中期更新世後期の東アジア南部のルヴァロワ石器(追記有)
中期更新世後期の東アジア南部のルヴァロワ(Levallois)石器発見した研究(Hu et al., 2019A)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ルヴァロワ技術は調整石核技術のなかでもとくに有名で、伝統的な5段階の石器製作技術区分では様式3(Mode 3)となります(関連記事)。調整石核技術は、事前に調整した石核から剥片を剥離する技法で、予め剥片の形を思い浮かべ、それを剥離するために微妙な石核の調整が必要となることから、高い認知能力と器用な手先を必要とします。そのため、様式3の出現は人類史において画期的だった、とも評価されています。
調整石核技術はアフリカにおいておそらく50万年以上前に出現し(関連記事)、ルヴァロワ技術はアフリカとユーラシアで30万年前頃までに広く見られるようになりますが、東アジアにおける出現はかなり遅れます。東アジアにおける最古級のルヴァロワ技術としては、中国では内モンゴル自治区の金斯太(Jinsitai)洞窟遺跡でムステリアン(Mousterian)様の石器群に低頻度ながらルヴァロワ技術が確認されており、その年代は47000~37000年前頃と推定されていますが、どの人類集団が製作者なのかは不明です(関連記事)。
本論文は、中国南西部となる貴州省(Guizhou Province)の観音洞洞窟(Guanyindong Cave)遺跡の石器群を報告しています。観音洞遺跡では、1964~1973年の発掘で3000点以上の石器と多くの化石が発見されました。動物遺骸の多くはジャイアントパンダとステゴドンでした。観音洞遺跡では第2層のグループAと第3~8層のグループBとで石器が発見されており、いずれでもルヴァロワ技術が確認されているので、長期にわたってルヴァロワ技術が継続した、と考えられます。観音洞遺跡の年代には曖昧なところがあり、以前はウラン系列法により24万~5万年前頃と推定されていました。本論文では光刺激ルミネッセンス法(OSL)が用いられ、グループAとグループBはおおむね17万~8万年前頃と推定されました。これは、東アジアにおけるルヴァロワ技術の石器群としては最古となります。観音洞遺跡でルヴァロワ技術が初めて出現したのは海洋酸素同位体ステージ(MIS)6となり、この頃にはルヴァロワ技術はアフリカとユーラシアの広範な地域で採用されていましたが、気候は現在よりも寒冷でした。この頃の観音洞遺跡周辺は、竹林と豊富な草を伴う岩の多い地域の混在した環境だった、と推定されています。
観音洞遺跡のルヴァロワ石器群をどの人類集団が製作したのか、という問題は高い関心を集めそうですが、本論文は慎重な姿勢を示しています。本論文は、中国でも北部となる河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された125000~105000年前頃の頭蓋に関して、現生人類(Homo sapiens)的特徴と祖先的特徴との混在が指摘されており(関連記事)、アフリカとレヴァントにおける現生人類の出現はその前までさかのぼることから、中期更新世にユーラシア規模で人類集団間の相互作用があった可能性も指摘しています。確かに、ユーラシア西部から東アジアに移住してきた人類集団が、ルヴァロワ技術をもたらした可能性は高いと思います。
しかし本論文は、アフリカだけではなくユーラシアでも広範に、MIS9(33万~30万年前頃)にまでさかのぼるルヴァロワ石器群が見られることから、各地で独自にルヴァロワ技術が開発され、東アジア南部でも同様だった可能性を提示しています。たとえば、コーカサスにおいては、遅くとも335000~325000年前頃までルヴァロワ技術がさかのぼりますが、独自に発展した可能性も指摘されています(関連記事)。南アジアでもルヴァロワ技術が38万年前頃までさかのぼります(関連記事)。さらに、これまで東アジアでは稀だったと言われてきた様式2の石器技術も、しだいに確認例が増えつつあることから、本論文は観音洞遺跡のルヴァロワ技術が地域的発展である可能性も提示しています。
ただ、現時点では、東アジアにおけるMIS5以前のルヴァロワ技術がきわめて稀であることは否定できません。観音洞遺跡のルヴァロワ石器群は、年代も考慮すると、現時点では完全に孤立した事例と言えそうです。ただ、今後の発掘により空白地帯・期間が埋まっていくと期待されるので、観音洞遺跡のルヴァロワ石器群の製作者についても、各地の石器との比較からより限定できるようになるかもしれません。それでも、東アジアにおけるルヴァロワ石器群が、アフリカやユーラシア西部と比較してずっと低密度である状況が大きく変わる可能性は低いように思います。本論文は、東アジアにおけるルヴァロワ石器群がアフリカやユーラシア西部と比較してずっと稀である理由として、小規模で低密度の人口と、それに起因する社会的相互関係の弱さを指摘しています。それが、技術革新や持続性を阻んだのではないか、というわけです。私は、東アジアのルヴァロワ技術はユーラシア西方からもたらされた可能性がきわめて高いと考えていますが、本論文の知見はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Hu Y. et al.(2019A): Late Middle Pleistocene Levallois stone-tool technology in southwest China. Nature, 565, 7737, 82–85.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0710-1
追記(2019年1月4日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:中国南西部で発見された中期更新世後期のルヴァロワ石器技術
考古学:東洋のルヴァロワ
中国の旧石器時代の考古学の問題の1つに、約4万~3万年前に、握斧や礫器から、ヨーロッパやアフリカで見られネアンデルタール人や初期の現生人類と関係する「第3様式」(すなわち「ルヴァロワ」)の調整石核技術が現れることなく、より近代的な石刃技術への直接的な移行が起こったように見えるというものがある。今回、中国南西部貴州省の観音洞で出土した第3様式の石器が、光ルミネッセンス年代決定法によって17万~16万年前のものと推定されたことが示されている。これは、アジアの考古学的記録にあった不可解な空白を埋めるものであり、現生人類の広がりに関する我々の理解に影響する可能性がある。
追記(2020年2月16日)
本論文に対する批判とそれへの反論を当ブログで取り上げました(関連記事)。トラックバック機能があれば、わざわざ追記せずにすむのに、本当に不便になりました。
調整石核技術はアフリカにおいておそらく50万年以上前に出現し(関連記事)、ルヴァロワ技術はアフリカとユーラシアで30万年前頃までに広く見られるようになりますが、東アジアにおける出現はかなり遅れます。東アジアにおける最古級のルヴァロワ技術としては、中国では内モンゴル自治区の金斯太(Jinsitai)洞窟遺跡でムステリアン(Mousterian)様の石器群に低頻度ながらルヴァロワ技術が確認されており、その年代は47000~37000年前頃と推定されていますが、どの人類集団が製作者なのかは不明です(関連記事)。
本論文は、中国南西部となる貴州省(Guizhou Province)の観音洞洞窟(Guanyindong Cave)遺跡の石器群を報告しています。観音洞遺跡では、1964~1973年の発掘で3000点以上の石器と多くの化石が発見されました。動物遺骸の多くはジャイアントパンダとステゴドンでした。観音洞遺跡では第2層のグループAと第3~8層のグループBとで石器が発見されており、いずれでもルヴァロワ技術が確認されているので、長期にわたってルヴァロワ技術が継続した、と考えられます。観音洞遺跡の年代には曖昧なところがあり、以前はウラン系列法により24万~5万年前頃と推定されていました。本論文では光刺激ルミネッセンス法(OSL)が用いられ、グループAとグループBはおおむね17万~8万年前頃と推定されました。これは、東アジアにおけるルヴァロワ技術の石器群としては最古となります。観音洞遺跡でルヴァロワ技術が初めて出現したのは海洋酸素同位体ステージ(MIS)6となり、この頃にはルヴァロワ技術はアフリカとユーラシアの広範な地域で採用されていましたが、気候は現在よりも寒冷でした。この頃の観音洞遺跡周辺は、竹林と豊富な草を伴う岩の多い地域の混在した環境だった、と推定されています。
観音洞遺跡のルヴァロワ石器群をどの人類集団が製作したのか、という問題は高い関心を集めそうですが、本論文は慎重な姿勢を示しています。本論文は、中国でも北部となる河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された125000~105000年前頃の頭蓋に関して、現生人類(Homo sapiens)的特徴と祖先的特徴との混在が指摘されており(関連記事)、アフリカとレヴァントにおける現生人類の出現はその前までさかのぼることから、中期更新世にユーラシア規模で人類集団間の相互作用があった可能性も指摘しています。確かに、ユーラシア西部から東アジアに移住してきた人類集団が、ルヴァロワ技術をもたらした可能性は高いと思います。
しかし本論文は、アフリカだけではなくユーラシアでも広範に、MIS9(33万~30万年前頃)にまでさかのぼるルヴァロワ石器群が見られることから、各地で独自にルヴァロワ技術が開発され、東アジア南部でも同様だった可能性を提示しています。たとえば、コーカサスにおいては、遅くとも335000~325000年前頃までルヴァロワ技術がさかのぼりますが、独自に発展した可能性も指摘されています(関連記事)。南アジアでもルヴァロワ技術が38万年前頃までさかのぼります(関連記事)。さらに、これまで東アジアでは稀だったと言われてきた様式2の石器技術も、しだいに確認例が増えつつあることから、本論文は観音洞遺跡のルヴァロワ技術が地域的発展である可能性も提示しています。
ただ、現時点では、東アジアにおけるMIS5以前のルヴァロワ技術がきわめて稀であることは否定できません。観音洞遺跡のルヴァロワ石器群は、年代も考慮すると、現時点では完全に孤立した事例と言えそうです。ただ、今後の発掘により空白地帯・期間が埋まっていくと期待されるので、観音洞遺跡のルヴァロワ石器群の製作者についても、各地の石器との比較からより限定できるようになるかもしれません。それでも、東アジアにおけるルヴァロワ石器群が、アフリカやユーラシア西部と比較してずっと低密度である状況が大きく変わる可能性は低いように思います。本論文は、東アジアにおけるルヴァロワ石器群がアフリカやユーラシア西部と比較してずっと稀である理由として、小規模で低密度の人口と、それに起因する社会的相互関係の弱さを指摘しています。それが、技術革新や持続性を阻んだのではないか、というわけです。私は、東アジアのルヴァロワ技術はユーラシア西方からもたらされた可能性がきわめて高いと考えていますが、本論文の知見はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Hu Y. et al.(2019A): Late Middle Pleistocene Levallois stone-tool technology in southwest China. Nature, 565, 7737, 82–85.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0710-1
追記(2019年1月4日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:中国南西部で発見された中期更新世後期のルヴァロワ石器技術
考古学:東洋のルヴァロワ
中国の旧石器時代の考古学の問題の1つに、約4万~3万年前に、握斧や礫器から、ヨーロッパやアフリカで見られネアンデルタール人や初期の現生人類と関係する「第3様式」(すなわち「ルヴァロワ」)の調整石核技術が現れることなく、より近代的な石刃技術への直接的な移行が起こったように見えるというものがある。今回、中国南西部貴州省の観音洞で出土した第3様式の石器が、光ルミネッセンス年代決定法によって17万~16万年前のものと推定されたことが示されている。これは、アジアの考古学的記録にあった不可解な空白を埋めるものであり、現生人類の広がりに関する我々の理解に影響する可能性がある。
追記(2020年2月16日)
本論文に対する批判とそれへの反論を当ブログで取り上げました(関連記事)。トラックバック機能があれば、わざわざ追記せずにすむのに、本当に不便になりました。
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