アフリカ南部の初期人類の化石記録の偏り(追記有)
アフリカ南部の初期人類の化石記録の偏りに関する研究(Pickering et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。南アフリカ共和国ヨハネスブルグ市の北西にある洞窟群「人類のゆりかご」では、豊富な初期人類化石が発見されています。しかし、洞窟内の化石が保存されていた堆積層は崩落しており、層の秩序が乱れているため、これらの化石の正確な年代測定とその進化史の評価は困難です。また、アフリカ南部に関しては、アフリカ東部とは異なり、火山灰層による年代測定ができないことも、年代測定を困難としています。
本論文は、ウラン・鉛年代測定法を用いて、「人類のゆりかご」の8ヶ所の洞窟にある、人類化石の出土した堆積層を取り囲む分厚い28のフローストーン(流華石)層の年代を提示しています。鍾乳石や石筍などの流華石は、洞窟内を流れる水に溶けていた鉱物が沈殿して形成され、おもに流水の多い湿潤期に成長します。ウラン・鉛年代測定法により、「人類のゆりかご」の流華石は、320万~130万年前の6期間に成長した、と明らかになりました。具体的には、319万~308万年前頃、283万~262万年前頃、228万~217万年前頃、212万~200万年前頃、182万~163万年前頃、141万~132万年前頃と推定されています。これらの期間の気候は湿潤と推測されますから、その間の時期、たとえば307万~283万年前頃は乾燥期と推測されます。
本論文は、湿潤期には洞窟への流水が多くなって洞窟が少なくとも部分的には閉鎖状態になり、外部からの堆積物や人類遺骸が流入できなくなって、流華石の形成が途切れなく続いた一方で、化石記録に空白が生じた、と推測しています。一方、乾燥期には、植生被覆が少なくなり、表面侵食が進み、洞窟に外部の堆積物が流入して人類遺骸が洞窟内で保存された、と考えられます。つまり、「人類のゆりかご」の化石記録は乾燥期に偏っており、生息地と摂食行動の解明にも影響が及んでいるかもしれない、というわけです。
「人類のゆりかご」のスタークフォンテン(Sterkfontein)洞窟で発見されたアウストラロピテクス属化石「リトルフット(StW 573)」は、本論文の提示する流華石の年代期間外の367万±16万年前と推定されており(関連記事)、これは宇宙線に曝されて初めて生成されるアルミニウム26-ベリリウム10に基づいています。しかし本論文は、リトルフットの年代は280万年前頃かもっと新しいのではないか、と指摘しています。また本論文は、アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)を乾燥期に位置づけていますが、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)やパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)や初期ホモ属は、湿潤期と乾燥期に存在年代がまたがっている、と指摘します。そのため本論文は、これらの初期人類種は、生態学的「万能家」だったか、湿潤期には「人類の揺り籠」地域から離れ、もっと後の乾燥期に戻ってきた、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化】南アフリカのヒト族の化石記録が乾燥期に限定されることを示唆するフローストーン
南アフリカ共和国の初期ヒト族の化石記録は、乾燥気候の時期に偏っていることを示唆する洞窟内堆積物の研究について報告する論文が、今週掲載される。今回の知見から、この化石記録には空白期間があり、そのためにこの地域の初期ヒト族に関する進化パターンが不明瞭になり、生息地と摂食行動の解明にも影響が及んでいる可能性のあることが示唆される。
南アフリカでは、ヨハネスブルグの北西に位置する一連の洞窟(いわゆる「人類のゆりかご」)から、初期ヒト族の化石が最も大量に出土している。しかし、洞窟内の化石が保存されていた堆積層が崩落して層の秩序が乱れているため、これらの化石の年代測定を正確に行い、その進化史を評価することは困難なことが判明している。
今回Robyn Pickeringたちの研究グループが解析対象にしたのは、化石が出土した堆積層を取り囲む分厚いフローストーン(流華石)で、そこから採取した微量の放射性同位元素を測定することで年代を決定できる。鍾乳石や石筍などのフローストーンは、洞窟内を流れる水に溶けていた鉱物が沈殿して形成される。Pickeringたちは、320万~130万年前の6つの期間中にフローストーンが形成されたことを明らかにした。また、Pickeringたちは、これらの期間が湿潤期であり、フローストーンの形成をもたらす流水が多くなって洞窟が閉鎖状態になり、外部からの堆積物やヒト族の遺骸が流入できなくなったために、フローストーンの形成が途切れなく続いた一方で、化石記録に空白が生じたという考えを示している。
これに対して、乾燥期に入ると、植生被覆が少なくなり、表面侵食が進み、洞窟に外部の堆積物が流入し、ヒト族の遺骸が洞窟内で保存されたと考えられる。Pickeringたちは、湿潤期には化石記録の空白が生じているものの、フローストーンから過去の気候変化に関する貴重な知見が得られると指摘している。
参考文献:
Pickering R. et al.(2018): U–Pb-dated flowstones restrict South African early hominin record to dry climate phases. Nature, 565, 7738, 226–229.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0711-0
追記(2019年1月10日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
古気候学:フローストーンのU–Pb年代測定によって乾燥気候期に限定された南アフリカの初期ヒト族の記録
古気候学:ゆりかごを揺らす気候
アフリカ・ヨハネスブルクの北西に、ヒト族の記録が集中した「人類のゆりかご」と呼ばれる地域がある。ところが、この地域の遺跡の数々には、崩壊した洞窟であるために全ての堆積物が混ざり合っており、洞窟堆積物の正確な年代測定が極めて困難だという問題がある。R Pickeringたちは、これらの洞窟の多くにフローストーン(石筍および鍾乳石)の非常に厚い堆積層があり、これらにウラン–鉛放射年代測定法を用いることが可能であることに気付いた。化石を伴っているのは、フローストーンとフローストーンの間のそれらに挟まれた堆積物層である。彼らは今回、さまざまな洞窟のフローストーンの年代を測定し、それらの相互関係を統計学的手法によって明らかにすることにより、人類のゆりかごの有効な時系列を得ている。これは多くの点でヒト族の記録と一致するが、一致しない点もある。フローストーンは形成するのに水が必要で、洞窟が外界から閉ざされた湿潤期に成長した。一方、化石を含む堆積物は、気候が乾燥して侵食が大きくなり、洞窟が開放された時期に蓄積した。これは、人類のゆりかごの化石記録が乾燥した天候に適応した動物相へと大きく偏ることを意味している。
本論文は、ウラン・鉛年代測定法を用いて、「人類のゆりかご」の8ヶ所の洞窟にある、人類化石の出土した堆積層を取り囲む分厚い28のフローストーン(流華石)層の年代を提示しています。鍾乳石や石筍などの流華石は、洞窟内を流れる水に溶けていた鉱物が沈殿して形成され、おもに流水の多い湿潤期に成長します。ウラン・鉛年代測定法により、「人類のゆりかご」の流華石は、320万~130万年前の6期間に成長した、と明らかになりました。具体的には、319万~308万年前頃、283万~262万年前頃、228万~217万年前頃、212万~200万年前頃、182万~163万年前頃、141万~132万年前頃と推定されています。これらの期間の気候は湿潤と推測されますから、その間の時期、たとえば307万~283万年前頃は乾燥期と推測されます。
本論文は、湿潤期には洞窟への流水が多くなって洞窟が少なくとも部分的には閉鎖状態になり、外部からの堆積物や人類遺骸が流入できなくなって、流華石の形成が途切れなく続いた一方で、化石記録に空白が生じた、と推測しています。一方、乾燥期には、植生被覆が少なくなり、表面侵食が進み、洞窟に外部の堆積物が流入して人類遺骸が洞窟内で保存された、と考えられます。つまり、「人類のゆりかご」の化石記録は乾燥期に偏っており、生息地と摂食行動の解明にも影響が及んでいるかもしれない、というわけです。
「人類のゆりかご」のスタークフォンテン(Sterkfontein)洞窟で発見されたアウストラロピテクス属化石「リトルフット(StW 573)」は、本論文の提示する流華石の年代期間外の367万±16万年前と推定されており(関連記事)、これは宇宙線に曝されて初めて生成されるアルミニウム26-ベリリウム10に基づいています。しかし本論文は、リトルフットの年代は280万年前頃かもっと新しいのではないか、と指摘しています。また本論文は、アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)を乾燥期に位置づけていますが、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)やパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)や初期ホモ属は、湿潤期と乾燥期に存在年代がまたがっている、と指摘します。そのため本論文は、これらの初期人類種は、生態学的「万能家」だったか、湿潤期には「人類の揺り籠」地域から離れ、もっと後の乾燥期に戻ってきた、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化】南アフリカのヒト族の化石記録が乾燥期に限定されることを示唆するフローストーン
南アフリカ共和国の初期ヒト族の化石記録は、乾燥気候の時期に偏っていることを示唆する洞窟内堆積物の研究について報告する論文が、今週掲載される。今回の知見から、この化石記録には空白期間があり、そのためにこの地域の初期ヒト族に関する進化パターンが不明瞭になり、生息地と摂食行動の解明にも影響が及んでいる可能性のあることが示唆される。
南アフリカでは、ヨハネスブルグの北西に位置する一連の洞窟(いわゆる「人類のゆりかご」)から、初期ヒト族の化石が最も大量に出土している。しかし、洞窟内の化石が保存されていた堆積層が崩落して層の秩序が乱れているため、これらの化石の年代測定を正確に行い、その進化史を評価することは困難なことが判明している。
今回Robyn Pickeringたちの研究グループが解析対象にしたのは、化石が出土した堆積層を取り囲む分厚いフローストーン(流華石)で、そこから採取した微量の放射性同位元素を測定することで年代を決定できる。鍾乳石や石筍などのフローストーンは、洞窟内を流れる水に溶けていた鉱物が沈殿して形成される。Pickeringたちは、320万~130万年前の6つの期間中にフローストーンが形成されたことを明らかにした。また、Pickeringたちは、これらの期間が湿潤期であり、フローストーンの形成をもたらす流水が多くなって洞窟が閉鎖状態になり、外部からの堆積物やヒト族の遺骸が流入できなくなったために、フローストーンの形成が途切れなく続いた一方で、化石記録に空白が生じたという考えを示している。
これに対して、乾燥期に入ると、植生被覆が少なくなり、表面侵食が進み、洞窟に外部の堆積物が流入し、ヒト族の遺骸が洞窟内で保存されたと考えられる。Pickeringたちは、湿潤期には化石記録の空白が生じているものの、フローストーンから過去の気候変化に関する貴重な知見が得られると指摘している。
参考文献:
Pickering R. et al.(2018): U–Pb-dated flowstones restrict South African early hominin record to dry climate phases. Nature, 565, 7738, 226–229.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0711-0
追記(2019年1月10日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
古気候学:フローストーンのU–Pb年代測定によって乾燥気候期に限定された南アフリカの初期ヒト族の記録
古気候学:ゆりかごを揺らす気候
アフリカ・ヨハネスブルクの北西に、ヒト族の記録が集中した「人類のゆりかご」と呼ばれる地域がある。ところが、この地域の遺跡の数々には、崩壊した洞窟であるために全ての堆積物が混ざり合っており、洞窟堆積物の正確な年代測定が極めて困難だという問題がある。R Pickeringたちは、これらの洞窟の多くにフローストーン(石筍および鍾乳石)の非常に厚い堆積層があり、これらにウラン–鉛放射年代測定法を用いることが可能であることに気付いた。化石を伴っているのは、フローストーンとフローストーンの間のそれらに挟まれた堆積物層である。彼らは今回、さまざまな洞窟のフローストーンの年代を測定し、それらの相互関係を統計学的手法によって明らかにすることにより、人類のゆりかごの有効な時系列を得ている。これは多くの点でヒト族の記録と一致するが、一致しない点もある。フローストーンは形成するのに水が必要で、洞窟が外界から閉ざされた湿潤期に成長した。一方、化石を含む堆積物は、気候が乾燥して侵食が大きくなり、洞窟が開放された時期に蓄積した。これは、人類のゆりかごの化石記録が乾燥した天候に適応した動物相へと大きく偏ることを意味している。
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