6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直しへの反論
6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直しへの反論(Hoffmann et al., 2018C)が公表されました。今年(2018年)2月に、スペインの洞窟壁画の年代が6万年以上前までさかのぼると公表され(Hoffmann論文)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産である可能性が高いということで、大きな話題を呼びました(関連記事)。具体的には、北部となるカンタブリア(Cantabria)州のラパシエガ(La Pasiega)洞窟、ポルトガルとの国境に近く西部となるエストレマドゥーラ(Extremadura)州のマルトラビエソ(Maltravieso)洞窟、南部となるアンダルシア(Andalucía)州のアルダレス(Ardales)洞窟です。
もっとも、これら3洞窟の壁画が現生人類(Homo sapiens)の所産である可能性も一部で指摘されていましたし(関連記事)、そもそも年代に疑問が呈されていることも当ブログで取り上げました(関連記事)。先月(2018年9月)、これら洞窟壁画の年代で古いものには肯定的証拠がなく、新しい年代は信頼性が高いものの、「芸術的」表現とは言えない、と指摘した批判(Slimak論文)が公表されました(関連記事)。本論文はこの批判への反論となります。以下、本論文の内容を短くまとめました。
Slimak論文は、Hoffmann論文の見解が正しいとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、と指摘します。じゅうらい、ヨーロッパで最古の洞窟絵画はスペイン北部のカンタブリア州にあるエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟で発見されており、40800年前頃以前と推定されていました(関連記事)。Hoffmann論文はヨーロッパにおける洞窟壁画の年代が65000年前よりもさかのぼると推測したので、そうだとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、というわけです。しかし、それはHoffmann論文を誤解したためで、Hoffmann論文はそうした空白期間(中断)の存在を示唆していません。アルダレス洞窟の壁画のうち、年代の根拠とされた標本の一つであるARD16の45900年前という下限年代と、ARD 08・09・06標本の63700年前という上限年代および32100年前という下限年代は、Slimak論文の云う「空白期間」に該当します。じっさい、Hoffmann論文の65000年以上前の壁画を除外しても、数百点もの壁画と関連する年代値が、空白期間に該当します。またSlimak論文は、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物で覆われた二次生成物の年代の信頼性は高いと指摘しつつも、それが人為的なのか疑問を呈していますが、100年以上の研究で人為的と確定しており、さらには技巧的との認識すらあります。
Hoffmann論文にたいするSlimak論文の疑問は、(1)年代測定の試料となった炭酸塩は、信頼性の高い年代が得られる「閉鎖系」ではなく、「開放系」だったのではないか、(2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている「非放射性」トリウム230により測定年代がじっさいより古くなってしまう可能性、(3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物による年代補正、という3点となります。本論文は、Slimak論文のこれら3点の疑問を検証しています。
(1)Slimak論文が指摘するように、Hoffmann論文は系列的な標本抽出方法論を開放系か閉鎖系かの検証に用いました。第二次標本の年代は層序学的に正しく、外側から内側へと顔料に近づくにつれて、年代が古くなります。開放系では、第二次標本の年代学的順序がこのように秩序だっていることはほとんどあり得ません。Hoffmann論文は複数の第二次標本を用いて検証しており、閉鎖系ではなく開放系の炭酸塩を年代測定の試料としたのではないか、との疑念は払拭されます。
(2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている、いわゆる非放射性トリウム230の問題に関して、Hoffmann論文では、壁画の年代を測定した3ヶ所の洞窟すべてで、標本のなかに1000年前以降と年代測定されたものもありました。この結果は、水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれ、実際よりも古い年代値が得られた、とする仮説とまったく一致しません。水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれたとすると、ウラン-トリウム年代法では1000年前以降という新しい年代は得られないからです。
(3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物汚染の補正を考慮すると、ラパシエガ洞窟の標本(PAS34c)に大きな不確実性があるの確かで、Hoffmann論文でも補足で長く議論されました。Hoffmann論文は、選択した補正要因が、同じく砕屑物補正の影響を受けるウラン234/ウラン238の比率から見ても適切だと示しました。Slimak論文は、ラパシエガ洞窟の他の全標本と一致しない、PAS34cのウラン234/ウラン238比率を利用するよう提案しますが、その効果を説明していません。さらに、PAS34cを除外しても、ラパシエガ洞窟の他の標本であるPAS34aとPAS34bは53000年前という下限年代を示しており、ラパシエガ洞窟の壁画が上部旧石器時代よりも前であることを示唆しています。
Slimak論文は、Hoffmann論文の結果に由来する年代線に基づき、PAS34の年代がもっと新しい、と論じています。しかし、3点のデータポイントに由来する年代線は妥当ではなく、最低限5点が必要となるでしょう。さらに、これらの皮殻タイプが短期間で形成されるとの推測は、以前の結果からは支持されません。ウラン-トリウム年代法により系列的に年代測定された流華石への仮説的例示からは、Slimak論文の年代線の誤りがどのように生じるのか、示します。Slimak論文の年代線は25000年間の洞窟壁画の空白期間という仮説と一致しませんし、その高い砕屑物補正は大まかに言って、標本が同年代という間違った推測の結果です。Slimak論文の年代線は、より新しい標本の結合に偏向しています。Slimak論文の手法は、PAS34a・b・c標本が同時代だと示せなければ、不適切です。
炭酸塩標本は、砕屑物のトリウムによりある程度は汚染され、Slimak論文が提案した、トリウム232/ウラン238比もしくはトリウム232/ウラン234比の測定に基づく信頼性の閾値は完全に恣意的です。より重要なのは、適用された補正年代の信頼度です。各遺跡への年代とトリウム232/ウラン234比の間に明確な正の相関性はなく、その年代は砕屑物補正とは比較的関連していません。アルダレス洞窟では、標本ARD5およびARD13bの現実的なウラン238/トリウム232比の値は、依然として59000年前という下限年代を示します。この標本の補正年代がSlimak論文の推測する47000年前以降と示すには、ひじょうに非現実的な砕屑物性のウラン238/トリウム232比が要求されます。Hoffmann論文の砕屑物に関する年代補正は堅牢です。
マルトラビエソ洞窟の標本は、より高い砕屑物のトリウムにより特徴づけられます。したがってHoffmann論文では、砕屑物構成を直接的に特徴づける余分な努力がなされました。マルトラビエソ洞窟からの堆積物が集められ、標本の砕屑物断片の代用物として分析されました。二次生成物柱もまた標本抽出され、一連の6点の成長層が年代測定され、堆積物に由来する補正を制御します。分析の結果、これらの標本は補正年代に大きく影響を及ぼすには充分ではない、と明らかになりました。Slimak論文は、マルトラビエソの手形は中部旧石器時代になる、というHoffmann論文の見解に疑問を呈しましたが、それは単一の標本に基づいた年代だという不正確な認識に基づくもので、退けられます。マルトラビエソ洞窟の一部の壁画の年代は、63600+9600-8400年前と推測されます。
現時点での証拠に基づくと、ヨーロッパにおいて洞窟壁画は65000年前以前に始まって、旧石器時代にわたってずっと断続的に描かれた、との想定が最もあり得そうです。Slimak論文は、ヨーロッパ中央部のボフニチアン(Bohunician)とフランス地中海沿岸のネロニアン(Neronian)という二つの複合技術の年代が5万年前頃で、現生人類と関連している可能性を指摘します。Slimak論文は、年代の信頼性が高いと主張する、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物が人為的か疑問を呈していますが、上述したように、人為的である可能性は高いでしょう。しかし、それが人為的だったとしても、47000年前頃にヨーロッパに現生人類が到達していた可能性を指摘することで、ネアンデルタール人は洞窟壁画を描けなかった、と主張する人々にとって、Slimak論文の見解は受け入れやすくなっています。しかし、Hoffmann論文を改めて検証した結果、その推測には根拠がありませんでした。ヨーロッパ最古の現生人類はルーマニアのワセ1(Oase 1)下顎骨で、年代は4万年前頃以降です(関連記事)。一方、直接的に年代測定された5万~4万年前頃のネアンデルタール人遺骸は、ヨーロッパ中で確認されています。これらの年代的なパターンは、ヨーロッパ最初の洞窟芸術の制作者がネアンデルタール人だと示唆しています。
以上、ざっと本論文の指摘を見てきました。私は門外漢なので、ただちに的確な結論を下すことはとてもできませんが、乏しい知見で判断すると、本論文の反論の方にずっと説得力があるように思います。現時点では、ヨーロッパにおいて洞窟壁画を初めて描いたのはネアンデルタール人で、現生人類の影響はなかった、と考えるのが節約的だと思います。もちろん、現生人類がアフリカで独自に洞窟壁画を描き始めていたとしても不思議ではなく、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Hoffmann DL. et al.(2018C): Response to Comment on “U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art”. Science, 362, 6411, eaau1736.
https://doi.org/10.1126/science.aau1736
もっとも、これら3洞窟の壁画が現生人類(Homo sapiens)の所産である可能性も一部で指摘されていましたし(関連記事)、そもそも年代に疑問が呈されていることも当ブログで取り上げました(関連記事)。先月(2018年9月)、これら洞窟壁画の年代で古いものには肯定的証拠がなく、新しい年代は信頼性が高いものの、「芸術的」表現とは言えない、と指摘した批判(Slimak論文)が公表されました(関連記事)。本論文はこの批判への反論となります。以下、本論文の内容を短くまとめました。
Slimak論文は、Hoffmann論文の見解が正しいとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、と指摘します。じゅうらい、ヨーロッパで最古の洞窟絵画はスペイン北部のカンタブリア州にあるエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟で発見されており、40800年前頃以前と推定されていました(関連記事)。Hoffmann論文はヨーロッパにおける洞窟壁画の年代が65000年前よりもさかのぼると推測したので、そうだとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、というわけです。しかし、それはHoffmann論文を誤解したためで、Hoffmann論文はそうした空白期間(中断)の存在を示唆していません。アルダレス洞窟の壁画のうち、年代の根拠とされた標本の一つであるARD16の45900年前という下限年代と、ARD 08・09・06標本の63700年前という上限年代および32100年前という下限年代は、Slimak論文の云う「空白期間」に該当します。じっさい、Hoffmann論文の65000年以上前の壁画を除外しても、数百点もの壁画と関連する年代値が、空白期間に該当します。またSlimak論文は、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物で覆われた二次生成物の年代の信頼性は高いと指摘しつつも、それが人為的なのか疑問を呈していますが、100年以上の研究で人為的と確定しており、さらには技巧的との認識すらあります。
Hoffmann論文にたいするSlimak論文の疑問は、(1)年代測定の試料となった炭酸塩は、信頼性の高い年代が得られる「閉鎖系」ではなく、「開放系」だったのではないか、(2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている「非放射性」トリウム230により測定年代がじっさいより古くなってしまう可能性、(3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物による年代補正、という3点となります。本論文は、Slimak論文のこれら3点の疑問を検証しています。
(1)Slimak論文が指摘するように、Hoffmann論文は系列的な標本抽出方法論を開放系か閉鎖系かの検証に用いました。第二次標本の年代は層序学的に正しく、外側から内側へと顔料に近づくにつれて、年代が古くなります。開放系では、第二次標本の年代学的順序がこのように秩序だっていることはほとんどあり得ません。Hoffmann論文は複数の第二次標本を用いて検証しており、閉鎖系ではなく開放系の炭酸塩を年代測定の試料としたのではないか、との疑念は払拭されます。
(2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている、いわゆる非放射性トリウム230の問題に関して、Hoffmann論文では、壁画の年代を測定した3ヶ所の洞窟すべてで、標本のなかに1000年前以降と年代測定されたものもありました。この結果は、水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれ、実際よりも古い年代値が得られた、とする仮説とまったく一致しません。水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれたとすると、ウラン-トリウム年代法では1000年前以降という新しい年代は得られないからです。
(3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物汚染の補正を考慮すると、ラパシエガ洞窟の標本(PAS34c)に大きな不確実性があるの確かで、Hoffmann論文でも補足で長く議論されました。Hoffmann論文は、選択した補正要因が、同じく砕屑物補正の影響を受けるウラン234/ウラン238の比率から見ても適切だと示しました。Slimak論文は、ラパシエガ洞窟の他の全標本と一致しない、PAS34cのウラン234/ウラン238比率を利用するよう提案しますが、その効果を説明していません。さらに、PAS34cを除外しても、ラパシエガ洞窟の他の標本であるPAS34aとPAS34bは53000年前という下限年代を示しており、ラパシエガ洞窟の壁画が上部旧石器時代よりも前であることを示唆しています。
Slimak論文は、Hoffmann論文の結果に由来する年代線に基づき、PAS34の年代がもっと新しい、と論じています。しかし、3点のデータポイントに由来する年代線は妥当ではなく、最低限5点が必要となるでしょう。さらに、これらの皮殻タイプが短期間で形成されるとの推測は、以前の結果からは支持されません。ウラン-トリウム年代法により系列的に年代測定された流華石への仮説的例示からは、Slimak論文の年代線の誤りがどのように生じるのか、示します。Slimak論文の年代線は25000年間の洞窟壁画の空白期間という仮説と一致しませんし、その高い砕屑物補正は大まかに言って、標本が同年代という間違った推測の結果です。Slimak論文の年代線は、より新しい標本の結合に偏向しています。Slimak論文の手法は、PAS34a・b・c標本が同時代だと示せなければ、不適切です。
炭酸塩標本は、砕屑物のトリウムによりある程度は汚染され、Slimak論文が提案した、トリウム232/ウラン238比もしくはトリウム232/ウラン234比の測定に基づく信頼性の閾値は完全に恣意的です。より重要なのは、適用された補正年代の信頼度です。各遺跡への年代とトリウム232/ウラン234比の間に明確な正の相関性はなく、その年代は砕屑物補正とは比較的関連していません。アルダレス洞窟では、標本ARD5およびARD13bの現実的なウラン238/トリウム232比の値は、依然として59000年前という下限年代を示します。この標本の補正年代がSlimak論文の推測する47000年前以降と示すには、ひじょうに非現実的な砕屑物性のウラン238/トリウム232比が要求されます。Hoffmann論文の砕屑物に関する年代補正は堅牢です。
マルトラビエソ洞窟の標本は、より高い砕屑物のトリウムにより特徴づけられます。したがってHoffmann論文では、砕屑物構成を直接的に特徴づける余分な努力がなされました。マルトラビエソ洞窟からの堆積物が集められ、標本の砕屑物断片の代用物として分析されました。二次生成物柱もまた標本抽出され、一連の6点の成長層が年代測定され、堆積物に由来する補正を制御します。分析の結果、これらの標本は補正年代に大きく影響を及ぼすには充分ではない、と明らかになりました。Slimak論文は、マルトラビエソの手形は中部旧石器時代になる、というHoffmann論文の見解に疑問を呈しましたが、それは単一の標本に基づいた年代だという不正確な認識に基づくもので、退けられます。マルトラビエソ洞窟の一部の壁画の年代は、63600+9600-8400年前と推測されます。
現時点での証拠に基づくと、ヨーロッパにおいて洞窟壁画は65000年前以前に始まって、旧石器時代にわたってずっと断続的に描かれた、との想定が最もあり得そうです。Slimak論文は、ヨーロッパ中央部のボフニチアン(Bohunician)とフランス地中海沿岸のネロニアン(Neronian)という二つの複合技術の年代が5万年前頃で、現生人類と関連している可能性を指摘します。Slimak論文は、年代の信頼性が高いと主張する、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物が人為的か疑問を呈していますが、上述したように、人為的である可能性は高いでしょう。しかし、それが人為的だったとしても、47000年前頃にヨーロッパに現生人類が到達していた可能性を指摘することで、ネアンデルタール人は洞窟壁画を描けなかった、と主張する人々にとって、Slimak論文の見解は受け入れやすくなっています。しかし、Hoffmann論文を改めて検証した結果、その推測には根拠がありませんでした。ヨーロッパ最古の現生人類はルーマニアのワセ1(Oase 1)下顎骨で、年代は4万年前頃以降です(関連記事)。一方、直接的に年代測定された5万~4万年前頃のネアンデルタール人遺骸は、ヨーロッパ中で確認されています。これらの年代的なパターンは、ヨーロッパ最初の洞窟芸術の制作者がネアンデルタール人だと示唆しています。
以上、ざっと本論文の指摘を見てきました。私は門外漢なので、ただちに的確な結論を下すことはとてもできませんが、乏しい知見で判断すると、本論文の反論の方にずっと説得力があるように思います。現時点では、ヨーロッパにおいて洞窟壁画を初めて描いたのはネアンデルタール人で、現生人類の影響はなかった、と考えるのが節約的だと思います。もちろん、現生人類がアフリカで独自に洞窟壁画を描き始めていたとしても不思議ではなく、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Hoffmann DL. et al.(2018C): Response to Comment on “U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art”. Science, 362, 6411, eaau1736.
https://doi.org/10.1126/science.aau1736
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