日本と韓国におけるイネの遺伝的多様性の減少
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、日本と韓国におけるイネの遺伝的多様性の減少に関する研究(Kumagai et al., 2016)が報道されました。栽培イネ(Oryza sativa)は、コムギやトウモロコシとともに、現代世界における最重要作物です。しかし、イネの品種のうち90%を占めるジャポニカとインディカの起源と栽培化の歴史は、長年の研究にも関わらず、未解明なところが多分にあります。一般的には、ジャポニカ種は日本列島・朝鮮半島・中国北部から構成される東アジア北部で独占的に栽培されてきました。東アジア北部でのコメの生産・消費のほとんどはジャポニカ種で、インディカ種は例外的です。
ジャポニカ種とインディカ種は野生種(Oryza rufipogon)から栽培化された、と考えられています。ジャポニカ種とインディカ種に関しては、その栽培化が単一起源なのか、複数起源なのか、議論されてきました。複数起源説では、ジャポニカ種とインディカ種は野生種の異なる系統から独自に栽培化され、栽培化の地理的中心は異なる、と想定されています。単一起源説では、ジャポニカ種またはインディカ種が最初に栽培化され、他方が野生種と交雑した、と想定されます。じゅうらいのゲノム規模の解析では、相互に矛盾しているように思える異なる結論が提示され、イネの栽培化に関する議論はまだ続いています。
こうした状況でイネの栽培化の歴史の解明に重要なのは、古代の炭化したイネの遺骸です。炭化したイネ遺骸におけるジャポニカ種とインディカ種の区分は、両者を区分する形態的特徴(長さや幅など)が連続的であることや、未成熟の種子は成熟した種子と形態が異なることや、炭化したイネは収縮することがあることから、困難です。そのため、古代のジャポニカ種とインディカ種の区分には、DNA解析が重要となります。
本論文はまず、現代のイネのDNA解析から、ジャポニカ種とインディカ種の系統関係を提示しています。本論文の解析結果でも、野生種は栽培種よりも遺伝的多様性が高い、と改めて確認されました。また栽培種では、インディカ種の多様性はジャポニカ種よりも10倍高い、と明らかになりました。ジャポニカ種に関しては、以前の研究でボトルネック(瓶首効果)による遺伝的多様性の低下が指摘されています。ジャポニカ種とインディカ種の起源については、それぞれ異なる地域の野生種(Oryza rufipogon)と遺伝的に近縁と明らかになりました。ジャポニカ種は東アジアの野生種、インディカ種は東南アジア(大陸部および島嶼部)と南アジアの野生種です。つまり、複数起源説の方が妥当だろう、というわけです。ジャポニカ種とインディカ種の原種は異なっていることになり、その異なる原種間の推定分岐年代は440000~86000年前です。また、温帯種と熱帯種も含めてジャポニカ種が単一の野生種起源と推測されるのにたいして、インディカ種には少なくとも3系統の野生種起源が想定されています。
イネの古代DNA解析では、日本と韓国の遺跡で発見された炭化米が標本として用いられました。日本では奈良県磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡(2400~2100年前頃)と福島県河沼郡会津坂下町の陣が峯城遺跡(950~910年前頃)、韓国では朝鮮半島中部東岸のサチョンリ(Sacheonri)遺跡(2800~2700年前頃)と朝鮮半島中部西岸の楽浪(Lelang)遺跡(2200~2000年前頃)です。
古代のイネのDNA解析の結果、日本列島と朝鮮半島では、ジャポニカ種だけではなく、インディカ種もしくは非ジャポニカ種も栽培されていた、と明らかになりました。サチョンリ遺跡で報告されている1標本はジャポニカ種ですが、楽浪遺跡の3標本のうち1標本はインディカ種で残り2標本は非ジャポニカ種です。これは、2200~2000年前頃の朝鮮半島中部西岸では、インディカ種が一般的に栽培されていたか、当時は漢帝国の支配下だったので中国からもたらされた可能性を示唆しています。日本の2ヶ所の遺跡では、いずれも標本の多くはジャポニカ種でしたが、非ジャポニカ種も確認されています。日本においてインディカ種は14世紀から現在まで利用されてきた、との見解も提示されていますが、それは本論文における平安時代の陣が峯城遺跡の炭化米のDNA解析と整合的です。
今後の課題は、日本のインディカ種や非ジャポニカ種がどのような品種だったのか、またどのようにもたらされたのか、ということです。そのためには、中国も含めて、東アジアや東南アジアの古代のイネのDNA解析がさらに必要となるでしょう。本論文は、東アジアでは2000年前頃以降、イネの品種・遺伝的多様性は減少しており、これは人為的ボトルネックだと指摘しています。上記報道では、近代化と市場価値の高い品種の選択を関連づけていますが、前近代において、冷害耐性などの観点から品種選択が続けられ、それが人為的ボトルネックとなった可能性も考えられます。本論文の成果はたいへん重要とはいえ、DNA解析された古代のイネはまだわずかなので、今後の課題は、年代と地域の範囲を拡大することです。それにより、東アジアにおけるイネの多様性の減少過程、さらには特定の品種がどのように朝鮮半島や日本列島へと伝わったのか、ということもより詳しく解明されていくでしょう。
ネットでは、稲作は長江流域から日本列島へと直接伝わり、その後に日本列島から朝鮮半島へと伝わったことがDNA解析により確定した、というような見解が目につきます。そうした見解の前提の一つとして、韓国のイネは遺伝的多様性に乏しい、といった認識があるようです。しかし、2000年以上前には朝鮮半島や日本列島のイネの遺伝的多様性は現代よりもずっと高かったわけで、広範な年代・地域のイネの古代DNAを解析していく必要があるのだと思います。DNA解析技術、とくに古代DNAの解析はこの10年間で質・量ともに飛躍的に発展しており、10年以上前の古代DNA解析に基づいた知見を利用することには慎重でなければならない、と思います。まあ私も、稲作の起源と伝播についてはあまりにも不勉強なので、今後少しずつ知見を蓄積していかねばなりません。
参考文献:
Kumagai M. et al.(2016): Rice Varieties in Archaic East Asia: Reduction of Its Diversity from Past to Present Times. Molecular Biology and Evolution, 33, 10, 2496-2505.
https://doi.org/10.1093/molbev/msw142
ジャポニカ種とインディカ種は野生種(Oryza rufipogon)から栽培化された、と考えられています。ジャポニカ種とインディカ種に関しては、その栽培化が単一起源なのか、複数起源なのか、議論されてきました。複数起源説では、ジャポニカ種とインディカ種は野生種の異なる系統から独自に栽培化され、栽培化の地理的中心は異なる、と想定されています。単一起源説では、ジャポニカ種またはインディカ種が最初に栽培化され、他方が野生種と交雑した、と想定されます。じゅうらいのゲノム規模の解析では、相互に矛盾しているように思える異なる結論が提示され、イネの栽培化に関する議論はまだ続いています。
こうした状況でイネの栽培化の歴史の解明に重要なのは、古代の炭化したイネの遺骸です。炭化したイネ遺骸におけるジャポニカ種とインディカ種の区分は、両者を区分する形態的特徴(長さや幅など)が連続的であることや、未成熟の種子は成熟した種子と形態が異なることや、炭化したイネは収縮することがあることから、困難です。そのため、古代のジャポニカ種とインディカ種の区分には、DNA解析が重要となります。
本論文はまず、現代のイネのDNA解析から、ジャポニカ種とインディカ種の系統関係を提示しています。本論文の解析結果でも、野生種は栽培種よりも遺伝的多様性が高い、と改めて確認されました。また栽培種では、インディカ種の多様性はジャポニカ種よりも10倍高い、と明らかになりました。ジャポニカ種に関しては、以前の研究でボトルネック(瓶首効果)による遺伝的多様性の低下が指摘されています。ジャポニカ種とインディカ種の起源については、それぞれ異なる地域の野生種(Oryza rufipogon)と遺伝的に近縁と明らかになりました。ジャポニカ種は東アジアの野生種、インディカ種は東南アジア(大陸部および島嶼部)と南アジアの野生種です。つまり、複数起源説の方が妥当だろう、というわけです。ジャポニカ種とインディカ種の原種は異なっていることになり、その異なる原種間の推定分岐年代は440000~86000年前です。また、温帯種と熱帯種も含めてジャポニカ種が単一の野生種起源と推測されるのにたいして、インディカ種には少なくとも3系統の野生種起源が想定されています。
イネの古代DNA解析では、日本と韓国の遺跡で発見された炭化米が標本として用いられました。日本では奈良県磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡(2400~2100年前頃)と福島県河沼郡会津坂下町の陣が峯城遺跡(950~910年前頃)、韓国では朝鮮半島中部東岸のサチョンリ(Sacheonri)遺跡(2800~2700年前頃)と朝鮮半島中部西岸の楽浪(Lelang)遺跡(2200~2000年前頃)です。
古代のイネのDNA解析の結果、日本列島と朝鮮半島では、ジャポニカ種だけではなく、インディカ種もしくは非ジャポニカ種も栽培されていた、と明らかになりました。サチョンリ遺跡で報告されている1標本はジャポニカ種ですが、楽浪遺跡の3標本のうち1標本はインディカ種で残り2標本は非ジャポニカ種です。これは、2200~2000年前頃の朝鮮半島中部西岸では、インディカ種が一般的に栽培されていたか、当時は漢帝国の支配下だったので中国からもたらされた可能性を示唆しています。日本の2ヶ所の遺跡では、いずれも標本の多くはジャポニカ種でしたが、非ジャポニカ種も確認されています。日本においてインディカ種は14世紀から現在まで利用されてきた、との見解も提示されていますが、それは本論文における平安時代の陣が峯城遺跡の炭化米のDNA解析と整合的です。
今後の課題は、日本のインディカ種や非ジャポニカ種がどのような品種だったのか、またどのようにもたらされたのか、ということです。そのためには、中国も含めて、東アジアや東南アジアの古代のイネのDNA解析がさらに必要となるでしょう。本論文は、東アジアでは2000年前頃以降、イネの品種・遺伝的多様性は減少しており、これは人為的ボトルネックだと指摘しています。上記報道では、近代化と市場価値の高い品種の選択を関連づけていますが、前近代において、冷害耐性などの観点から品種選択が続けられ、それが人為的ボトルネックとなった可能性も考えられます。本論文の成果はたいへん重要とはいえ、DNA解析された古代のイネはまだわずかなので、今後の課題は、年代と地域の範囲を拡大することです。それにより、東アジアにおけるイネの多様性の減少過程、さらには特定の品種がどのように朝鮮半島や日本列島へと伝わったのか、ということもより詳しく解明されていくでしょう。
ネットでは、稲作は長江流域から日本列島へと直接伝わり、その後に日本列島から朝鮮半島へと伝わったことがDNA解析により確定した、というような見解が目につきます。そうした見解の前提の一つとして、韓国のイネは遺伝的多様性に乏しい、といった認識があるようです。しかし、2000年以上前には朝鮮半島や日本列島のイネの遺伝的多様性は現代よりもずっと高かったわけで、広範な年代・地域のイネの古代DNAを解析していく必要があるのだと思います。DNA解析技術、とくに古代DNAの解析はこの10年間で質・量ともに飛躍的に発展しており、10年以上前の古代DNA解析に基づいた知見を利用することには慎重でなければならない、と思います。まあ私も、稲作の起源と伝播についてはあまりにも不勉強なので、今後少しずつ知見を蓄積していかねばなりません。
参考文献:
Kumagai M. et al.(2016): Rice Varieties in Archaic East Asia: Reduction of Its Diversity from Past to Present Times. Molecular Biology and Evolution, 33, 10, 2496-2505.
https://doi.org/10.1093/molbev/msw142
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