さかのぼるオーストラリア内陸部への人類の拡散
オーストラリア内陸部の西部乾燥地帯への人類の拡散に関する研究(McDonald et al., 2018)が報道されました。オーストラリアの人類史関連の記事については、今年(2018年)4月にまとめました(関連記事)。更新世の寒冷期には、オーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きとなってサフルランドを形成していました。サフルランドにおける現生人類(Homo sapiens)の痕跡については、昨年(2017年)、65000年前頃までさかのぼるとする研究が公表されました(関連記事)。しかしその後、この年代には疑問が呈され、・サフルランドにおいて、5万年前を大きく超える現生人類の早期拡散説を証明するような、確実な現生人類の痕跡は遺骸でも人工物でもない、と指摘されています(関連記事)。
本論文は、オーストラリア大陸内陸部の西部砂漠に位置するカルナツクル(Karnatukul)遺跡について報告しています。カルナツクル遺跡では25000点以上の石器が発見されており、その大半は燧石製です。カルナツクル遺跡の年代は、放射性炭素年代測定法と光刺激ルミネッセンス法(OSL)とが組み合わされましたが、その上限年代は放射性炭素年代測定法の限界値である5万年前頃に近く50101~45190年前(中央値は47830年前)となり、じゅうらいは25000年前以前と考えられていましたから、上限年代が大きく繰り上がることになります。これは現時点では、オーストラリア大陸内陸部の西部砂漠地帯では最古の人類の痕跡となります。オーストラリア大陸への人類の最初の拡散が5万年前頃だとすると、最初期のオーストラリア人は急速に、内陸部の乾燥地域も含めて広い範囲に拡散していったと推測されますが、これはミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果と整合的です(関連記事)。本論文は、最初期のオーストラリア人が多様な環境に急速に適応していった、と指摘しています。
カルナツクル遺跡は、大別すると、更新世・中期完新世・過去1000年間の3回にわたり人類の活動痕跡の増加が見られます。更新世に関しては、43000年前頃と推定されている背部のある細石刃発見されており、早期からの技術革新が窺えます。この細石刃は、オーストラリアの他の遺跡のものより15000年ほど古くなります。こうした細石刃は槍の「さかとげ」として、また木材や他の有機素材の加工のために用いられた、と推測されています。このような技術革新が、最初期のオーストラリア人の急速な拡散と多様な環境への適応に役立ったのでしょう。また、更新世の石器の場合、54.7%が燧石製で、しかも良質な燧石を選好した様子が窺えます。このような認知能力は、現生人類特有ではないかもしれませんが、新たな環境への適応に役立ったでしょう。
カルナツクル遺跡の石器に関しては、大半が完新世でも過去1000年間のものです(78.4%)。他の遺跡の石器との比較から、オーストラリア先住民の祖先集団は環境変動や異なる環境に適応していた、と推測されます。カルナツクル遺跡では顔料を用いた芸術作品も発見されており、中期完新世までさかのぼりますが、多くは過去1000年間のもので、石器の数から推測しても、更新世・中期完新世と比較して、過去1000年間には人口が増加し、社会が複雑化していったのかもしれません。本論文により改めて、最初期オーストラリア人の柔軟性と認知能力が確認された、と言えるでしょう。最初期オーストラリア人の潜在的能力は基本的に現代人と変わらなかったのではないか、と思います。問題となるのは、そうした潜在的能力が現生人類にいつ揃ったのか、ということですが、これは遺伝子と「能力」の関係がかなりの程度解明されるまでは推測困難だと思います。
参考文献:
McDonald J, Reynen W, Petchey F, Ditchfield K, Byrne C, Vannieuwenhuyse D, et al. (2018) Karnatukul (Serpent’s Glen): A new chronology for the oldest site in Australia’s Western Desert. PLoS ONE 13(9): e0202511.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0202511
本論文は、オーストラリア大陸内陸部の西部砂漠に位置するカルナツクル(Karnatukul)遺跡について報告しています。カルナツクル遺跡では25000点以上の石器が発見されており、その大半は燧石製です。カルナツクル遺跡の年代は、放射性炭素年代測定法と光刺激ルミネッセンス法(OSL)とが組み合わされましたが、その上限年代は放射性炭素年代測定法の限界値である5万年前頃に近く50101~45190年前(中央値は47830年前)となり、じゅうらいは25000年前以前と考えられていましたから、上限年代が大きく繰り上がることになります。これは現時点では、オーストラリア大陸内陸部の西部砂漠地帯では最古の人類の痕跡となります。オーストラリア大陸への人類の最初の拡散が5万年前頃だとすると、最初期のオーストラリア人は急速に、内陸部の乾燥地域も含めて広い範囲に拡散していったと推測されますが、これはミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果と整合的です(関連記事)。本論文は、最初期のオーストラリア人が多様な環境に急速に適応していった、と指摘しています。
カルナツクル遺跡は、大別すると、更新世・中期完新世・過去1000年間の3回にわたり人類の活動痕跡の増加が見られます。更新世に関しては、43000年前頃と推定されている背部のある細石刃発見されており、早期からの技術革新が窺えます。この細石刃は、オーストラリアの他の遺跡のものより15000年ほど古くなります。こうした細石刃は槍の「さかとげ」として、また木材や他の有機素材の加工のために用いられた、と推測されています。このような技術革新が、最初期のオーストラリア人の急速な拡散と多様な環境への適応に役立ったのでしょう。また、更新世の石器の場合、54.7%が燧石製で、しかも良質な燧石を選好した様子が窺えます。このような認知能力は、現生人類特有ではないかもしれませんが、新たな環境への適応に役立ったでしょう。
カルナツクル遺跡の石器に関しては、大半が完新世でも過去1000年間のものです(78.4%)。他の遺跡の石器との比較から、オーストラリア先住民の祖先集団は環境変動や異なる環境に適応していた、と推測されます。カルナツクル遺跡では顔料を用いた芸術作品も発見されており、中期完新世までさかのぼりますが、多くは過去1000年間のもので、石器の数から推測しても、更新世・中期完新世と比較して、過去1000年間には人口が増加し、社会が複雑化していったのかもしれません。本論文により改めて、最初期オーストラリア人の柔軟性と認知能力が確認された、と言えるでしょう。最初期オーストラリア人の潜在的能力は基本的に現代人と変わらなかったのではないか、と思います。問題となるのは、そうした潜在的能力が現生人類にいつ揃ったのか、ということですが、これは遺伝子と「能力」の関係がかなりの程度解明されるまでは推測困難だと思います。
参考文献:
McDonald J, Reynen W, Petchey F, Ditchfield K, Byrne C, Vannieuwenhuyse D, et al. (2018) Karnatukul (Serpent’s Glen): A new chronology for the oldest site in Australia’s Western Desert. PLoS ONE 13(9): e0202511.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0202511
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