小野林太郎「後期更新世~完新世期のウォーレシアにおける石器・骨器利用」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A02「ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」の2017年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 11)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P12-25)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。
オーストラリア大陸(更新世の寒冷期には、ニューギニア島やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)への現生人類(Homo sapiens)最初の移住年代に関しては、6万年以上前までさかのぼる可能性も指摘されています(関連記事)。一方、オーストラリア大陸への移住経路だったと思われる東南アジア海域では、5万年以上前までさかのぼる確実な現生人類の遺跡はまだ発見されていない、と本論文は指摘します。ただ、スマトラ島の73000~63000年前頃の現生人類的な歯が報告されています(関連記事)。とはいえ、全体的に、5万年前頃前後とされる現生人類の痕跡は、オーストラリアの方が東南アジアよりも多い、とは言えそうです。ただ、5万年以上前までさかのぼる東南アジアやオセアニアへの現生人類の拡散については、慎重な見解も提示されています(関連記事)。
本論文は、現在の東インドネシア域に相当するウォーレシア海域を検証対象としています。ウォーレシア海域は、現在より海面が低かった最終氷期においても、渡海による移動が求められる島嶼地域でした。ウォーレシア海域は、オーストラリア大陸を含むサフルランドへの移住のさいの前哨基地と言えます。しかし、当時においても、最も近いティモール島からオーストラリア沿岸までは、80km以上の距離を渡海する必要があったと推測されています。この渡海距離は、当時の現生人類による渡海としては最長で、その出発地となった東南アジア海域において、人類による海洋適応が進んだ結果とも考えられてきました。
本論文は、サフルランドへの移住経路の一つとして注目されながら、考古学的研究が遅れていたスラウェシ中部沿岸からマルク諸島を通ってニューギニア島の西端まで連なる島々を検証対象とし、とくに、中スラウェシ州モロワリ県の沿岸から3.5km内陸にある石灰岩丘陵上に形成されている(標高約90m)、トポガロ洞窟群遺跡を詳しく取り上げています。トポガロ洞窟群遺跡は、3ヶ所の洞窟とその上の岩陰から構成されており、現時点ではスラウェシ中部最古となる、29000年前頃(較正年代)までさかのぼる約3mにおよぶ文化層が発見されています。トポガロ洞窟群遺跡では、更新世から完新世中期にかけての、大量の剥片石器と動物や貝類遺存体の出土が確認されました。一方、上層および近隣遺跡では、新石器時代以降の埋葬遺跡群も発見されています。
トポガロ洞窟1では完新世初期以降の遺物が確認されていますが、トポガロ洞窟1では29000年前頃の炭化物が発見されており、最終最大氷期(LGM)における洞窟利用の可能性が指摘されています。ただ、トポガロ洞窟2でも、出土した貝類の年代はおおむね完新世となります。トポガロ洞窟群遺跡の石器については、チャートを素材とした剥片石器が圧倒的に多く、ラウェシ島の他地域、さらには東南アジア海域の石器インダストリーに共通する傾向と指摘されています。チャート素材の質においては、スラウェシ島南部のマロス地域には良質の素材が多く、完新世中期の6000年前頃になると、マロスポイントと呼ばれる美しい有舌尖頭器が登場します。じゅうらい、マロスポイントの分布域はマロス地域に限られており、その他の地域では出土していない、とされていました。トポガロ洞窟群遺跡においても、マロスポイントと完全に一致する石器は出土していません。しかし、2017年の発掘では、トポガロ洞窟2の西側に位置するトレンチBの5層で、マロスポイント似の剥片石器が出土し、トポガロ洞窟1の南側トレンチでは、マロスポイントと同じく押圧剥離技術を用いて二次加工された剥片石器も出土しました。現時点で得られている年代値では、前者は18000年頃前のLGM期に、後者は9000~8000年前頃の完新世前期までさかのぼる可能性があります。
ただ、これらマロスポイント似の剥片石器に関しては、その年代値も含めてまだ不明な点が多い、とも指摘されています。トポガロ洞窟2で確実に更新世代層と考えられるトレンチAの第6層~8層にかけて出土する石器群は、白色・赤色・黄褐色のチャートを素材としたポイント状やブレード状で、小型の剥片石器が主流です。これに対して、29000-28000年前頃と推定されているトレンチAの第10層よりさらに下層に位置する深度で出土した2点の剥片石器は、ピンク─白色のチャートを素材としたスクレーパー状のタイプで、上層で出土する剥片群とは形態的に異なっています。またこれらのスクレーパー状石器はスラウェシ固有種で、スラウェシ島では大型哺乳類の一つとなるアノアの指骨と共伴して出土しています。
トポガロ洞窟群遺跡では、こうした更新世の石器群も発見されていますが、完新世の年代が得られている層からはより多数の石器が出土し、その形態も多様化しています。また石器組成の中には、共通した形状と刃部をもつタイプの存在も認められ、マロスポイントとは異なるものの、本論文は、この地域の完新世集団が石器製作において共通する製作概念や目的を強く持っていた可能性を指摘しています。完新世期の堆積層から、より大型の核石器が複数出土しているのも特徴的です。こうした石器の多様化・数量的な増加と並行して認められるのが、骨製品となる骨針と貝類遺存体の激増です。このうち骨針はいずれもイノシシの歯を利用し、その両端をポイント状に削り加工したものです。トポガロ洞窟群遺跡では、トポガロ洞窟1で計75点、トポガロ洞窟2で6点の骨針が出土しています。
これらと類似したイノシシの歯を利用した骨製品は、トポガロ洞窟遺跡から西南約100kmの内陸に位置するワランダエ地域に位置する、タリンブエ洞窟をはじめとする洞窟遺跡群からも複数(3遺跡で149点)出土しており、その多くはトポガロ洞窟群遺跡と同じく完新世期の層に集中しています。素材は異なるものの、形態的には日本の縄文時代以降に出現する骨針にも類似しています。日本の事例では、こうした骨針は釣針としても利用されたと想定されていますが、トポガロ洞窟群遺跡やタリンブエ洞窟遺跡で出土しているこれらの骨針の具体的な用途に関しては、まだ不明な点が多いと指摘されています。ただ、両端がポイント状になっている点も含め、縫い針・釣針・毒針・刺突を目的とした用途に使われた可能性も想定されています。吹き矢としての利用可能ライについては、近年の民族誌の事例から、吹き矢に利用される矢はより軽い竹を素材とするのが一般的と指摘されています。
狩猟や漁撈にも利用された可能性の高い骨針が完新世期以降に激増する傾向は、石器の多様化とも関連しており、完新世期における生業や資源利用の多様化とも相関している可能性が高い、と指摘されています。実際、トポガロ洞窟遺跡で出土した貝類遺存体の多くは、完新世期の堆積層より集中的に出土する傾向が認められます。これら貝類遺存体の詳細な同定分析はまだ完了していませんが、その多くは遺跡周囲に現在でも部分的に残るマングローブ域に生息する種となる8~10種が全体の90%以上を占めている、と推定されています。
陸上動物遺存体の多くはネズミを中心とする齧歯類とフルーツバットを含むコウモリ類で占められ、スラウェシ島でも多く生息する中・大型哺乳類のサル類・イノシシ類・シカ類・アノア(ウシ)は、スラウェシ島固有のイノシシ種となるバビルサ、有袋類の仲間であるクスクスに類似する顎骨が数点出土したほかは、現時点では確認されていないそうです。またこれら陸上動物の多くも、完新世期の堆積層から出土しており、更新世期までさかのぼるのは、ネズミやコウモリ類を除けば、現時点ではアノアとクスクスのみとのことです。今後のより詳細な分析で、これらの哺乳類種も確認される可能性はあるものの、全体的には少量であることには変わりないだろう、と本論文は指摘しています。こうした出土状況から、遺跡で廃棄された石器の具体的な利用目的が、中・大型動物の捕獲や解体等ではなく、小型哺乳類の捕獲や解体のほか、不定形を特徴とする東南アジア海域の石器利用として以前より指摘されてきたように、木製品などの加工具などとしての利用だったのではないか、と本論文は推測しています。
今後の課題としては、後期更新世~完新世にかけての近隣地域の石器群との比較と、北回廊沿いの4万年以上前の遺跡の発見が挙げられています。東南アジア海域からサフルランドへの経路としては、北マルク諸島を通る北方経路と、東ティモールを通る南方経路の二つが提示されています。現時点で北回廊沿いにおいて最古の遺跡は、37000年前頃と推定されているマルク諸島に位置するゲベ島のゴロ洞窟ですが、ゴロ洞窟は東部に位置することから、北回廊の入り口に位置する中スラウェシでは37000年よりも古い遺跡が存在する蓋然性はきわめて高く、トポガロ洞窟遺跡でもさらに下層が存在している可能性は高い、と本論文は指摘しています。
なお、トポガロ洞窟群遺跡では、オセアニアに拡散したオーストロネシア語族集団と考えられているラピタ集団に特徴的な鋸歯印文・石灰充填・赤色スリップによる装飾土器が、完新世の層で多数発見されており、オーストロネシア語族集団の拡散という観点でも注目されます。また、本論文で指摘されているように、スラウェシ島では10万年以上前の石器が発見されており(関連記事)、現生人類ではない系統の人類が更新世に存在していた可能性は高いと思います。
参考文献:
小野林太郎(2018)「後期更新世~完新世期のウォーレシアにおける石器・骨器利用-東インドネシア・トポガロ洞窟遺跡の事例から」『パレオアジア文化史学:ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明2017年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 11)』P12-25
オーストラリア大陸(更新世の寒冷期には、ニューギニア島やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)への現生人類(Homo sapiens)最初の移住年代に関しては、6万年以上前までさかのぼる可能性も指摘されています(関連記事)。一方、オーストラリア大陸への移住経路だったと思われる東南アジア海域では、5万年以上前までさかのぼる確実な現生人類の遺跡はまだ発見されていない、と本論文は指摘します。ただ、スマトラ島の73000~63000年前頃の現生人類的な歯が報告されています(関連記事)。とはいえ、全体的に、5万年前頃前後とされる現生人類の痕跡は、オーストラリアの方が東南アジアよりも多い、とは言えそうです。ただ、5万年以上前までさかのぼる東南アジアやオセアニアへの現生人類の拡散については、慎重な見解も提示されています(関連記事)。
本論文は、現在の東インドネシア域に相当するウォーレシア海域を検証対象としています。ウォーレシア海域は、現在より海面が低かった最終氷期においても、渡海による移動が求められる島嶼地域でした。ウォーレシア海域は、オーストラリア大陸を含むサフルランドへの移住のさいの前哨基地と言えます。しかし、当時においても、最も近いティモール島からオーストラリア沿岸までは、80km以上の距離を渡海する必要があったと推測されています。この渡海距離は、当時の現生人類による渡海としては最長で、その出発地となった東南アジア海域において、人類による海洋適応が進んだ結果とも考えられてきました。
本論文は、サフルランドへの移住経路の一つとして注目されながら、考古学的研究が遅れていたスラウェシ中部沿岸からマルク諸島を通ってニューギニア島の西端まで連なる島々を検証対象とし、とくに、中スラウェシ州モロワリ県の沿岸から3.5km内陸にある石灰岩丘陵上に形成されている(標高約90m)、トポガロ洞窟群遺跡を詳しく取り上げています。トポガロ洞窟群遺跡は、3ヶ所の洞窟とその上の岩陰から構成されており、現時点ではスラウェシ中部最古となる、29000年前頃(較正年代)までさかのぼる約3mにおよぶ文化層が発見されています。トポガロ洞窟群遺跡では、更新世から完新世中期にかけての、大量の剥片石器と動物や貝類遺存体の出土が確認されました。一方、上層および近隣遺跡では、新石器時代以降の埋葬遺跡群も発見されています。
トポガロ洞窟1では完新世初期以降の遺物が確認されていますが、トポガロ洞窟1では29000年前頃の炭化物が発見されており、最終最大氷期(LGM)における洞窟利用の可能性が指摘されています。ただ、トポガロ洞窟2でも、出土した貝類の年代はおおむね完新世となります。トポガロ洞窟群遺跡の石器については、チャートを素材とした剥片石器が圧倒的に多く、ラウェシ島の他地域、さらには東南アジア海域の石器インダストリーに共通する傾向と指摘されています。チャート素材の質においては、スラウェシ島南部のマロス地域には良質の素材が多く、完新世中期の6000年前頃になると、マロスポイントと呼ばれる美しい有舌尖頭器が登場します。じゅうらい、マロスポイントの分布域はマロス地域に限られており、その他の地域では出土していない、とされていました。トポガロ洞窟群遺跡においても、マロスポイントと完全に一致する石器は出土していません。しかし、2017年の発掘では、トポガロ洞窟2の西側に位置するトレンチBの5層で、マロスポイント似の剥片石器が出土し、トポガロ洞窟1の南側トレンチでは、マロスポイントと同じく押圧剥離技術を用いて二次加工された剥片石器も出土しました。現時点で得られている年代値では、前者は18000年頃前のLGM期に、後者は9000~8000年前頃の完新世前期までさかのぼる可能性があります。
ただ、これらマロスポイント似の剥片石器に関しては、その年代値も含めてまだ不明な点が多い、とも指摘されています。トポガロ洞窟2で確実に更新世代層と考えられるトレンチAの第6層~8層にかけて出土する石器群は、白色・赤色・黄褐色のチャートを素材としたポイント状やブレード状で、小型の剥片石器が主流です。これに対して、29000-28000年前頃と推定されているトレンチAの第10層よりさらに下層に位置する深度で出土した2点の剥片石器は、ピンク─白色のチャートを素材としたスクレーパー状のタイプで、上層で出土する剥片群とは形態的に異なっています。またこれらのスクレーパー状石器はスラウェシ固有種で、スラウェシ島では大型哺乳類の一つとなるアノアの指骨と共伴して出土しています。
トポガロ洞窟群遺跡では、こうした更新世の石器群も発見されていますが、完新世の年代が得られている層からはより多数の石器が出土し、その形態も多様化しています。また石器組成の中には、共通した形状と刃部をもつタイプの存在も認められ、マロスポイントとは異なるものの、本論文は、この地域の完新世集団が石器製作において共通する製作概念や目的を強く持っていた可能性を指摘しています。完新世期の堆積層から、より大型の核石器が複数出土しているのも特徴的です。こうした石器の多様化・数量的な増加と並行して認められるのが、骨製品となる骨針と貝類遺存体の激増です。このうち骨針はいずれもイノシシの歯を利用し、その両端をポイント状に削り加工したものです。トポガロ洞窟群遺跡では、トポガロ洞窟1で計75点、トポガロ洞窟2で6点の骨針が出土しています。
これらと類似したイノシシの歯を利用した骨製品は、トポガロ洞窟遺跡から西南約100kmの内陸に位置するワランダエ地域に位置する、タリンブエ洞窟をはじめとする洞窟遺跡群からも複数(3遺跡で149点)出土しており、その多くはトポガロ洞窟群遺跡と同じく完新世期の層に集中しています。素材は異なるものの、形態的には日本の縄文時代以降に出現する骨針にも類似しています。日本の事例では、こうした骨針は釣針としても利用されたと想定されていますが、トポガロ洞窟群遺跡やタリンブエ洞窟遺跡で出土しているこれらの骨針の具体的な用途に関しては、まだ不明な点が多いと指摘されています。ただ、両端がポイント状になっている点も含め、縫い針・釣針・毒針・刺突を目的とした用途に使われた可能性も想定されています。吹き矢としての利用可能ライについては、近年の民族誌の事例から、吹き矢に利用される矢はより軽い竹を素材とするのが一般的と指摘されています。
狩猟や漁撈にも利用された可能性の高い骨針が完新世期以降に激増する傾向は、石器の多様化とも関連しており、完新世期における生業や資源利用の多様化とも相関している可能性が高い、と指摘されています。実際、トポガロ洞窟遺跡で出土した貝類遺存体の多くは、完新世期の堆積層より集中的に出土する傾向が認められます。これら貝類遺存体の詳細な同定分析はまだ完了していませんが、その多くは遺跡周囲に現在でも部分的に残るマングローブ域に生息する種となる8~10種が全体の90%以上を占めている、と推定されています。
陸上動物遺存体の多くはネズミを中心とする齧歯類とフルーツバットを含むコウモリ類で占められ、スラウェシ島でも多く生息する中・大型哺乳類のサル類・イノシシ類・シカ類・アノア(ウシ)は、スラウェシ島固有のイノシシ種となるバビルサ、有袋類の仲間であるクスクスに類似する顎骨が数点出土したほかは、現時点では確認されていないそうです。またこれら陸上動物の多くも、完新世期の堆積層から出土しており、更新世期までさかのぼるのは、ネズミやコウモリ類を除けば、現時点ではアノアとクスクスのみとのことです。今後のより詳細な分析で、これらの哺乳類種も確認される可能性はあるものの、全体的には少量であることには変わりないだろう、と本論文は指摘しています。こうした出土状況から、遺跡で廃棄された石器の具体的な利用目的が、中・大型動物の捕獲や解体等ではなく、小型哺乳類の捕獲や解体のほか、不定形を特徴とする東南アジア海域の石器利用として以前より指摘されてきたように、木製品などの加工具などとしての利用だったのではないか、と本論文は推測しています。
今後の課題としては、後期更新世~完新世にかけての近隣地域の石器群との比較と、北回廊沿いの4万年以上前の遺跡の発見が挙げられています。東南アジア海域からサフルランドへの経路としては、北マルク諸島を通る北方経路と、東ティモールを通る南方経路の二つが提示されています。現時点で北回廊沿いにおいて最古の遺跡は、37000年前頃と推定されているマルク諸島に位置するゲベ島のゴロ洞窟ですが、ゴロ洞窟は東部に位置することから、北回廊の入り口に位置する中スラウェシでは37000年よりも古い遺跡が存在する蓋然性はきわめて高く、トポガロ洞窟遺跡でもさらに下層が存在している可能性は高い、と本論文は指摘しています。
なお、トポガロ洞窟群遺跡では、オセアニアに拡散したオーストロネシア語族集団と考えられているラピタ集団に特徴的な鋸歯印文・石灰充填・赤色スリップによる装飾土器が、完新世の層で多数発見されており、オーストロネシア語族集団の拡散という観点でも注目されます。また、本論文で指摘されているように、スラウェシ島では10万年以上前の石器が発見されており(関連記事)、現生人類ではない系統の人類が更新世に存在していた可能性は高いと思います。
参考文献:
小野林太郎(2018)「後期更新世~完新世期のウォーレシアにおける石器・骨器利用-東インドネシア・トポガロ洞窟遺跡の事例から」『パレオアジア文化史学:ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明2017年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 11)』P12-25
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