ジェンダー差と経済的発展およびジェンダー平等性との関係
ジェンダー差と経済的発展およびジェンダー平等性との関係についての研究(Falk, and Hermle., 2018)が公表されました。リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼といった基本的な選好は、人間の行動の基礎となります。経済学や心理学の諸研究は、選好における重要なジェンダー差を報告しており、職業選択や投資や教育機会におけるジェンダー差の基盤を説明します。選好におけるジェンダー差の起源と国家・文化間での可変性は多くの研究で扱われており、生物学的・進化的決定論と社会的環境の役割が議論されています。
本論文は、76ヶ国の15歳以上の8万人を対象とした調査から、国内総生産(GDP)およびジェンダー平等性のような国家水準の変数と選好データ(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)を比較しました。これらのデータに基づいて、仮説が検証されました。データセットは、全大陸と広範な文化的および経済的発展水準の範囲を含むよう、選ばれました。総合すると、データは世界の人口および所得の約90%に相当する国家群から得られることになりました。多様な文化的・経済的範囲を対象としたことで、より信頼性の高い調査になった、というわけです。
本論文が比較・検証したのは競合的な二つの仮説です。一方は社会的役割仮説で、以下のように想定されます。経済的により発展し、よりジェンダー平等的な国家では、ジェンダー間の選好の違いを緩和します。つまり、選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と負の相関を示します。もう一方は資源仮説で、以下のように想定されます。物質的・社会的資源のより大きな利用可能性は、生存のためのジェンダーに左右されない行動を軽減させ、ジェンダー特有の欲望を拡大させます。資源へのよりジェンダー平等的な利用可能性によって、ジェンダー間の相互に独立的な選好が現れ、結果として選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と正の相関を示します。
分析の結果、選好におけるジェンダー差に国家間で大きな多様性がある、と明らかになりました。さらに、すべての選好(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)において、ジェンダー差とジェンダー平等性および経済的発展とは顕著に正の相関を示す、と明らかになりました。経済がより発展し、ジェンダー間がより平等になっていくと、選好におけるジェンダー差がより大きくなっていく、というわけです。つまり、社会的役割仮説よりも資源仮説の方が妥当となります。また本論文は、こうした選好の違いが、5種類の性格仮説(外向性・調和性・誠実性・神経症的傾向・経験への開放性)や価値優先順位のような、他の個性的な特性とも関連している可能性を指摘しています。
本論文の知見は、基本的な選好におけるジェンダー差の要因として、ジェンダー特有の役割の影響も、生物学的または進化的な役割も排除しません。しかし本論文は、社会的発展への顕著な役割に寄与しない理論は不充分だと強調し、国家間のジェンダー特有の選好の独立した形成および表現を促進するさいに、物質的・社会的資源への利用可能性の向上と、ジェンダー間の平等なアクセスが重要である、と指摘します。ジェンダー特有の選好をジェンダー間の差別の理由としてはならず、ジェンダー特有の選好を妨げる物質的貧困やジェンダー間の不平等性を解消していかねばならない、ということでしょうか。
本論文の知見は、ジェンダー差は誕生以降の経験や学習の差によりもたらされるもので、ジェンダー間の経験の差が縮小するにつれてジェンダー差も縮小する、というような見解を支持しているだろう(関連記事)、「リベラル」やフェミニズムの側の少なからぬ?人々にとって、不都合なものかもしれません。それでも本論文は、できるだけ「リベラル」やフェミニズムの側に寄り添おうとしているように思います。もちろん、本論文で検証対象となったような基本的な選好においても個体差はあり、それは、男性よりも身長の高い女性が珍しくないことと同様です。しかし、本論文の知見が示唆するように、基本的な選好においてジェンダー間で明確な生得的な違いがある可能性は高く、それは社会構造に大きな影響を及ぼすでしょう。
社会設計においては、単に経済を発展させてジェンダー間の平等性を高めていけばジェンダー関連の社会問題は万事解決するというものではなく、ジェンダー間の生得的な違いが新たな社会問題を惹起する可能性は高いと思います。と言いますか、さほど注目されていないだけで、現時点ですでに生じている可能性は高いと思います。ジェンダー差は社会的に構築されたものにすぎない、との言説を「真理」としてしまえば、弊害は少なくないのではないか、と私は懸念しています。まあこんなことを言うと、無知な反動主義者とか差別主義者とか「ネトウヨ」とかミソジニーとか、少なからぬ人に罵倒・嘲笑されるのでしょうが、当ブログでは、私が妥当だと考えていることをなるべく淡々と述べていくつもりです。
参考文献:
Falk A, and Hermle J.(2018): Relationship of gender differences in preferences to economic development and gender equality. Science, 362, 6412, eaas9899.
https://doi.org/10.1126/science.aas9899
本論文は、76ヶ国の15歳以上の8万人を対象とした調査から、国内総生産(GDP)およびジェンダー平等性のような国家水準の変数と選好データ(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)を比較しました。これらのデータに基づいて、仮説が検証されました。データセットは、全大陸と広範な文化的および経済的発展水準の範囲を含むよう、選ばれました。総合すると、データは世界の人口および所得の約90%に相当する国家群から得られることになりました。多様な文化的・経済的範囲を対象としたことで、より信頼性の高い調査になった、というわけです。
本論文が比較・検証したのは競合的な二つの仮説です。一方は社会的役割仮説で、以下のように想定されます。経済的により発展し、よりジェンダー平等的な国家では、ジェンダー間の選好の違いを緩和します。つまり、選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と負の相関を示します。もう一方は資源仮説で、以下のように想定されます。物質的・社会的資源のより大きな利用可能性は、生存のためのジェンダーに左右されない行動を軽減させ、ジェンダー特有の欲望を拡大させます。資源へのよりジェンダー平等的な利用可能性によって、ジェンダー間の相互に独立的な選好が現れ、結果として選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と正の相関を示します。
分析の結果、選好におけるジェンダー差に国家間で大きな多様性がある、と明らかになりました。さらに、すべての選好(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)において、ジェンダー差とジェンダー平等性および経済的発展とは顕著に正の相関を示す、と明らかになりました。経済がより発展し、ジェンダー間がより平等になっていくと、選好におけるジェンダー差がより大きくなっていく、というわけです。つまり、社会的役割仮説よりも資源仮説の方が妥当となります。また本論文は、こうした選好の違いが、5種類の性格仮説(外向性・調和性・誠実性・神経症的傾向・経験への開放性)や価値優先順位のような、他の個性的な特性とも関連している可能性を指摘しています。
本論文の知見は、基本的な選好におけるジェンダー差の要因として、ジェンダー特有の役割の影響も、生物学的または進化的な役割も排除しません。しかし本論文は、社会的発展への顕著な役割に寄与しない理論は不充分だと強調し、国家間のジェンダー特有の選好の独立した形成および表現を促進するさいに、物質的・社会的資源への利用可能性の向上と、ジェンダー間の平等なアクセスが重要である、と指摘します。ジェンダー特有の選好をジェンダー間の差別の理由としてはならず、ジェンダー特有の選好を妨げる物質的貧困やジェンダー間の不平等性を解消していかねばならない、ということでしょうか。
本論文の知見は、ジェンダー差は誕生以降の経験や学習の差によりもたらされるもので、ジェンダー間の経験の差が縮小するにつれてジェンダー差も縮小する、というような見解を支持しているだろう(関連記事)、「リベラル」やフェミニズムの側の少なからぬ?人々にとって、不都合なものかもしれません。それでも本論文は、できるだけ「リベラル」やフェミニズムの側に寄り添おうとしているように思います。もちろん、本論文で検証対象となったような基本的な選好においても個体差はあり、それは、男性よりも身長の高い女性が珍しくないことと同様です。しかし、本論文の知見が示唆するように、基本的な選好においてジェンダー間で明確な生得的な違いがある可能性は高く、それは社会構造に大きな影響を及ぼすでしょう。
社会設計においては、単に経済を発展させてジェンダー間の平等性を高めていけばジェンダー関連の社会問題は万事解決するというものではなく、ジェンダー間の生得的な違いが新たな社会問題を惹起する可能性は高いと思います。と言いますか、さほど注目されていないだけで、現時点ですでに生じている可能性は高いと思います。ジェンダー差は社会的に構築されたものにすぎない、との言説を「真理」としてしまえば、弊害は少なくないのではないか、と私は懸念しています。まあこんなことを言うと、無知な反動主義者とか差別主義者とか「ネトウヨ」とかミソジニーとか、少なからぬ人に罵倒・嘲笑されるのでしょうが、当ブログでは、私が妥当だと考えていることをなるべく淡々と述べていくつもりです。
参考文献:
Falk A, and Hermle J.(2018): Relationship of gender differences in preferences to economic development and gender equality. Science, 362, 6412, eaas9899.
https://doi.org/10.1126/science.aas9899
この記事へのコメント