エクアドルの森林における先住民集団の痕跡
エクアドルの森林における先住民集団の痕跡に関する研究(Caley et al., 2018)が報道されました。19世紀の旅行者たちは、エクアドルのキホスバレーの雲霧林について、「人類がこれまで一度も住んだことがない」ようだと述べています。しかし、本論文は、この谷にある湖の土壌コアを分析し、人類の痕跡を明らかにしました。雲霧林のコアから木炭・菌類・花粉が発見され、谷には500年以上にわたって人類が住み、作物を栽培し、土器を作り、火を焚いていたことが明らかになりました。
キホスバレーにおける人類の居住の証拠は1588年頃に急に途絶えました。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期で、広範な火災が発生したことを示していました。この研究は、それ以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、この地が放棄された、との見解を提示しています。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったので、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちはキホスバレーの景観を未開の地と誤認した、と考えられます。
この研究から、ヨーロッパ勢力による植民地の拡大が先住民社会に与えた破滅的な影響は、目に見える生態学的な側面を有していたことと、新熱帯区森林の人類による占有の証拠が、急激な再生により急速に覆い隠され得ることが示唆されました。この研究は、環境回復活動のための歴史的基準を知るには、古生態学的研究が必要だと指摘しています。さらに対象を拡大しての同様の研究が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
「手付かず」の森林は暴力の歴史を覆い隠していた
一見して人間の手が加えられていないエクアドルの雲霧林は、人間がその地を何世紀にもわたって占有していたが、その居住がヨーロッパの植民地主義によって16世紀に断絶したという歴史を覆い隠していることを明らかにした論文が、今週掲載される。
19世紀の旅行者たちは、同国キホスバレーの雲霧林を「人類がこれまで一度も住んだことがない」ようだと述べている。しかし、Nicholas Loughlinたちは、この谷にある湖の土壌コアを分析し、それが必ずしも正しくないことを明らかにした。彼らは、コアから木炭や菌類、花粉を発見し、その谷には500年以上にわたって人が住み、作物を栽培し、土器を作り、火を焚いたことを示したのである。
居住の証拠は1588年頃に途絶えていた。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期に、広範な火災が発生したことを示していた。Loughlinたちは、以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、その地が放棄されたと考えている。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったことから、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちがその景観を未開の地と誤認した理由が説明される。
この研究から、植民地の拡大が先住民に与えた破滅的な影響が目に見える生態学的な側面を有していたこと、また、新熱帯区森林の人間による占有の証拠が急激な再生によって急速に覆い隠され得ることが示唆された。Loughlinたちは、環境回復活動のための歴史的基準を知るには古生態学的研究が必要であると述べている。
参考文献:
Loughlin NJD. et al.(2018): Ecological consequences of post-Columbian indigenous depopulation in the Andean–Amazonian corridor. Nature Ecology & Evolution, 2, 1233–1236.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0602-7
キホスバレーにおける人類の居住の証拠は1588年頃に急に途絶えました。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期で、広範な火災が発生したことを示していました。この研究は、それ以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、この地が放棄された、との見解を提示しています。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったので、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちはキホスバレーの景観を未開の地と誤認した、と考えられます。
この研究から、ヨーロッパ勢力による植民地の拡大が先住民社会に与えた破滅的な影響は、目に見える生態学的な側面を有していたことと、新熱帯区森林の人類による占有の証拠が、急激な再生により急速に覆い隠され得ることが示唆されました。この研究は、環境回復活動のための歴史的基準を知るには、古生態学的研究が必要だと指摘しています。さらに対象を拡大しての同様の研究が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
「手付かず」の森林は暴力の歴史を覆い隠していた
一見して人間の手が加えられていないエクアドルの雲霧林は、人間がその地を何世紀にもわたって占有していたが、その居住がヨーロッパの植民地主義によって16世紀に断絶したという歴史を覆い隠していることを明らかにした論文が、今週掲載される。
19世紀の旅行者たちは、同国キホスバレーの雲霧林を「人類がこれまで一度も住んだことがない」ようだと述べている。しかし、Nicholas Loughlinたちは、この谷にある湖の土壌コアを分析し、それが必ずしも正しくないことを明らかにした。彼らは、コアから木炭や菌類、花粉を発見し、その谷には500年以上にわたって人が住み、作物を栽培し、土器を作り、火を焚いたことを示したのである。
居住の証拠は1588年頃に途絶えていた。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期に、広範な火災が発生したことを示していた。Loughlinたちは、以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、その地が放棄されたと考えている。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったことから、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちがその景観を未開の地と誤認した理由が説明される。
この研究から、植民地の拡大が先住民に与えた破滅的な影響が目に見える生態学的な側面を有していたこと、また、新熱帯区森林の人間による占有の証拠が急激な再生によって急速に覆い隠され得ることが示唆された。Loughlinたちは、環境回復活動のための歴史的基準を知るには古生態学的研究が必要であると述べている。
参考文献:
Loughlin NJD. et al.(2018): Ecological consequences of post-Columbian indigenous depopulation in the Andean–Amazonian corridor. Nature Ecology & Evolution, 2, 1233–1236.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0602-7
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