理由ではなく、低い人口密度に起因する配偶相手の少なさが要因かもしれず、現生人類の柔軟性とは水準が異なる可能性もあります。ただ、現代人系統において、ネアンデルタール人との最終共通祖先の時点である程度以上の柔軟性が備わっており、父系制に限定されない社会が存在した可能性も無視できない、とは思います。
唯物史観で採用された「原始乱婚説」では、人類の「原始社会」は親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定されています。しかし上述したように、人類系統にはずっと近親婚を回避する生得的な認知メカニズムが備わっていた、と考えるのが妥当で、唯物史観的な「原始乱婚説」は、現在では少なくともそのままでは通用しないと思います。近年、唯物史観的な「原始乱婚説」がフェミニストの間で評価されている、との指摘もあります。その代表作と言えるかもしれない『性の進化論』を当ブログでも取り上げましたが(関連記事1および関連記事2)、人類社会における一夫一妻を基調とする通説には問題があり、今では捨てられてしまった唯物史観的な「原始乱婚説」にも改めて採るべきところがある、といったところで、唯物史観的な「原始乱婚説」とは似て非なるものだと思います。私は、『性の進化論』の見解が妥当である可能性を全否定するわけではありませんが、きわめて低いと考えていますし、仮に同書の見解が妥当だとしても、それを唯物史観の復権と評価することは妥当ではないでしょう。やはり今でも、唯物史観の悪影響にたいする批判は必要なのだと思います。
なお、『性の進化論』を取り上げたさいにも述べましたが、私は現代人系統がかつて乱婚社会を経験した、との見解にきわめて批判的です。同書でも、現代人系統の性的二形はアウストラロピテクス属の頃には大きく、ゴリラのようなハーレム社会を形成していた、と推測されています。一方、配偶行動とも密接に関連しているだろう発情徴候は、類人猿系統においてチンパンジー属系統においてのみ顕著に発達した可能性が高い、と推測されます(関連記事)。おそらく現代人系統は、マウンテンゴリラのような、親子・兄弟といった父系の血縁関係にある複数の雄が複数の雌と交尾相手を重複させずに共存する、家族に近い小規模な共同体から出発し、利他的傾向とコミュニケーション能力が強化されるような選択圧を受けた結果、一夫一妻傾向の家族を内包する大規模な共同体という、独特な社会を形成したのではないか、と思います(関連記事)。
この記事へのコメント