山極寿一『家族進化論』第4刷

 東京大学出版会より2016年4月に刊行されました。第1刷の刊行は2012年6月です。著者は碩学だけに、本書は平易な解説ながらも情報密度が濃く、たいへん奥深い内容になっていると思います。本書は霊長類について、研究史も踏まえてどのような仮説が妥当なのか、何がまだ不明なのか、ということを分かりやすく解説しており、私が霊長類について不勉強ということもあって、一読しただけではとても情報密度の濃い本書の内容を的確に把握できたとは言えないので、今後何度か再読していこうと思います。

 本書から分かるのは、霊長類、とくに現代人(Homo sapiens)も含む類人猿系統の柔軟さです。たとえば、霊長類において繁殖行動と社会構造は比較的短期間に頻繁に変わるのではないか、と本書は推測しています。具体的には、雌の発情徴候の明確化に関しては、同じ系統でも異なります。たとえば、複雄複雌社会を構成するマカク属においても、発情徴候の明確な系統とそうではない系統が混在しています。類人猿系統においても、現代人と最も近縁なのは発情徴候の明確なチンパンジーですが、現代人はチンパンジーよりも遠い関係にあるゴリラの方とずっと類似しており、発情徴候は明確ではありません。したがって、霊長類の進化史において、異なる系統でも類似した繁殖行動や社会構造が見られることもある、というわけです。現代人は類人猿系統のなかでもとくに柔軟だと言えそうで、それが、中期中新世以降、衰退の続く霊長類系統において、例外的に(少なくとも個体数と生息域という観点からは)大繁栄した一因になっているのだと思います。

 霊長類の繁殖行動と社会構造を規定する要因は複数あり、それらの要因もまた相互に関連しているので、たいへん複雑です。本書の解説は分かりやすいのですが、全体像を細部まで的確に理解するのは、私の現在の見識・能力では一読しただけではとても無理なので、今後も勉強を続けていく必要があります。それでも、とりあえず備忘録として現時点でまとめておくと、食性と食資源の分布・捕食圧・生活史・子殺し対策が重要となりそうです。もちろん、霊長類は進化的制約も受けているわけで、食資源の分布や捕食圧の変化にたいして、自在に対応できるというわけでもなく、それは人類系統も同様です。

 食性に関しては、形態が食性を規定するわけではない、と指摘されています。これは重要なことで、たとえばゴリラは近縁の現生系統であるチンパンジーや現代人と比較して葉を食べることに適していますが、チンパンジーや現代人と同様に、果実を好みます。本書は、食性と関連した類人猿の表現型の選択圧になったのは、最も好む食べ物ではなく、主要な補助食物ではないか、と指摘しています。ゴリラは栄養価が高く消化しやすくて美味しい果実を優先して食べるものの、果実をいつも食べられるわけではないので、容易に入手できる葉を主要な補助食物としており、その表現型は葉を食べることに適応しているのではないか、というわけです。これは、高度に派生した形態が特化した食性を反映している必要はなく、動物は他の食資源を見つけられるとき、その形態に適したものを食べることを避けるかもしれない、とするリームの逆説とも関連しており、たとえば人類系統では、その大きく厚いエナメル質の歯と頑丈な頭蓋骨・下顎骨から、食性は堅果や塊茎など固いものに特化していた、と考えられてきたパラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)は、死の数日前には固いものではなく果物を食べていた、と推測されています(関連記事)。

 上述したように、こうした食性と食資源の分布以外の、捕食圧や子殺し対策などといった要因も影響を及ぼしている霊長類の繁殖行動と社会構造には多様で、本書の霊長類社会の進化に関する解説は、読み物としても面白くなっています。その中でもやはり、現代人の一員として気になるのは、現代人も属する類人猿系統の繁殖行動や社会構造と、それを規定する要因です。本書は、現生の非類人猿系統霊長類においては母系的な社会も父系的な社会も見られるものの、現生類人猿系統の社会においては、父系もしくは非母系傾向が見られる、と指摘します。もちろん、類人猿系統は柔軟で、繁殖行動や社会構造は比較的短期間に変わり得るものでしょうから、絶滅系統も含めて類人猿の各系統で、かつては母系だった場合もあるかもしれません。しかし、現生類人猿系統において父系もしくは非母系傾向が見られることは、やはり重視すべきではないか、と思います。

 本書は、類人猿系統が父系的であることを前提として、人類も含めて各系統の繁殖行動と社会構造の進化を考察しています。上述したように、発情徴候の明確化という点に関して現代人にずっと近いのは、系統的により近縁なチンパンジーではなくてゴリラです。本書は、系統樹に沿って社会構造と発情徴候を分析した研究に基づき、人類系統は、わずかな発情徴候を示す単雄複雌型社会から、ペアを基本とする社会へと移行したのではないか、と推測しています。つまり、人類はチンパンジーではなくゴリラと近いような社会から出発したのではないか、というわけです。しかし、現代人男性の造精能力はゴリラよりずっと高くなっています。

 これは、人類も乱交的な傾向が見られることと関連しているものの、どの社会や文化もチンパンジーほどには乱交や精子競争志向を高めなかったのは明らかで、人類系統が複数の家族を内包した共同体という、他の類人猿系統には存在しない社会を築いてきたことと関連するのではないか、と本書は推測しています。家族の成立はペアの配偶関係の確立を保証して発情徴候や造精能力の発達を抑え、複数の家族を含む共同体の成立は、配偶者以外の相手との性交渉の可能性を高めて精子競争を引き起こした、というわけです。

 家族の成立と関連して重要なのは近親相姦の禁忌(インセスト・タブー)です。「原始乱婚説」では、人類社会は親子やきょうだいの血縁関係を認知しない乱婚的なものだったとされ、唯物史観において採用されたことで大きな影響力を有しました。しかし、近親相姦を回避する仕組みは哺乳類に広く見られるもので、人類にも生得的に備わっているものと考えられます。しかし、霊長類においても近親相姦を回避する傾向は見られるものの、現代人と近縁なチンパンジーやゴリラでも親子間の近親相姦はしばしば見られます。これまでの観察・研究からは、多くの霊長類系統において交尾を回避する要因になっているのは育児や共に育った経験で、同様のことは現代人社会に関しても報告されています。人類社会における近親相姦の禁止には進化的背景があるわけですが、それが制度化された理由として、複数の家族を共同体に組み込む過程で、性交渉の保証される男女と禁止される男女を区別する必要が生じたからではないか、と本書は推測しています。

 では、複数の家族が共同体に組み込まれている、独特な人類社会はどのような要因で成立したのか、という問題になるわけですが、本書は生活史を重視しています。人類にとって、森林から草原への進出は捕食圧の高まりという問題をもたらしました。その解決策の一つは出産間隔の短縮化なのですが、これは男が積極的に育児に参加し、子供の離乳時期を早めたためではないか、と本書は推測しています。また人類系統では、直立二足歩行が確立してから数百万年以上経過し、ホモ属が出現する頃になって脳が巨大化していき、狭い骨盤と大きな脳のため出産が困難になります。この解決策の一つは、小さな脳で生まれてから脳が大型化し、成熟するまでの期間が長くなることなのですが、これによりさらに、男が育児に関わるようになります。

 上述したように、人類はチンパンジーよりもゴリラと近いような社会から出発したと考えられ、ゴリラ社会においては父親が育児に深く関わり、父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持する事例も確認されています。ゴリラは男(ゴリラ社会では多くの場合が父親)が子供に直接的な報酬を求めず相手に共感して世話をするという、家族的な集団を築いています。集団人類は、こうした家族的な集団を有する社会から、それを組み込んだ大規模な社会たる共同体を構成しました。それを可能としたのは、音楽により高い意思伝達能力を有するようになったからでした。人類系統の高い音楽能力は、より多くの人々との間の意思伝達・共感を可能としました。より大規模な社会を構成する選択圧となったのは、捕食圧により促進された多産傾向で、子供たちを共同で育てることが適応度を高めたのではないか、と思います。

 本書は人類社会のこうした傾向を概観し、それを促進・変容させた大きな契機として、現生人類(Homo sapiens)になって出現した言語と、農耕・牧畜の開始を挙げています。言語の出現により、人類はそれまでよりもはるかに大きな規模の集団を築くことができるようになりました。また、農耕・牧畜の開始により土地や資源への管理意識が強くなり、分業化も進展して社会は複雑化・階層化していき、戦争が起きるようになります。このように、現生人類社会では言語の出現と農耕・牧畜の開始により、社会は大規模化・階層化・複雑化しましたが、それでも家族という社会単位は大きく変わらなかった、と本書は指摘します。本書はその理由として、現生人類が繁殖と育児の基本単位としてまだ家族に大きく依存しており、それが現生人類の繁殖における平等を保証する最良の組織とみなされているからではないか、と推測しています。

 しかし本書は、そのように強固だった組織である家族が、産業社会の発展と情報伝達技術の飛躍的発展による意思伝達および生活様式の変化により、大きな影響を受けている、と指摘します。人類系統において言葉が出現したのは現生人類系統のみで、その歴史は浅く、音楽など言葉以外の意思伝達が集団の維持に大きな役割を果たしてきました。しかし、共感を向ける特別な相手を失っていけば、社会は分裂して収拾がつかなくなるのではないか、と本書は懸念します。人類がこれほど大きな社会を築けたのは、家族に生まれて共感にあふれた人々の輪の中で育った記憶を多くの人が有しているからで、繁殖における平等と共同の子育てこそが人間の心に平穏をもたらした、と本書は懸念し、家族が崩壊した時、我々はもはや人間ではない、と警告しています。

 本書は情報密度が濃く、私の現在の見識・能力ではとても的確にまとめられませんでした。今後何度か再読し、よりよく理解していこう、と考えています。本書の理解には、著者の昨年(2017)の論文も有益だと思います(関連記事)。本書を読んで改めて、人類社会は元々母系だった、との仮説には大きな無理がある、と思いました。この問題については当ブログでも何度か取り上げましたが(関連記事)、更新世の人類社会に関して、父系的だったことを示唆する証拠が得られています。また、それとも関連しますが、唯物史観により大きな影響力を有した「原始乱婚説」は、20世紀以降の哺乳類の研究を踏まえると、今では、少なくともそのまま採用するのには無理がありすぎると思います。というか、全体的な構想にも大きな無理があり、基本的に現代では通用しないと思いますが。まあ、唯物史観で提唱された「原始乱婚説」を、そっくりそのまま現在でも支持している人は、きわめて少ないのでしょうが。

 また、著者が碩学であることも改めて思い知らされました。人類系統における犬歯の縮小に関して、雄同士の争い(同性内淘汰)が穏やかになったことの表れとの見解には疑問があり、直立二足歩行が確立して以降は石を投げたり木で殴ったりしたのではないか、と以前述べました(関連記事)。しかし本書では、直立二足歩行の人類では、雄が犬歯によって戦うことを止めて犬歯が縮小し、手を使って石や枝を投げて外敵を追い払った、と推測されており、さすがに碩学は門外漢の発想などとっくにお見通しだな、と改めて思ったものです。

 本書には多くのことを教えられましたが、疑問もあります。戦争の起源については昔から議論が絶えませんが、本書の見解とは異なり、人口密度が低いとはいえ、更新世からそれなりの頻度で起きており、また更新世の人類社会は、完新世、とくに国家成立以降と比較すると、かなり暴力的だったのではないか、と私は考えています(関連記事)。また、人類系統において言語は現生人類系統のみで出現し、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)には芸術や装飾品など象徴的思考は見られない、との本書の見解は、今では訂正されるべきではないか、と思います(関連記事)。


参考文献:
山極寿一(2016)『家族進化論』第4刷(東京大学出版会)

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