ネアンデルタール人的特徴を有するイタリアの45万年前頃の歯

 イタリアで発見された中期更新世の人類の歯に関する研究(Zanolli et al., 2018)が報道されました。本論文は、ローマの南東50kmに位置するフォンターナ・ラヌッチョ(Fontana Ranuccio)遺跡と、トリエステの北西18kmに位置するヴィソグリアーノ(Visogliano)遺跡で発見されたホモ属の歯を、マイクロCTスキャンと詳細な形態学的分析により他のホモ属と比較しました。両遺跡は相互に約450km離れています。フォンターナ・ラヌッチョ遺跡の年代は45万年前頃と推定されており、4個の孤立したホモ属永久歯(上顎左側犬歯根、下顎左側側切歯、左右の下顎第一臼歯)が発見され、握斧と小剥片石器が共伴しています。ヴィソグリアーノ遺跡の推定年代には幅があるのですが、ホモ属の歯が発見された層は48万~44万年前頃で、歯冠はないもののわずかに歯の残る右側下顎断片・5個の孤立した上顎歯・3個のおそらくはホモ属の断片的な歯が発見されており、礫器や円盤状コアや地元の石灰岩の剥片などが共伴しています。両遺跡のホモ属の歯はともに中期更新世中期で、おおむね同じ年代と言えそうです。海洋酸素同位体ステージ(MIS)では12となり、第四紀全体でも北半球では最も気候条件が厳しかった時代とされます。

 比較対象となったのは、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)、前期更新世後期~中期更新世前期のアフリカ北部のホモ属(NAH)、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)のホモ属、現代人です。SHホモ属の推定年代は43万年前頃で、フォンターナ・ラヌッチョ遺跡およびヴィソグリアーノ遺跡と近いと言えます。SH人類遺骸群には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)、祖先的特徴とネアンデルタール人の派生的特徴とが混在しており、遺伝学的研究からも、ネアンデルタール人の祖先集団もしくはそのきわめて近縁な集団と推測されています(関連記事)。

 本論文は、下顎切歯の厚さの組織分布的な多様性・小臼歯および大臼歯の歯冠側面組織・エナメル質と象牙質の接合部・歯髄腔の形態などを比較しました。その結果、フォンターナ・ラヌッチョ遺跡およびヴィソグリアーノ遺跡のホモ属の歯は、現代人やNAHとは明確に異なり、ネアンデルタール人と類似する内部構造を有していて、ネアンデルタール人の変異内におおむね収まる、と明らかになりました。また、フォンターナ・ラヌッチョ遺跡およびヴィソグリアーノ遺跡のホモ属の歯は、SHホモ属とも比較的近い関係にあります。本論文は、ネアンデルタール人的な歯はヨーロッパ西部において遅くとも45万~43万年前には出現していた、との見解を提示しています。そのため本論文は、ネアンデルタール人系統と現生人類(Homo sapiens)系統との分岐は、前期~中期更新世の移行期に起きたのではないか、と推測しています。

 一方で本論文は、中期更新世前期~中期のヨーロッパのホモ属遺骸でも、ドイツのマウエル(Mauer)遺跡標本(Mauer 1)やセルビアのバラニカ(Balanica)標本(BH-1)の歯の内部構造には、ネアンデルタール人の派生的特徴がまったくかほとんど見られない、と指摘します。本論文は、中期更新世中期のユーラシアにはネアンデルタール人系統とは関係のないホモ属系統が存在し、ユーラシアにおける中期更新世中期のホモ属の進化が複雑なものだった可能性を示唆します。これは、中期更新世のヨーロッパにおける、人類集団間または集団内の多様性および複雑な人口動態と、さまざまな水準の孤立と交雑を伴う多様な集団置換を想定する見解(関連記事)と整合的と言えるでしょう。

 フォンターナ・ラヌッチョ遺跡およびヴィソグリアーノ遺跡もSHも、ヨーロッパでは南部に位置します。これらのホモ属の年代は、上述したように、たいへん気候条件の厳しかったMIS12となります(SHホモ属はMIS12後期~MIS11となりそうですが)。おそらく、ヨーロッパのホモ属はMIS12にはおもに南部に退避し、各地域集団は比較的孤立していたのではないか、と思います。フォンターナ・ラヌッチョ遺跡およびヴィソグリアーノ遺跡のホモ属の歯はSHホモ属よりもネアンデルタール人的で、SHホモ属は、上述したように、頭蓋でも頭蓋以外でも祖先的特徴とネアンデルタール人の派生的特徴とが混在しています。本論文の知見は、ネアンデルタール人の起源をめぐる議論とも関わってくると思います。

 近年、現生人類(Homo sapiens)の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。現生人類の派生的な形態学的特徴はアフリカでのみ進化したものの、それは単一の地域・集団のみではなく、複数の地域・集団で異なる年代に出現した、というわけです。

 ネアンデルタール人の起源に関しても、同様のことが言えるかもしれません。中期更新世前期~中期の寒冷化により、ヨーロッパ北部のホモ属集団は絶滅するかイタリア半島やイベリア半島といった南部へと撤退し、孤立していきました。そうした各地域の集団において、異なる年代に異なるネアンデルタール人の派生的特徴が出現し、温暖化にともなう各集団のヨーロッパ北部への再拡散と融合・置換などの結果、ネアンデルタール人が形成されていったのではないか、というわけです。

 また、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先とされるハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)についても、再考が必要だと思います。上述したように、マウエル1も含めて中期更新世前期~中期のヨーロッパのホモ属遺骸の歯の内部構造には、ネアンデルタール人の派生的特徴がまったくかほとんど見られません。マウエル1はハイデルベルク人(ハイデルベルゲンシス)の正基準標本とされていますが、ハイデルベルゲンシスについては、形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとか(関連記事)、マウエル1の下顎骨は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先と考えるにはあまりにも特殊化しているとか(関連記事)指摘されています。そもそも、ハイデルベルゲンシスという種区分自体を見直す必要がありますし、またその種区分を残すとしても、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先どころか、ネアンデルタール人の祖先と位置づけることも難しいのではないか、と思います。


参考文献:
Zanolli C, Martinón-Torres M, Bernardini F, Boschian G, Coppa A, Dreossi D, et al. (2018) The Middle Pleistocene (MIS 12) human dental remains from Fontana Ranuccio (Latium) and Visogliano (Friuli-Venezia Giulia), Italy. A comparative high resolution endostructural assessment. PLoS ONE 13(10): e0189773.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0189773

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