Richard Brian Ferguson「戦争は人間の本能か」
『日経サイエンス』2018年12月号の特集「新・人類学 ヒトはなぜ人間になったのか」第2部「「他者」とのかかわり」に掲載された解説です。戦争の起源をめぐっては議論が続いています。本論文は、この議論は二つの両極的立場を中心に展開している、と把握しています。一方は、戦争はヒトが進化において潜在的競争を排除するために獲得した傾向で、チンパンジーとの共通祖先の時代から常に戦争してきた、と想定する「タカ派」です。もう一方は、武力紛争はここ数千年で登場したにすぎず、社会的条件の変化により集団殺戮の動機と組織が生まれたとする「ハト派」です。
著者はハト派の立場であることを明らかにしていますが、この議論については証拠の解釈が難しく、そもそも証拠が少ないことから、現時点では断定できない、と慎重な姿勢を示しています。戦争の起源をめぐる議論について、かなり単純化した整理をしているのではないか、とも思うのですが、証拠の少なさと解釈の難しさからタカ派説の可能性も認めているところは、良心的だと思います。本論文は、ヒトには戦争を行なう能力が備わっているものの、集団的争いにおいて部外者を特定して殺すよう、生まれながら脳にプログラムされているわけではなく、とくに農耕開始以降の社会の複雑化・大規模化により戦争が起きるようになったのではないか、と推測しています。
率直に言って、「集団的争いにおいて部外者を特定して殺すよう、生まれながら脳にプログラムされている」との認識は、タカ派を戯画化したものだと思います。タカ派の主張らも著者の主張とかなり近いところがあり、ヒトには戦争を遂行する能力があり、条件(環境)次第でそれが発動される、という点は共通しているのではないか、と思います。両者の違いは、戦争の起きやすい環境が更新世にすでに存在したのか、それとも基本的には農耕開始以降なのか、ということでしょう。
本論文の二分法に従えば、私は以前ハト派でしたが、現在ではタカ派です。確かに、更新世には人口密度が低く、争いになりそうで被害が大きそうだと判断したら、移動すればよい、とも考えられます。しかし、更新世にも水・植物・動物・石材といった資源に偏りはあったはずですし、完新世よりも気候が不安定な中で、飢餓に陥る可能性は低くなかったのではないか、と思います。また、女性も争いの大きな要因だったのではないか、と私は考えています。きわめて多様な社会を構築する現代人を除いて、現生類人猿系統はすべて父系社会もしくは非母系社会を構成しています(関連記事)。おそらく人類系統の社会でも、他の現生類人猿系統と同じく、女性が出生集団から離れていったのではないか、と思います。人口密度の低い更新世において、繁殖相手をめぐって、男性が主体となって時として集団間の闘争が起きていたのではないか、と私は想定しています。
もちろん、食資源や女性をめぐって常に集団間で争いが起きていたわけではなく、石材や人工物などの交換(関連記事)を通じての「友好的な」関係の構築も多かったのでしょうが、完新世よりも気候が不安定な更新世において、友好関係を築くよりも先制攻撃により収奪する方が効率的だ、との判断がとても無視できない程度の割合でなされたのではないか、と私は推測しています。「戦争は人間の本能」と言うと間違いですし、そのような単純な見解を主張している「タカ派」の研究者がいるとも思えませんが、ヒトの認知メカニズムは、人類史において一般的だった環境において、戦争も含む暴力を容易に発動してきたのではないか、と私は考えています。この機会に、以下に戦争の起源に関する当ブログの記事をまとめておきます。
社会的余剰と生活水準と戦争の起源について
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_14.html
現代的行動の起源にかんする2つの研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200906article_9.html
チンパンジーの攻撃性
https://sicambre.seesaa.net/article/201409article_23.html
Azar Gat『文明と戦争』上・下(再版)
https://sicambre.seesaa.net/article/201410article_10.html
出アフリカ時の現生人類社会
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_6.html
出アフリカ時の現生人類社会(続編)
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_10.html
採集民社会における暴力と戦争の起源
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_16.html
Steven Pinker『暴力の人類史』上・下
https://sicambre.seesaa.net/article/201502article_12.html
1万年前頃の狩猟採集民集団間の暴力
https://sicambre.seesaa.net/article/201601article_23.html
縄文時代における暴力死亡率
https://sicambre.seesaa.net/article/201604article_2.html
人間の致死的暴力の起源(追記有)
https://sicambre.seesaa.net/article/201610article_2.html
自然信仰
https://sicambre.seesaa.net/article/201610article_9.html
松本直子「人類史における戦争の位置づけ 考古学からの考察」
https://sicambre.seesaa.net/article/201707article_5.html
山極寿一『家族進化論』第4刷
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_13.html
参考文献:
Ferguson RB. (2018)、中尾央訳「戦争は人間の本能か」『日経サイエンス』2018年12月号P74-80
著者はハト派の立場であることを明らかにしていますが、この議論については証拠の解釈が難しく、そもそも証拠が少ないことから、現時点では断定できない、と慎重な姿勢を示しています。戦争の起源をめぐる議論について、かなり単純化した整理をしているのではないか、とも思うのですが、証拠の少なさと解釈の難しさからタカ派説の可能性も認めているところは、良心的だと思います。本論文は、ヒトには戦争を行なう能力が備わっているものの、集団的争いにおいて部外者を特定して殺すよう、生まれながら脳にプログラムされているわけではなく、とくに農耕開始以降の社会の複雑化・大規模化により戦争が起きるようになったのではないか、と推測しています。
率直に言って、「集団的争いにおいて部外者を特定して殺すよう、生まれながら脳にプログラムされている」との認識は、タカ派を戯画化したものだと思います。タカ派の主張らも著者の主張とかなり近いところがあり、ヒトには戦争を遂行する能力があり、条件(環境)次第でそれが発動される、という点は共通しているのではないか、と思います。両者の違いは、戦争の起きやすい環境が更新世にすでに存在したのか、それとも基本的には農耕開始以降なのか、ということでしょう。
本論文の二分法に従えば、私は以前ハト派でしたが、現在ではタカ派です。確かに、更新世には人口密度が低く、争いになりそうで被害が大きそうだと判断したら、移動すればよい、とも考えられます。しかし、更新世にも水・植物・動物・石材といった資源に偏りはあったはずですし、完新世よりも気候が不安定な中で、飢餓に陥る可能性は低くなかったのではないか、と思います。また、女性も争いの大きな要因だったのではないか、と私は考えています。きわめて多様な社会を構築する現代人を除いて、現生類人猿系統はすべて父系社会もしくは非母系社会を構成しています(関連記事)。おそらく人類系統の社会でも、他の現生類人猿系統と同じく、女性が出生集団から離れていったのではないか、と思います。人口密度の低い更新世において、繁殖相手をめぐって、男性が主体となって時として集団間の闘争が起きていたのではないか、と私は想定しています。
もちろん、食資源や女性をめぐって常に集団間で争いが起きていたわけではなく、石材や人工物などの交換(関連記事)を通じての「友好的な」関係の構築も多かったのでしょうが、完新世よりも気候が不安定な更新世において、友好関係を築くよりも先制攻撃により収奪する方が効率的だ、との判断がとても無視できない程度の割合でなされたのではないか、と私は推測しています。「戦争は人間の本能」と言うと間違いですし、そのような単純な見解を主張している「タカ派」の研究者がいるとも思えませんが、ヒトの認知メカニズムは、人類史において一般的だった環境において、戦争も含む暴力を容易に発動してきたのではないか、と私は考えています。この機会に、以下に戦争の起源に関する当ブログの記事をまとめておきます。
社会的余剰と生活水準と戦争の起源について
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_14.html
現代的行動の起源にかんする2つの研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200906article_9.html
チンパンジーの攻撃性
https://sicambre.seesaa.net/article/201409article_23.html
Azar Gat『文明と戦争』上・下(再版)
https://sicambre.seesaa.net/article/201410article_10.html
出アフリカ時の現生人類社会
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_6.html
出アフリカ時の現生人類社会(続編)
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_10.html
採集民社会における暴力と戦争の起源
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_16.html
Steven Pinker『暴力の人類史』上・下
https://sicambre.seesaa.net/article/201502article_12.html
1万年前頃の狩猟採集民集団間の暴力
https://sicambre.seesaa.net/article/201601article_23.html
縄文時代における暴力死亡率
https://sicambre.seesaa.net/article/201604article_2.html
人間の致死的暴力の起源(追記有)
https://sicambre.seesaa.net/article/201610article_2.html
自然信仰
https://sicambre.seesaa.net/article/201610article_9.html
松本直子「人類史における戦争の位置づけ 考古学からの考察」
https://sicambre.seesaa.net/article/201707article_5.html
山極寿一『家族進化論』第4刷
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_13.html
参考文献:
Ferguson RB. (2018)、中尾央訳「戦争は人間の本能か」『日経サイエンス』2018年12月号P74-80
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