多様な日本優越・礼賛論
「日本スゴイ」と表記されるような日本優越論は、「リベラル」の側から揶揄・嘲笑・罵倒されることが多いのですが、少し検索しただけでも、じつに多様な日本優越論があるものだと、ある意味で感心します。昔からの日本優越・礼賛論でよく取り上げられてきたのは、「万世一系の天皇」でした。万世一系との観念は、たとえば中野正志『万世一系のまぼろし』(朝日新聞社、2007年)が想定している(関連記事)ような近代の「創造」と把握するのは妥当とは言えず、遅くとも8世紀半ばにはさかのぼる可能性があり、大伴家持は越中守時代に、天皇が代々続いていることを和歌にて祝っています。こうした観念は支配層の間に定着していき、北宋の太宗が、日本において「一姓」で王位が継承されていることを理想とした、といった話が知られるようになって、さらに確たる観念になっていったのではないか、と思われます。なお、遠山美都男『天皇誕生』(中央公論新社、2001年)では、『日本書紀』は万世一系を証明しようとした歴史書とは一概に言えない、と指摘されています。
日本においても、四条→後嵯峨や後桃園→光格のように、父系ではかなり離れた関係の皇位継承がありましたが、南宋における高宗→孝宗のように、同様に父系ではかなり離れた関係の皇位継承でも「王朝交替」とはされていないので、漢字文化圏的な観念では日本において「王朝交替」はなかった、と考えています。日本における王朝(世襲王権)の確立は6世紀で、5世紀以前には確たる王朝はなかった、と私は考えており、6世紀以降には漢字文化圏的な観念では「王朝交替」はなかったのですから、「万世一系の天皇」との言説は修辞として大問題ではない、と思います。もっとも、「王朝交替」がないとはいっても6世紀以降のことで、社会・政治情勢がずっと安定していたわけではなく、戦乱の時期も短くはなかったのですから、「万世一系の天皇」を日本優越・礼賛論の根拠として声高に主張することには疑問が残りますが、それはあくまでも私の感覚です。
最初にどの本で読んだのか忘れましたが、キリスト教の影響力の低い日本においては、進化論は欧米よりもすんなりと受け入れられた、との認識も日本優越・礼賛論の根拠として昔からよく用いられていたように思います。しかし、右田裕規『天皇制と進化論』(青弓社、2009年)は、日本における進化論の受容が反発も大きい緊張に満ちたものだった、と指摘します(関連記事)。進化論に関しては、近代日本(ここでは第二次世界大戦の終結までを想定しています)の体制教義でもあった、皇室の尊厳の根拠となる「神から続く万世一系」観念との矛盾が強く意識され、義務教育課程(尋常小学校・国民学校)で使われた国定理科教科書で進化論が取り上げられたことは一度もなく、尋常小学校の生徒の約半数が進学した高等小学校の理科の授業でも、一部(全体の8%)の3年制高等小学校を除き、進化論教育は認められていませんでした。
近代日本において本格的な進化論教育は、中等・師範・高等学校と大学のみに限定されました。もっとも、広範な進化論教育の必要性も認識されており、第一次世界大戦後の初等教育では、国語でダーウィンが偉人として取り上げられ、現場の教員向けの教科書の教授指南記事では、進化論を詳しく取り上げるよう、指示されていました。しかし、1930年代半ばになると、国体至上主義の台頭に伴い、進化論と近代日本の体制教義との矛盾という問題が再燃します。ダーウィンの読み物は1938年に刊行された国定国語読本では採録されず、それどころか、文部省が進化論への批判を展開するようになります。第二次世界大戦中には、進化論への攻撃は中等・高等教育にも及び、中学校理科教科書では進化論が懐疑的な立場で紹介され、高等学校の教授要綱では、進化学説には批判的検討を行なうよう指示されていました。もっとも、こうした文部省の方針に現場の教員が全員従ったのではないことに注意する必要はありますが、第二次世界大戦期の日本の反進化論運動は、アメリカ合衆国における創造論者のそれをしのぐ結果を残しました。
このように、近代日本における進化論受容は反発も大きい緊張に満ちたもので、欧米よりもすんなり受け入れられた、と無邪気に誇ることは、とてもできません。近代日本政府は、近代化を進める以上、国民に近代の「最新知」たる進化論を習得させたいものの、それが体制教義への疑念を惹起してはならない、との懸念を強く抱いていたようで、両者の間で揺れ動いていた様子が窺えます。その妥協策として、当初は、知的エリート層候補には進化論に触れさせ、初等教育で修了する大衆には進化論に触れさせない、という方針が採用されたのでしょう。
これに関して興味深いのは、進化論に触れていた知的エリート層の心性です。少なからぬ知的エリート層は、体制教義を建前としながら、進化論が真だと考えていました。そうした知的エリート層のなかには、公には体制教義を強く主張しながら、知的エリート層内部となる帝大生相手の講義では、「神から続く万世一系の天皇」との観念を否定したり、皇室をめぐる醜聞を得々として話したりしていた、「御用学者」の井上哲次郎のような人物もいました。井上は、「神から続く万世一系の天皇」との観念は虚偽で進化論が真だと自分はよく知っているのだ、と他の知識層に誇示したい欲望に激しく駆られていたのではないか、と『天皇制と進化論』は推測しています。
こうした知的エリート層の心性は、現代でも珍しくないかもしれません。私も含めて大衆にとって必要なのは、知的エリート層とはいっても一枚岩ではなく、相互に批判・揶揄・罵倒し合うことも珍しくはないので、インターネットの普及によりそれらがさらに可視化されやすくなったことを利用して、知的エリート層の虚偽に騙されたり煽動されたりしないよう、読解力を身に着けることだと思います。私もそうですが、大衆が知的エリート層のような見識を獲得するのはほぼ不可能なので、せめて、多様な意見の中から虚偽をできるだけ見抜くような読解力を身に着けることができれば、と思います。もっとも、大衆とはいっても多様なので、私はあまり実践できておらず、少しでも改善していかねばならない、とは思っているのですが。まあ、知的エリート層とはいっても、現代は専門が以前よりもさらに細分化されているので、専門外では大衆とあまり知見が変わらないことも珍しくない、との教訓のほうが重要かもしれません。研究所の所長・大学教授・評論家・高級官僚などといった肩書に騙されないよう、注意する必要があります。
この他にも、豊臣秀吉の示した日本優越論など、興味深い事例が多々あるのですが、これ以上論じるだけの気力はないので、ここまでとします。
日本においても、四条→後嵯峨や後桃園→光格のように、父系ではかなり離れた関係の皇位継承がありましたが、南宋における高宗→孝宗のように、同様に父系ではかなり離れた関係の皇位継承でも「王朝交替」とはされていないので、漢字文化圏的な観念では日本において「王朝交替」はなかった、と考えています。日本における王朝(世襲王権)の確立は6世紀で、5世紀以前には確たる王朝はなかった、と私は考えており、6世紀以降には漢字文化圏的な観念では「王朝交替」はなかったのですから、「万世一系の天皇」との言説は修辞として大問題ではない、と思います。もっとも、「王朝交替」がないとはいっても6世紀以降のことで、社会・政治情勢がずっと安定していたわけではなく、戦乱の時期も短くはなかったのですから、「万世一系の天皇」を日本優越・礼賛論の根拠として声高に主張することには疑問が残りますが、それはあくまでも私の感覚です。
最初にどの本で読んだのか忘れましたが、キリスト教の影響力の低い日本においては、進化論は欧米よりもすんなりと受け入れられた、との認識も日本優越・礼賛論の根拠として昔からよく用いられていたように思います。しかし、右田裕規『天皇制と進化論』(青弓社、2009年)は、日本における進化論の受容が反発も大きい緊張に満ちたものだった、と指摘します(関連記事)。進化論に関しては、近代日本(ここでは第二次世界大戦の終結までを想定しています)の体制教義でもあった、皇室の尊厳の根拠となる「神から続く万世一系」観念との矛盾が強く意識され、義務教育課程(尋常小学校・国民学校)で使われた国定理科教科書で進化論が取り上げられたことは一度もなく、尋常小学校の生徒の約半数が進学した高等小学校の理科の授業でも、一部(全体の8%)の3年制高等小学校を除き、進化論教育は認められていませんでした。
近代日本において本格的な進化論教育は、中等・師範・高等学校と大学のみに限定されました。もっとも、広範な進化論教育の必要性も認識されており、第一次世界大戦後の初等教育では、国語でダーウィンが偉人として取り上げられ、現場の教員向けの教科書の教授指南記事では、進化論を詳しく取り上げるよう、指示されていました。しかし、1930年代半ばになると、国体至上主義の台頭に伴い、進化論と近代日本の体制教義との矛盾という問題が再燃します。ダーウィンの読み物は1938年に刊行された国定国語読本では採録されず、それどころか、文部省が進化論への批判を展開するようになります。第二次世界大戦中には、進化論への攻撃は中等・高等教育にも及び、中学校理科教科書では進化論が懐疑的な立場で紹介され、高等学校の教授要綱では、進化学説には批判的検討を行なうよう指示されていました。もっとも、こうした文部省の方針に現場の教員が全員従ったのではないことに注意する必要はありますが、第二次世界大戦期の日本の反進化論運動は、アメリカ合衆国における創造論者のそれをしのぐ結果を残しました。
このように、近代日本における進化論受容は反発も大きい緊張に満ちたもので、欧米よりもすんなり受け入れられた、と無邪気に誇ることは、とてもできません。近代日本政府は、近代化を進める以上、国民に近代の「最新知」たる進化論を習得させたいものの、それが体制教義への疑念を惹起してはならない、との懸念を強く抱いていたようで、両者の間で揺れ動いていた様子が窺えます。その妥協策として、当初は、知的エリート層候補には進化論に触れさせ、初等教育で修了する大衆には進化論に触れさせない、という方針が採用されたのでしょう。
これに関して興味深いのは、進化論に触れていた知的エリート層の心性です。少なからぬ知的エリート層は、体制教義を建前としながら、進化論が真だと考えていました。そうした知的エリート層のなかには、公には体制教義を強く主張しながら、知的エリート層内部となる帝大生相手の講義では、「神から続く万世一系の天皇」との観念を否定したり、皇室をめぐる醜聞を得々として話したりしていた、「御用学者」の井上哲次郎のような人物もいました。井上は、「神から続く万世一系の天皇」との観念は虚偽で進化論が真だと自分はよく知っているのだ、と他の知識層に誇示したい欲望に激しく駆られていたのではないか、と『天皇制と進化論』は推測しています。
こうした知的エリート層の心性は、現代でも珍しくないかもしれません。私も含めて大衆にとって必要なのは、知的エリート層とはいっても一枚岩ではなく、相互に批判・揶揄・罵倒し合うことも珍しくはないので、インターネットの普及によりそれらがさらに可視化されやすくなったことを利用して、知的エリート層の虚偽に騙されたり煽動されたりしないよう、読解力を身に着けることだと思います。私もそうですが、大衆が知的エリート層のような見識を獲得するのはほぼ不可能なので、せめて、多様な意見の中から虚偽をできるだけ見抜くような読解力を身に着けることができれば、と思います。もっとも、大衆とはいっても多様なので、私はあまり実践できておらず、少しでも改善していかねばならない、とは思っているのですが。まあ、知的エリート層とはいっても、現代は専門が以前よりもさらに細分化されているので、専門外では大衆とあまり知見が変わらないことも珍しくない、との教訓のほうが重要かもしれません。研究所の所長・大学教授・評論家・高級官僚などといった肩書に騙されないよう、注意する必要があります。
この他にも、豊臣秀吉の示した日本優越論など、興味深い事例が多々あるのですが、これ以上論じるだけの気力はないので、ここまでとします。
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