文化変容・継続と遺伝的構成の関係


 古代DNA解析が飛躍的に発展していくなか、次第に明らかになってきたのは、文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではない、ということです。この問題については、以前にも農耕の起源と拡散との関連で述べました(関連記事)。文化変容が、時には置換とも言えるような、その担い手である人類集団の遺伝的構成の大きな変化を反映している場合もあれば、文化変容はおもに文化のみの伝播で、その担い手はさほど変わらない場合もあります。逆に文化的継続は、その担い手の遺伝的構成の継続を反映している場合が多いのでしょうが、そうとは限らないかもしれません。たとえば、ユーラシア東部における中部旧石器時代~上部旧石器時代にかけての考古学的連続性は、人類集団の遺伝的連続性を反映しているのではなく、外来の人類集団による置換でも起きることかもしれません(関連記事)。まあこれは、種の水準で異なる可能性の高い人類集団間のことなので、以下に述べていく事例とは異なる、と言えるかもしれませんが。

●担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容
 ヨーロッパにおける農耕の拡散はアナトリア半島からの移住民によるものですが、全面的な置換ではなく、在来の狩猟採集民集団と外来の農耕民との交雑が進展していき、全体的には先住の狩猟採集民集団との交雑・同化がゆっくりと進行していったものの、地域によっては交雑・同化が早期に進行した、とされています(関連記事)。ヨーロッパにおいては、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団が大きな文化的・遺伝的変容をもたらした、とされていますが、その度合いは地域により異なり、イベリア半島と中央ヨーロッパでは遺伝的影響が限定的だったのにたいして、ブリテン島ではほぼ全面的な置換が生じたようです(関連記事)。レヴァント南部では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代へと至る過程で、文化の変容が住民の遺伝的構成の大きな変化を伴っている、と明らかになっています(関連記事)。

●担い手の遺伝的継続を伴う文化変容
 西アジアにおいては、少なくともレヴァント南部・ザグロス・アナトリアの3地域では、農耕社会への移行の担い手は在来の狩猟採集民集団と推測されています(関連記事)。アフリカ北西部でも、少なくとも一部の地域では、狩猟採集社会から農耕社会への移行にさいして担い手の遺伝的構成は大きく変わらなかった、と推測されています(関連記事)。ユーラシア東方草原地帯の牧畜の始まりも、おもに在来集団による文化受容と推測されています(関連記事)。現代日本人であれば、日本の近代化における大きな文化変容と遺伝的継続性の事例をすぐ想起するでしょうか。

●担い手の遺伝的変容・置換と文化の継続
 想定しにくい事例ですが、担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容の事例でも、外来集団による先住民集団の文化の一部の継承は、珍しくなかったと思われます。ここでは、そうした一部の要素ではなく、最重要とも言える言語の継続性を想定しています。バヌアツの現代人の遺伝的構成ではパプア人集団の強い影響が見られますが、言語はオーストロネシア諸語です。最初期のバヌアツ人は遺伝的にはオーストロネシア諸語集団で、パプア人集団の遺伝的影響がほとんど見られません。つまり、バヌアツでは、遺伝的には全面的な置換に近いことが起きたにも関わらず、言語は最初期の住民のものである可能性が高い、というわけです(関連記事)。その理由については不明ですが、他の地域でも同様の事例は想定されます。たとえば縄文時代の日本列島の住民の遺伝的影響は、現代日本人では15%程度と大きくなく、弥生時代以降に置換に近いことが起きた、と言えるかもしれません。しかし、弥生時代以降に日本列島に渡来してきた集団は、一度に大量に移住してきたのではなく、何度かの大きな波はあったとしても、長期にわたる少数の集団で、後に人口増加率で遺伝的影響力を高めていった、と考えられますから、バヌアツの事例からも、言語も含めて縄文時代の文化が、後の時代に強く継承されていった可能性は低くないと思います(関連記事)。もちろん、現代日本語は弥生時代以降に渡来してきた集団の言語が主要な起源となっており、ユーラシア東部では日本語と近縁な言語が消失した、という可能性もじゅうぶん考えられます。文字資料が期待できない以上、この問題の重要な手がかりとなるのは古代DNA解析で、日本列島も含めてユーラシア東部における古代DNA研究の進展が期待されます。またそれにより、中国、とくに華北において、文字文化の継続性と大きな遺伝的変容が明らかになるのではないか、とも予想しています。

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