2018年の古人類学界
あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2018年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。
(1)今年も大きく進展した古代DNA研究。
(2)現生人類の起源と拡散をめぐる議論。
(3)さかのぼる芸術活動の痕跡。
(1)古代DNA研究は近年目覚ましい発展を遂げている分野で、今年も注目すべき研究が多数公表されました。正直なところ、この分野に関しては最新の主要な研究を把握することがほとんどできておらず、よく整理できていません。しかし、当ブログだけでも今年それなりの数の研究を取り上げてきたので、数行程度の簡単な内容紹介で関連記事を掲載していき、今後の整理に役立てようと考えています。
この分野の近年の知見をまとめたものとして、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』は必読で、当分はこの分野について学ぶさいの基本文献となるでしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_44.html
総説的な論文としては、現生人類と古代型ホモ属との交雑の論点を整理したものや、
https://sicambre.seesaa.net/article/201806article_8.html
中期更新世~青銅器時代までのヨーロッパの人類史をまとめたものがあります。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_30.html
古代型ホモ属の古代DNA研究で今年最も注目されたのは、やはりネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の交雑第一世代個体が発見されたことでしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_36.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_41.html
後期ネアンデルタール人の新たなゲノム配列を報告した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_33.html
現生人類(Homo sapiens)とデニソワ人との複数回の交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_24.html
現生人類とネアンデルタール人の複数回の交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_51.html
ネアンデルタール人との交雑から現代人の頭蓋形状の遺伝的基盤を推測した研究も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_20.html
現生人類の古代DNA研究に関しては、これまで地域的偏りがありました。最も進んでいるのはヨーロッパで、これは、ヨーロッパが学術も含めて近代化を主導し、開発も進んでいることから発掘機会が多く、DNAの保存に比較的適した地域である、という好条件がそろっているからだと思います。ヨーロッパよりも古代DNAに適した地域もありますが、そうした地域はヨーロッパよりも寒冷なので人口密度が低く、その分人類遺骸発見の可能性が低い、という問題があります。今年も、ヨーロッパに関しては多くの古代DNA研究が報告されており、当ブログでもいくつか取り上げましたが、とてもすべてを追いかけることはできませんでした。当ブログで取り上げたなかでは、ブリテン島における4500年前頃の大規模な置換の可能性を報告した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_28.html
ヨーロッパ以外の地域の古代DNA研究も飛躍的に発展しつつあります。ヨーロッパも含めたユーラシア西部では、インド・ヨーロッパ語族の拡散に関して有力説に見直しを迫る研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_20.html
比較的緯度の低い地域では、レヴァント南部の新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代へといたる住民の遺伝的構成を調査した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_35.html
ヨーロッパとの関連で、ユーラシア内陸の草原地帯の古代DNA研究は以前から比較的進んでいましたが、今年は、青銅器時代~鉄器時代の遊牧民集団の変遷を調査した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_11.html
これまで古代DNA研究が遅れていた南アジアでも研究が着実に進展しているようで、インダス文化の担い手がどのような遺伝的構成だったのか、今後明らかになっていくのではないか、と期待されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_4.html
ユーラシア東部は、ヨーロッパだけではなく、ヨーロッパも含めてユーラシア西部という枠組みとの比較でも、古代DNA研究が大きく遅れている、と言えるでしょう。しかし、今年は東南アジアで研究の大きな進展が見られ、東南アジア集団はヨーロッパと同じく複数回の主要な移住により形成された、と明らかになりつつあります。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_29.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_11.html
また、牧畜が始まった頃のユーラシア東方草原地帯の古代DNA研究も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_11.html
日本列島に関しては、古墳時代や
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_47.html
弥生時代のDNA解析結果が報告されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_35.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_33.html
今後、縄文時代から江戸時代までの古代DNA研究が充実していくよう、期待しています。
低緯度地帯、とくに熱帯地域はDNAの保存に適していないのですが、解析技術の飛躍的発展により、低緯度地帯の古代DNA研究も蓄積されつつあります。今年はバヌアツの事例が注目されますが、ほぼ全面的な遺伝的置換が起きたにも関わらず、言語は先住民のものが使用されていると考えられることもたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_6.html
アメリカ大陸は、人類の拡散が他地域よりずっと遅かったこともありますし、高緯度地帯や高地で比較的低温の低緯度地域もあることから、古代DNA研究にとって好条件と言えるでしょう。最も注目されるのは大規模な古代DNA研究で、データの量と質を大きく発展させたという点で画期的です。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_15.html
また、比較的低緯度で高温のバハマで古代DNA解析に成功したことも注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_27.html
(2)下記の昨年のまとめ記事でも取り上げましたが、近年では、現生人類集団の出アフリカの年代がじゅうらいの想定(6万~5万年前頃)よりもさかのぼることを示す報告が相次いでいます。もっとも、この場合の現生人類の出アフリカとは、あくまでも非アフリカ系現代人の主要な祖先集団のことで、すでにレヴァントでは10万年前頃となる現生人類の早期の拡散が確認されていました。しかし、こうした早期の拡散は、「失敗」し、絶滅したか、アフリカに「戻った」と考えられてきました。今年になって、レヴァントで2002年に発見された上顎の年代を、じゅうらいのアフリカ外最古の現生人類の年代よりもさかのぼる、194000~177000年前頃と推定した研究が公表されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/201801article_27.html
この年代に関しては疑問も呈されていますが、反論も提示されており、形態の評価という問題も残されてはいるものの、現時点ではアフリカ外最古の現生人類化石である可能性が高そうです。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_58.html
アラビア半島において10万年前頃に現生人類が存在していた可能性は以前から指摘されていましたが、2016年に発見された現生人類の指骨が88000年前頃と推定されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/201804article_11.html
ただ、昨年までに公表された、じゅうらいの想定よりもさかのぼるユーラシア東部やオセアニアへの現生人類拡散の証拠については、慎重な見解も提示されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_29.html
それでも、すでに複数の遺跡での報告がありますし、今後さらに新たな発見が期待できますから、現生人類の出アフリカとレヴァントよりもさらにアフリカから遠方の地域への拡散は、じゅうらいの想定よりもさかのぼる可能性は高そうです。そうした状況も踏まえて、現生人類の起源に関して、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が出現した、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_20.html
これと関連して、現生人類は人類系統で初めて、複数の極限環境を含む多様な環境に適応した、との見解も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_47.html
その極限環境への適応の一例である、海抜4000m以上となるような高地における、ある程度は継続的な人類の居住の確実な痕跡が、チベット高原において4万年以上前までさかのぼることを報告した研究は注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_1.html
(3)芸術活動の痕跡について、今年最も注目を集めたのは、ネアンデルタール人の所産とされたイベリア半島の複数の洞窟の壁画でしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_33.html
これにたいしては、年代に疑問も呈されていますが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_33.html
反論も提示されており、ネアンデルタール人が6万年以上前にヨーロッパで洞窟壁画を描いていた可能性は高いと思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_23.html
もはや、ネアンデルタール人に一定以上の象徴的思考能力があったことはほぼ間違いなく、今年は他にも、11万年以上前になるネアンデルタール人による貝殻と顔料の象徴的使用の可能性や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_34.html
ネアンデルタール人による石の意図的な線刻の可能性が報告されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_9.html
現生人類に関しても、アフリカ南部の73000年前頃の描画や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_19.html
ボルネオ島の4万年以上前の洞窟壁画が報告されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_13.html
とくにボルネオ島の事例は、ヨーロッパと比較して更新世の芸術の痕跡がずっと貧弱だった東南アジアの事例(東アジアも同様ですが)という点でも注目されます。
上記の3区分に当てはまりませんが、東アジア北部において、人類の痕跡が212万年前頃までさかのぼる可能性を報告した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_19.html
まだほとんど読んでいないものの、アフリカ南部のアウストラロピテクス属化石「リトルフット」に関する一連の研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_27.html
ルソン島における70万年前頃の人類の痕跡を報告した研究がたいへん注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_5.html
この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。
2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_27.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_28.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_29.html
2007年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200712article_28.html
2008年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200812article_25.html
2009年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200912article_25.html
2010年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_26.html
2011年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201112article_24.html
2012年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_26.html
2013年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201312article_33.html
2014年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201412article_32.html
2015年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201512article_31.html
2016年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201612article_29.html
2017年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201712article_29.html
(1)今年も大きく進展した古代DNA研究。
(2)現生人類の起源と拡散をめぐる議論。
(3)さかのぼる芸術活動の痕跡。
(1)古代DNA研究は近年目覚ましい発展を遂げている分野で、今年も注目すべき研究が多数公表されました。正直なところ、この分野に関しては最新の主要な研究を把握することがほとんどできておらず、よく整理できていません。しかし、当ブログだけでも今年それなりの数の研究を取り上げてきたので、数行程度の簡単な内容紹介で関連記事を掲載していき、今後の整理に役立てようと考えています。
この分野の近年の知見をまとめたものとして、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』は必読で、当分はこの分野について学ぶさいの基本文献となるでしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_44.html
総説的な論文としては、現生人類と古代型ホモ属との交雑の論点を整理したものや、
https://sicambre.seesaa.net/article/201806article_8.html
中期更新世~青銅器時代までのヨーロッパの人類史をまとめたものがあります。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_30.html
古代型ホモ属の古代DNA研究で今年最も注目されたのは、やはりネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の交雑第一世代個体が発見されたことでしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_36.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_41.html
後期ネアンデルタール人の新たなゲノム配列を報告した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_33.html
現生人類(Homo sapiens)とデニソワ人との複数回の交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_24.html
現生人類とネアンデルタール人の複数回の交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_51.html
ネアンデルタール人との交雑から現代人の頭蓋形状の遺伝的基盤を推測した研究も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_20.html
現生人類の古代DNA研究に関しては、これまで地域的偏りがありました。最も進んでいるのはヨーロッパで、これは、ヨーロッパが学術も含めて近代化を主導し、開発も進んでいることから発掘機会が多く、DNAの保存に比較的適した地域である、という好条件がそろっているからだと思います。ヨーロッパよりも古代DNAに適した地域もありますが、そうした地域はヨーロッパよりも寒冷なので人口密度が低く、その分人類遺骸発見の可能性が低い、という問題があります。今年も、ヨーロッパに関しては多くの古代DNA研究が報告されており、当ブログでもいくつか取り上げましたが、とてもすべてを追いかけることはできませんでした。当ブログで取り上げたなかでは、ブリテン島における4500年前頃の大規模な置換の可能性を報告した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_28.html
ヨーロッパ以外の地域の古代DNA研究も飛躍的に発展しつつあります。ヨーロッパも含めたユーラシア西部では、インド・ヨーロッパ語族の拡散に関して有力説に見直しを迫る研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_20.html
比較的緯度の低い地域では、レヴァント南部の新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代へといたる住民の遺伝的構成を調査した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201808article_35.html
ヨーロッパとの関連で、ユーラシア内陸の草原地帯の古代DNA研究は以前から比較的進んでいましたが、今年は、青銅器時代~鉄器時代の遊牧民集団の変遷を調査した研究が注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_11.html
これまで古代DNA研究が遅れていた南アジアでも研究が着実に進展しているようで、インダス文化の担い手がどのような遺伝的構成だったのか、今後明らかになっていくのではないか、と期待されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_4.html
ユーラシア東部は、ヨーロッパだけではなく、ヨーロッパも含めてユーラシア西部という枠組みとの比較でも、古代DNA研究が大きく遅れている、と言えるでしょう。しかし、今年は東南アジアで研究の大きな進展が見られ、東南アジア集団はヨーロッパと同じく複数回の主要な移住により形成された、と明らかになりつつあります。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_29.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_11.html
また、牧畜が始まった頃のユーラシア東方草原地帯の古代DNA研究も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_11.html
日本列島に関しては、古墳時代や
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_47.html
弥生時代のDNA解析結果が報告されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_35.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_33.html
今後、縄文時代から江戸時代までの古代DNA研究が充実していくよう、期待しています。
低緯度地帯、とくに熱帯地域はDNAの保存に適していないのですが、解析技術の飛躍的発展により、低緯度地帯の古代DNA研究も蓄積されつつあります。今年はバヌアツの事例が注目されますが、ほぼ全面的な遺伝的置換が起きたにも関わらず、言語は先住民のものが使用されていると考えられることもたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_6.html
アメリカ大陸は、人類の拡散が他地域よりずっと遅かったこともありますし、高緯度地帯や高地で比較的低温の低緯度地域もあることから、古代DNA研究にとって好条件と言えるでしょう。最も注目されるのは大規模な古代DNA研究で、データの量と質を大きく発展させたという点で画期的です。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_15.html
また、比較的低緯度で高温のバハマで古代DNA解析に成功したことも注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_27.html
(2)下記の昨年のまとめ記事でも取り上げましたが、近年では、現生人類集団の出アフリカの年代がじゅうらいの想定(6万~5万年前頃)よりもさかのぼることを示す報告が相次いでいます。もっとも、この場合の現生人類の出アフリカとは、あくまでも非アフリカ系現代人の主要な祖先集団のことで、すでにレヴァントでは10万年前頃となる現生人類の早期の拡散が確認されていました。しかし、こうした早期の拡散は、「失敗」し、絶滅したか、アフリカに「戻った」と考えられてきました。今年になって、レヴァントで2002年に発見された上顎の年代を、じゅうらいのアフリカ外最古の現生人類の年代よりもさかのぼる、194000~177000年前頃と推定した研究が公表されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/201801article_27.html
この年代に関しては疑問も呈されていますが、反論も提示されており、形態の評価という問題も残されてはいるものの、現時点ではアフリカ外最古の現生人類化石である可能性が高そうです。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_58.html
アラビア半島において10万年前頃に現生人類が存在していた可能性は以前から指摘されていましたが、2016年に発見された現生人類の指骨が88000年前頃と推定されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/201804article_11.html
ただ、昨年までに公表された、じゅうらいの想定よりもさかのぼるユーラシア東部やオセアニアへの現生人類拡散の証拠については、慎重な見解も提示されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_29.html
それでも、すでに複数の遺跡での報告がありますし、今後さらに新たな発見が期待できますから、現生人類の出アフリカとレヴァントよりもさらにアフリカから遠方の地域への拡散は、じゅうらいの想定よりもさかのぼる可能性は高そうです。そうした状況も踏まえて、現生人類の起源に関して、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が出現した、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_20.html
これと関連して、現生人類は人類系統で初めて、複数の極限環境を含む多様な環境に適応した、との見解も注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_47.html
その極限環境への適応の一例である、海抜4000m以上となるような高地における、ある程度は継続的な人類の居住の確実な痕跡が、チベット高原において4万年以上前までさかのぼることを報告した研究は注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_1.html
(3)芸術活動の痕跡について、今年最も注目を集めたのは、ネアンデルタール人の所産とされたイベリア半島の複数の洞窟の壁画でしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_33.html
これにたいしては、年代に疑問も呈されていますが、
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_33.html
反論も提示されており、ネアンデルタール人が6万年以上前にヨーロッパで洞窟壁画を描いていた可能性は高いと思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/201810article_23.html
もはや、ネアンデルタール人に一定以上の象徴的思考能力があったことはほぼ間違いなく、今年は他にも、11万年以上前になるネアンデルタール人による貝殻と顔料の象徴的使用の可能性や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201802article_34.html
ネアンデルタール人による石の意図的な線刻の可能性が報告されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_9.html
現生人類に関しても、アフリカ南部の73000年前頃の描画や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201809article_19.html
ボルネオ島の4万年以上前の洞窟壁画が報告されており、
https://sicambre.seesaa.net/article/201811article_13.html
とくにボルネオ島の事例は、ヨーロッパと比較して更新世の芸術の痕跡がずっと貧弱だった東南アジアの事例(東アジアも同様ですが)という点でも注目されます。
上記の3区分に当てはまりませんが、東アジア北部において、人類の痕跡が212万年前頃までさかのぼる可能性を報告した研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_19.html
まだほとんど読んでいないものの、アフリカ南部のアウストラロピテクス属化石「リトルフット」に関する一連の研究や、
https://sicambre.seesaa.net/article/201812article_27.html
ルソン島における70万年前頃の人類の痕跡を報告した研究がたいへん注目されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_5.html
この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。
2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_27.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_28.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_29.html
2007年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200712article_28.html
2008年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200812article_25.html
2009年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/200912article_25.html
2010年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_26.html
2011年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201112article_24.html
2012年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_26.html
2013年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201312article_33.html
2014年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201412article_32.html
2015年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201512article_31.html
2016年の古人類学界の回顧
https://sicambre.seesaa.net/article/201612article_29.html
2017年の古人類学界の回顧
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