更新世~完新世にかけてのリアンブア洞窟の石材と動物相の変遷
インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡における、更新世~完新世にかけての石器の材料と動物相の変遷に関する研究(Sutikna et al., 2018)が公表されました。リアンブア洞窟では、更新世の層で現生人類(Homo sapiens)とは異なるホモ属種であるフロレシエンシス(Homo floresiensis)が発見されています。フロレシエンシスについては、2016年に研究の大きな進展がありました(関連記事)。フロレシエンシスの遺骸の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と推測される石器群の下限年代は5万年前頃と推定されています(関連記事)。本論文は、この新たな年代観に基づき、更新世~完新世にかけてのリアンブア洞窟の石材と動物相の変遷を検証しています。
本論文が検証したのは、リアンブア洞窟の19万年前頃~現代までの各層です。この間のリアンブア洞窟は、第1層から第8層に区分されています。第1層は19万~6万年前頃(さらに19万~12万年前頃のA層と12万~6万年前頃のB層に区分されます)、第2層は6万~5万年前頃、第3層は50000~47000年前頃、第4層は47000~46000年前頃、第5層は46000~18000年前頃、第6層は18000~13000年前頃、第7層は13000~12000年前頃、第8層は12000年前頃以降となります。第3層はほぼ火山砕屑物で、第7層も上下2層の火山砕屑物でほぼ構成されています。第7層では上下2層の火山砕屑物の間のわずかか時期に動物相が確認されていますが、第3層では人類の痕跡も含めて動物相が確認されていません。
リアンブア洞窟では、5万年前頃に動物相でも石材でも大きな変化が見られます。第3層の火山砕屑物T3の後には、リアンブア洞窟ではフロレシエンシスも含めて体重約3kg以上の大型動物が考古学的記録から消えます。それは、小型のステゴドン(Stegodon florensis insularis)や巨大なコウノトリ(Leptoptilos robustus)やハゲワシ(Trigonoceps sp.)です。もっとも、小型のステゴドンとはいっても、成体の推定平均体重が、その祖先と考えられる85万~70万年前頃の約1703kgの大型ステゴドン(Stegodon florensis florensis)と比較すると、約569kgと軽い、ということですが。T3をもたらした噴火は、フローレス島の生態系に大きな影響を及ぼしたようです。
石材の選好性でも、第3層のT3を境に大きな変化が見られます。第1層と第2層では、石材に関しては珪化凝灰岩が優占しますが、第3層以降は珪化凝灰岩と燵岩(チャート)の比率がさほど変わらず、やや燵岩の比率の方が高くなります。動物相とともに石材選好性もT3を境に大きく変化したことについて、本論文は二つの可能性を提示しています。一方は、T3をもたらした噴火後もフロレシエンシスがフローレス島で生き残っており、リアンブア洞窟に戻ってきた、というものです。
もう一つは、フロレシエンシスはT3以降に絶滅したかフローレス島の他の場所を生活圏としたためリアンブア洞窟に戻らず、石材選好性の顕著な変化は現生人類の出現に起因する、というものです。また本論文は、可能性は低いと指摘しつつも、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)のようなフローレス島では未確認の人類が新たにリアンブア洞窟にやってきた可能性も提示しています。フローレス島もそうですが、東南アジア島嶼部の場合、石器技術では様式1(Mode 1)のオルドワン(Oldowan)のような石器が前期更新世~完新世にかけて継続しました。しかし、上述した石材選好性もそうですが、更新世と完新世とでは、石器の研磨や加熱処理など、完新世になって新要素が見られるようになることも指摘されています(関連記事)。また、軟体動物のような水生および陸生の無脊椎動物が優位に増加することも、T3以降の変化です。こうしたことから、46000年前頃までに現生人類がリアンブア洞窟を利用するようになった可能性が高い、と考えられます。
ただ、本論文も認めるように、末期フロレシエンシス集団とフローレス島最初の現生人類集団との間で接触があったのか、まだ不明です。近年、東南アジアやオセアニアにおける6万年以上前の現生人類到達の可能性を提示する研究が相次いで報告されており、たとえばオーストラリアでは65000年前頃(関連記事)、スマトラ島では73000~63000年前頃(関連記事)における現生人類存在の可能性が指摘されています。これらの研究が妥当だとすると、フロレシエンシスと現生人類との接触の可能性は低くないと思います。
もっとも、これら6万年以上前の東南アジアやオセアニアの初期現生人類が、現代人の主要な祖先集団なのか不明ですし、それらの根拠に疑問も呈されていますが(関連記事)、複数の報告があることから、フローレス島にも5万年以上前に現生人類が到達し、フローレス島でのフロレシエンシスも含む大型動物の絶滅要因になった、という可能性は無視できるほど低いものではない、と思います。じっさい、東ティモールの後期更新世の石器とリアンブア洞窟の更新世の石器の類似性は、フロレシエンシスと現生人類との接触の証拠となるかもしれません(関連記事)。ただ、現時点での証拠からは、フロレシエンシスと現生人類との接触の可能性は無視できないとしても、T3をもたらした噴火による生態系への大打撃により、フロレシエンシスも含むフローレス島の大型動物は絶滅した、と考えるのが最も節約的であるように思います。
参考文献:
Sutikna T. et al.(2018): The spatio-temporal distribution of archaeological and faunal finds at Liang Bua (Flores, Indonesia) in light of the revised chronology for Homo floresiensis. Journal of Human Evolution, 124, 52–74.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2018.07.001
本論文が検証したのは、リアンブア洞窟の19万年前頃~現代までの各層です。この間のリアンブア洞窟は、第1層から第8層に区分されています。第1層は19万~6万年前頃(さらに19万~12万年前頃のA層と12万~6万年前頃のB層に区分されます)、第2層は6万~5万年前頃、第3層は50000~47000年前頃、第4層は47000~46000年前頃、第5層は46000~18000年前頃、第6層は18000~13000年前頃、第7層は13000~12000年前頃、第8層は12000年前頃以降となります。第3層はほぼ火山砕屑物で、第7層も上下2層の火山砕屑物でほぼ構成されています。第7層では上下2層の火山砕屑物の間のわずかか時期に動物相が確認されていますが、第3層では人類の痕跡も含めて動物相が確認されていません。
リアンブア洞窟では、5万年前頃に動物相でも石材でも大きな変化が見られます。第3層の火山砕屑物T3の後には、リアンブア洞窟ではフロレシエンシスも含めて体重約3kg以上の大型動物が考古学的記録から消えます。それは、小型のステゴドン(Stegodon florensis insularis)や巨大なコウノトリ(Leptoptilos robustus)やハゲワシ(Trigonoceps sp.)です。もっとも、小型のステゴドンとはいっても、成体の推定平均体重が、その祖先と考えられる85万~70万年前頃の約1703kgの大型ステゴドン(Stegodon florensis florensis)と比較すると、約569kgと軽い、ということですが。T3をもたらした噴火は、フローレス島の生態系に大きな影響を及ぼしたようです。
石材の選好性でも、第3層のT3を境に大きな変化が見られます。第1層と第2層では、石材に関しては珪化凝灰岩が優占しますが、第3層以降は珪化凝灰岩と燵岩(チャート)の比率がさほど変わらず、やや燵岩の比率の方が高くなります。動物相とともに石材選好性もT3を境に大きく変化したことについて、本論文は二つの可能性を提示しています。一方は、T3をもたらした噴火後もフロレシエンシスがフローレス島で生き残っており、リアンブア洞窟に戻ってきた、というものです。
もう一つは、フロレシエンシスはT3以降に絶滅したかフローレス島の他の場所を生活圏としたためリアンブア洞窟に戻らず、石材選好性の顕著な変化は現生人類の出現に起因する、というものです。また本論文は、可能性は低いと指摘しつつも、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)のようなフローレス島では未確認の人類が新たにリアンブア洞窟にやってきた可能性も提示しています。フローレス島もそうですが、東南アジア島嶼部の場合、石器技術では様式1(Mode 1)のオルドワン(Oldowan)のような石器が前期更新世~完新世にかけて継続しました。しかし、上述した石材選好性もそうですが、更新世と完新世とでは、石器の研磨や加熱処理など、完新世になって新要素が見られるようになることも指摘されています(関連記事)。また、軟体動物のような水生および陸生の無脊椎動物が優位に増加することも、T3以降の変化です。こうしたことから、46000年前頃までに現生人類がリアンブア洞窟を利用するようになった可能性が高い、と考えられます。
ただ、本論文も認めるように、末期フロレシエンシス集団とフローレス島最初の現生人類集団との間で接触があったのか、まだ不明です。近年、東南アジアやオセアニアにおける6万年以上前の現生人類到達の可能性を提示する研究が相次いで報告されており、たとえばオーストラリアでは65000年前頃(関連記事)、スマトラ島では73000~63000年前頃(関連記事)における現生人類存在の可能性が指摘されています。これらの研究が妥当だとすると、フロレシエンシスと現生人類との接触の可能性は低くないと思います。
もっとも、これら6万年以上前の東南アジアやオセアニアの初期現生人類が、現代人の主要な祖先集団なのか不明ですし、それらの根拠に疑問も呈されていますが(関連記事)、複数の報告があることから、フローレス島にも5万年以上前に現生人類が到達し、フローレス島でのフロレシエンシスも含む大型動物の絶滅要因になった、という可能性は無視できるほど低いものではない、と思います。じっさい、東ティモールの後期更新世の石器とリアンブア洞窟の更新世の石器の類似性は、フロレシエンシスと現生人類との接触の証拠となるかもしれません(関連記事)。ただ、現時点での証拠からは、フロレシエンシスと現生人類との接触の可能性は無視できないとしても、T3をもたらした噴火による生態系への大打撃により、フロレシエンシスも含むフローレス島の大型動物は絶滅した、と考えるのが最も節約的であるように思います。
参考文献:
Sutikna T. et al.(2018): The spatio-temporal distribution of archaeological and faunal finds at Liang Bua (Flores, Indonesia) in light of the revised chronology for Homo floresiensis. Journal of Human Evolution, 124, 52–74.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2018.07.001
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