鳥取市の弥生時代後期の人骨のmtDNA解析
鳥取市の弥生時代後期の人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析について報道されました。報道だけでは詳細は不明ですが、備忘録としてとりあえず取り上げます。鳥取市の青谷上寺地遺跡で出土した、弥生時代後期となる紀元後1~2世紀の大量の人骨のmtDNAが解析され、そのほとんどの「特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通している」と明らかになったそうです。ほとんどが「渡来系」とされているハプログループに分類された、ということでしょうか。
「縄文系の人々との交わりもある程度、進んでいたと考えられる時期」なのに、DNA解析の結果、「そうした特徴は見られず、研究グループは、新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています」とのことです。報道を読んだ限りでは、核DNA解析はまだ行なわれていないようなので、在来の「縄文系」との交雑については、今後の研究の進展を俟つしかないでしょう。たとえば、極端な想定になりますが、青谷上寺地遺跡の集団がほぼ完全な母系制を長期間維持していたとすると、ユーラシア大陸東部、おそらくは朝鮮半島から(直接か九州北部を経由して)山陰地方に移住してそれなりに時間が経過し、在来の「縄文系」との融合もある程度進んでいたとしても、mtDNAハプログループがほとんど「渡来系」である可能性も想定できる、と思います。
まあ、そこまできょくたんな事例は想定しにくいので、青谷上寺地遺跡の集団は弥生時代後期におそらくは朝鮮半島から山陰地方に移住してきた集団で、「縄文系」との融合はまだあまり進展していなかった、という可能性が高そうです。縄文時代晩期以降、古墳時代にかけて、朝鮮半島を中心にユーラシア大陸東部から日本列島に移住してきた人々は少なからずいるでしょうが、平均的に渡来してきたというよりは、何度か大きな波があったのではないか、と思います。そうすると、ユーラシア大陸東部の戦乱と関連づけたくなりますが、研究の進展を慎重に俟つべきだと思います。
「縄文系の人々との交わりもある程度、進んでいたと考えられる時期」なのに、DNA解析の結果、「そうした特徴は見られず、研究グループは、新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています」とのことです。報道を読んだ限りでは、核DNA解析はまだ行なわれていないようなので、在来の「縄文系」との交雑については、今後の研究の進展を俟つしかないでしょう。たとえば、極端な想定になりますが、青谷上寺地遺跡の集団がほぼ完全な母系制を長期間維持していたとすると、ユーラシア大陸東部、おそらくは朝鮮半島から(直接か九州北部を経由して)山陰地方に移住してそれなりに時間が経過し、在来の「縄文系」との融合もある程度進んでいたとしても、mtDNAハプログループがほとんど「渡来系」である可能性も想定できる、と思います。
まあ、そこまできょくたんな事例は想定しにくいので、青谷上寺地遺跡の集団は弥生時代後期におそらくは朝鮮半島から山陰地方に移住してきた集団で、「縄文系」との融合はまだあまり進展していなかった、という可能性が高そうです。縄文時代晩期以降、古墳時代にかけて、朝鮮半島を中心にユーラシア大陸東部から日本列島に移住してきた人々は少なからずいるでしょうが、平均的に渡来してきたというよりは、何度か大きな波があったのではないか、と思います。そうすると、ユーラシア大陸東部の戦乱と関連づけたくなりますが、研究の進展を慎重に俟つべきだと思います。
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