シャテルペロニアンの担い手の検証

 シャテルペロニアン(Châtelperronian)の担い手を改めて検証した研究(Gravina et al., 2018)が公表されました。西ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期は、現生人類(Homo sapiens)によるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の置換とも関連しており、高い関心が寄せられ、激しい議論が続いています。当ブログではこれまで、フランス西部~スペイン北部で確認されるシャテルペロニアンをヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」と把握してきましたが、本論文では、石刃・骨器・装飾品・顔料といった要素の見られるシャテルペロニアンは現在、西ヨーロッパで最初の真の上部旧石器時代インダストリーと考えられている、と指摘されています。

 ともかく、シャテルペロニアンはヨーロッパの人類進化史をめぐる議論において重要な役割を担っており、とくに、シャテルペロニアンの担い手がどの系統の人類なのか、という問題は注目されています。当初、シャテルペロニアンには上部旧石器的要素が見られることから、現生人類が担い手と考えられていました。その後、シャテルペロニアンの人工物とネアンデルタール人遺骸との共伴が報告され、ネアンデルタール人が担い手と考えられるようになりました。しかし、本論文が指摘するように、シャテルペロニアンとネアンデルタール人遺骸との共伴は、フランスの2ヶ所の遺跡でしか報告されていません。

 一つは、アルシ=スュル=キュール(Arcy-sur-Cure)のトナカイ洞窟(Grotte du Renne)のシャテルペロニアン層の最下層における散乱した歯と側頭骨で、もう一つは、サン=セザール(Saint-Césaire)のラ・ロシュ=ア=ピエロ(La Roche-à-Pierrot)のシャテルペロニアン層の部分的なネアンデルタール人骨格です。これらネアンデルタール人遺骸とシャテルペロニアンの関係をめぐって長く議論が続いており、シャテルペロニアンの担い手については、以下のような仮説が提示されてきました。

 まず、シャテルペロニアン層のネアンデルタール人の骨は攪乱の結果で現生人類が担い手という説(仮にA説としておきます)と、大きな攪乱はなく、ネアンデルタール人が担い手という説に大きくは区分されます。ネアンデルタール人が担い手という仮説はまず、シャテルペロニアンの象徴的思考を示す人工物が本当にシャテルペロニアンのものなのか否か、という点で分類されます。一方は、それら象徴的思考を示す人工物は後世の層からの嵌入であり、シャテルペロニアン期のものではない、と想定します(仮にB説としておきます)。

 さらに、それら象徴的思考を示す人工物がシャテルペロニアン期のものだと認めたうえで、その製作者がどの系統の人類か、という点で分類されます。シャテルペロニアン期にフランス西部~スペイン北部にまで現生人類が進出していたのか、微妙な問題です。当時すでに現生人類がこの地域に進出していたとする立場からは、シャテルペロニアンに見られる象徴的思考を示す人工物はネアンデルタール人が現生人類から入手したか(仮にC説としておきます)、ネアンデルタール人が(あるいはその象徴的意味を理解せずに)模倣して作ったのだ、との見解が提示されています(仮にD説としておきます)。

 これに対して、ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを発展させたと主張する見解もあります(仮にE説としておきます)。また、ネアンデルタール人の所産と考えられる遺跡数が減少するなか、フランス南西部~スペイン北東部にかけてシャテルペロニアンの遺跡が増加していることから、シャテルペロニアン遺跡の全てがネアンデルタール人の所産と考えると矛盾点が多く、現生人類がその形成に大きく関与していたのではないか、との見解(仮にF説としておきます)も提示されています(関連記事)。シャテルペロニアンは、ヨーロッパに限らず、現生人類によるネアンデルタール人の置換理由、さらには現生人類と比較してのネアンデルタール人の認知能力といった、関心の高い問題の解明の重要な手がかりになりそうだという点でも、注目されています。

 前置きが長くなってしまいましたが、本論文は、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡のネアンデルタール人遺骸が発見された層を改めて検証しています。その結果明らかになったのは、少なくともネアンデルタール人遺骸の一部は、二次埋葬や後世の嵌入により本来の年代と異なる層に位置している可能性は低そうで、本来その層にあっただろう、ということです。また、ネアンデルタール人遺骸の層では確かにシャテルペロニアン石器も発見されていますが、圧倒的に多いのはシャテルペロニアンより前のインダストリーであるムステリアン(Mousterian)石器で、ネアンデルタール人遺骸はシャテルペロニアンではなく、ムステリアンと関連づけるべきだ、と本論文は指摘しています。つまり、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡において、シャテルペロニアン人工物とネアンデルタール人遺骸が共伴していると示すような信頼性の高い証拠はない、というわけです。

 上述したように、シャテルペロニアンの担い手は、西ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期と、現生人類によるネアンデルタール人の置換理由、さらには両者の認知能力の違いを理解するうえで重要となります。これまで、たびたび疑問が呈されてはいたものの、シャテルペロニアンの担い手をネアンデルタール人と想定する見解は一定以上支持されていたというか、圧倒的ではないとしても、むしろ優勢だったように思います。しかし本論文は、ネアンデルタール人とシャテルペロニアンとの関連を示す証拠とされた2ヶ所の遺跡のうち、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡では、それを示すような信頼性の高い証拠はない、と指摘しています。

 ただ、本論文の見解が妥当だとしても、ネアンデルタール人とシャテルペロニアンとの関連を示す証拠とされた2ヶ所の遺跡のうち、トナカイ洞窟の事例は依然として有効だと思います(関連記事)。もっとも、トナカイ洞窟におけるシャテルペロニアンとネアンデルタール人との関連も、今後の検証により否定されることになるかもしれません。もしそうなると、上述した、シャテルペロニアン遺跡の一部に現生人類が関与したとの仮説は有力になっていくかもしれません。もちろん、「先祖返り」して、シャテルペロニアンの担い手は現生人類との仮説が定着する可能性も考えられます。

 イベリア半島北部では、ムステリアンの終焉から数千年以上経過して、シャテルペロニアンと、現生人類が担い手の可能性のきわめて高そうなオーリナシアン(Aurignacian)とが、500~1000年ほど重なっていることも注目されます(関連記事)。ヨーロッパのムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみでしょうから、現生人類の拡散してきた地域では、現生人類の影響も受けつつ上部旧石器的なインダストリーに移行したネアンデルタール人集団のみが、短期間とはいえ現生人類集団の圧力に抵抗できて共存した、とも考えられます。あるいは、シャテルペロニアンの担い手の一部もしくは全ては現生人類で、ネアンデルタール人との接触によりシャテルペロニアンを開発した、とも考えられます。

 ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを開発した可能性(上記区分ではE説)も考えられますが、イベリア半島北部ではオーリナシアンがシャテルペロニアンに先行しそうですから、シャテルペロニアンの全てもしくは一部がネアンデルタール人の所産だとしても、現生人類の影響を想定する方が妥当なのかもしれません。シャテルペロニアンの担い手は、現生人類と比較してのネアンデルタール人の認知能力の評価、さらにはネアンデルタール人の絶滅要因とも関わってくるだけに、シャテルペロニアンをはじめとして、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代の各インダストリーの担い手と起源・展開に関する研究の進展は注目されます。


参考文献:
Gravina B. et al.(2018): No Reliable Evidence for a Neanderthal-Châtelperronian Association at La Roche-à-Pierrot, Saint-Césaire. Scientific Reports, 8, 15134.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33084-9

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック