フィンランドとロシア北西部の古代ゲノム

 フィンランドとロシア北西部の古代ゲノムに関する研究(Lamnidis et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパの現代人の遺伝的構成はおもに、上部旧石器時代の狩猟採集民、新石器時代初期にアナトリアからヨーロッパへと拡散してきた農耕民、新石器時代末期から青銅器時代初期にユーラシア西部草原地帯からヨーロッパへと拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)集団の混合です。考古学的研究成果より、フィンランドには9000年前より人類が居住していた、と明らかになっていますが、ヨーロッパ北東部の古代DNA研究は、ヨーロッパの他地域と比較して遅れています。

 本論文は、ロシア北西部のコラ半島の北部に位置するボリショイ・オレーニ・オストロフ(Bolshoy Oleni Ostrov)遺跡(BOO遺跡)と、コラ半島南部のチャルムニー・ヴァレ(Chalmny Varre)遺跡(CV遺跡)、フィンランド南部のレヴェンルータ(Levänluhta)遺跡(Ll遺跡)で発見された人類遺骸のゲノムを解析しました。BOO遺跡では3473±87年前頃の6人の遺骸のゲノムが解析され、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループは以前に報告されています(U4a1・Z1a1a・T2d1b1・C4b・U5a1d・D4e4)。このうち男性は2人で、Y染色体DNAハプログループはともにN1c1a1aです。CV遺跡では紀元後18~紀元後19世紀の2人の遺骸のゲノムが解析され、1人は女性(mtDNAハプログループはU5b1b1a3)で、もう1人は男性(mtDNAハプログループはV7a1、Y染色体DNAハプログループはI2a1)です。Ll遺跡では1700~1200年前頃の7人の遺骸が発見されており、このうち分析・比較に耐え得るゲノムデータが得られたのは女性3人で、そのmtDNAハプログループが報告されています(U5a1a1a’b’n、U5a1a1、K1a4a1b)。

 これらのデータは、他の古代ゲノムデータや現代人のゲノムデータと比較されました。本論文は、これら比較対象となったゲノムデータの構成要素を5区分しています。それは、ヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)、地理的範囲はドイツを中心とする新石器時代となる線形陶器文化(Linearbandkeramik Culture)の農耕民集団(LBK)、ヤムナヤ集団に代表されるユーラシア西部草原地帯の集団(ヤムナヤ)、ヨーロッパ東部の中石器時代の狩猟採集民集団(EHG)、ガナサン人(Nganasan)に代表されるシベリア系集団(シベリア系)です。

 BOO遺跡の6人ではシベリア系要素が多く、ヤムナヤ要素とWHG要素は見られません。上述したmtDNAハプログループでも、BOO遺跡の6人ではシベリア系のZ1・C4・D4が見られます。Ll遺跡の3人のうち、2人にはBOO遺跡の6人ほどではないとしてもシベリア人要素が多く見られますが、1人(Levänluhta_B)には見られません。現代のサーミ人には、Levänluhta_B を除くLl遺跡の2人ほどではないとしても、他のヨーロッパ人、とくに西方ヨーロッパ人より多くのシベリア系要素が見られます。フィン人には、現代のサーミ人ほどではないとしても、他のヨーロッパ人よりも多くのシベリア系要素が見られます。BOO遺跡の6人に先行するヨーロッパ北東部の人類集団では、シベリア系の要素が見られません。ヨーロッパ北東部の人類集団は、ヨーロッパ系とシベリア系との混合と推測されます。

 バルト海地域の9500~2500年前頃となる106人の人類遺骸のゲノムデータが得られていますが(関連記事)、8300~5000年前頃のバルト海地域集団には、シベリア系要素が見られません。これは、シベリア系要素のヨーロッパへの到来が5000年前頃以降であると示唆していますが、ヨーロッパ北東部の古代ゲノム解析はまだヨーロッパの他地域より遅れており、もっと早い年代だった可能性を排除できません。シベリア系集団がウラル語族をヨーロッパにもたらした可能性は高そうですが、ウラル語族のヨーロッパ北東部への拡大が3500年前よりもさかのぼりそうと推定されていることや、ウラル語族集団の交雑パターンは歴史的に複雑で、単一の事象ではなさそうなことから、単純化はできない、と本論文は注意を喚起しています。ヨーロッパに遠く離れたシベリア系要素が流入した要因として、古代のシベリア系集団は遊動的な生活を送っており、広大な距離を交易・移動し、他の集団との接触が広範囲及んでいたからではないか、と推測されています。

 レヴェンルータ遺跡の3人のうち1人(Levänluhta_B)を除く2人は、現代人集団ではサーミ人と遺伝的に最近縁でした。Ll遺跡の集団は、現代のサーミ人の直接的な祖先集団か、現代には遺伝的影響を残していないとしても、サーミ人の祖先集団ときわめて近縁な集団だったのでしょう。サーミ人は現在、おもにスカンジナビア半島北部に存在していますが、かつてはもっと広範囲に南部まで存在しており、フィンランドでは鉄器時代以降に遺伝的構成の変化が起きた可能性を示唆しています。Ll遺跡遺跡の近隣地域にはサーミ語由来と推測される地名があることからも、サーミ語はフィンランド語がフィンランドに流入する前にフィンランドで話されており、その範囲が現在よりも広範だった可能性は高そうです。ただ、フィンランドにおける移住と交雑についてさらに詳細に解明するには、もっと多くの古代DNAが必要だと本論文は指摘しています。本論文の観察パターンがフィンランド全体を反映しているのか、まだ確定できない、というわけです。


参考文献:
Lamnidis TC. et al.(2018): Ancient Fennoscandian genomes reveal origin and spread of Siberian ancestry in Europe. Nature Communications, 9, 5018.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-07483-5

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