現生人類の初期の拡散

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、現生人類(Homo sapiens)の初期の拡散に関する研究(Rabett., 2018)が公表されました。現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。現時点での遺伝学的証拠からは、非アフリカ系現代人の主要な祖先は比較的小規模な単一の集団で、出アフリカの回数は1回のみで、その年代は6万~5万年前頃との見解が有力だと思います。非アフリカ系現代人は全員、わずかながらネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から遺伝的影響を受けていますが、その交雑の年代は54000~49000年前頃と推定されているので(関連記事)、その頃までにアフリカからユーラシアへと拡散した出アフリカ現生人類集団が、レヴァントかその周辺でネアンデルタール人と交雑し、後にアフリカ外の各地域集団へと分岐していった、と考えられます。また、現代の東南アジア人とオーストラリア先住民の遺伝的系統はアフリカ系現代人と比較して同程度の近縁性なので、考古学的証拠からも、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3(59000~29000年前)前半に、アフリカからユーラシア南岸沿いにアラビア半島と南アジアを経て、急速に東南アジアとオーストラリアへと現生人類は拡散した、という南岸拡散仮説が有力と考えられるようになってきました。

 しかし、この非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類集団が存在することは、1980年代後半から指摘されていました。その有名な事例がイスラエルで発見されたスフール(Skhūl)およびカフゼー(Qafzeh)遺跡で、10万年前頃の現生人類遺骸が発見されています。こうした現生人類の初期の出アフリカは、長らく「失敗した」とみなされてきました。温暖期に北上してレヴァントまで拡散したものの、近隣のネアンデルタール人に阻まれてレヴァントより先には拡散できず、寒冷期に絶滅したかアフリカに「撤退」した、というわけです。

 しかし近年では、この非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前となるだろうMIS5(126000~74000年前頃)に、レヴァントからさらに東方への現生人類拡散を示す証拠が、アラビア半島・南アジア・東南アジア・東アジア南部・オーストラリア(更新世の寒冷期には、タスマニア島・ニューギニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)で蓄積されつつあります。アラビア半島では、現生人類の所産と考えられている10万年以上前の石器が発見されており(関連記事)、本論文刊行後には、8万年前頃の現生人類遺骸に関する論文が公表されました(関連記事)。南アジアでもMIS5の現生人類と関連するかもしれない石器が指摘されています(関連記事)。

 さらに東方でも、現生人類の初期の拡散を示す証拠が蓄積されつつあります。ラオスのフアパン(Huà Pan)県にあるタムパリン(Tam Pa Ling)洞窟遺跡の初期現生人類頭蓋に関しては、6万年前頃との年代測定結果も得られていますが、不確実性は否定できません(関連記事)。スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡では73000~63000年前頃の現生人類の歯が(関連記事)、オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡では65000年前頃の現生人類の所産と思われる人工物が発見されています(関連記事)。東アジア南部では、中華人民共和国湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で12万~8万年前頃の現生人類的な歯が発見されています(関連記事)。

 ただ、これらの現生人類の痕跡については、その出土位置や年代測定された試料との関連などに疑問が呈されており、もっと年代が下るかもしれません(関連記事)。その意味では、これらの現生人類の痕跡は、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカを反映している可能性もあるでしょう。しかし、これらの現生人類の初期の拡散の証拠が(ほぼ完全に)否定されたわけでもなく、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカよりも前となるMIS5の、現生人類の南アジア・東南アジア・東アジア・オーストラリア大陸への拡散を反映している可能性も低くはありません。

 本論文も、その可能性が高いことを示唆し、そのうえで、「進化的成功」を現代へと続く遺伝学的・人口統計学的継続性のみで判断すべきなのか、と問題提起しています。安易に初期現生人類の「失敗した」出アフリカと考えるべきではない、というわけです。また本論文は、ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類との複雑な交雑が明らかになってきたように、じゅうらいは「失敗」とみなされてきた出アフリカ初期現生人類集団が、非アフリカ系現代人に遺伝的影響を及ぼしている可能性も指摘しています(関連記事)。

 非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、現代人への遺伝的影響は小さいか皆無に近い現生人類集団が東南アジアやオーストラリア大陸にまで拡散していたのか否かはともかく、現生人類の東南アジアやオーストラリア大陸への拡散が、ユーラシア南岸沿いだった可能性は高いでしょう。しかし本論文は、更新世のアラビア半島・南アジア・東南アジア・オーストラリア大陸の現生人類のものと思われる遺跡において、食性には海洋資源利用の証拠がほとんど見られない、と指摘します。これは、更新世寒冷期には現在より海水準が低かったことも影響しているかもしれません。これらの地域の最初期の遺跡、とくに現生人類(と思われる)遺骸を含む遺跡は、かなり内陸部に位置します。民族誌的証拠からは、熱帯地域の採集民の食料採集はおおむね30kmまでの範囲内なので、沿岸からそれ以上の距離が離れている東南アジアの更新世の遺跡で、海洋資源を食べていた証拠が見られないことは、当然なのかもしれません。この問題の解明は、海中考古学の発展を俟つ必要があるかもしれません。なお、更新世の東南アジアにおいても沿岸の集団と内陸部の集団との間に交流はあったようで、当時も今も海岸線から100km以上離れているような遺跡で、タカラガイの殻が発見されています。こうした貝殻は装飾品に用いられたのかもしれません。

 また本論文は、アラビア半島・南アジア・東南アジア・オーストラリア大陸における初期現生人類の拡散と現代人との関係について、DNAの保存条件に適していない低緯度の熱帯~亜熱帯地帯であることから、古代DNA研究が中~高緯度地帯よりもずっと遅れていることも指摘しています。そもそも条件面で不利なので、この問題の解決は困難なのですが、近年の古代DNA研究の目覚ましい進展を考えると、期待してしまいます。じっさい、更新世ではないとはいえ、メラネシアでは完新世の古代DNA研究が成功しつつあり(関連記事)、近いうちに低緯度の熱帯~亜熱帯地帯でのDNA解析が成功する可能性は低くないかもしれません。


参考文献:
Rabett RJ.(2018): The success of failed Homo sapiens dispersals out of Africa and into Asia. Nature Ecology & Evolution, 2, 2, 212–219.
https://doi.org/10.1038/s41559-017-0436-8

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