宋代以降の中国人を尊敬しない日本人

 日本で尊敬される「中国人」の大半が宋代より前の人物である理由について論じた記事が公表されました。「春秋時代の中国人は生気に満ち溢れ、品格もあったと紹介したほか、漢や唐の時代の中国人は自信に溢れ、余裕と覇気があった」のに対して、「明や清の時代の中国人は鈍感で脆弱、そして創造力も失っていた」とか、春秋時代は「平等や独立が重視された時代」だったのに、「明や清の時代では、政府の役人は名声と利益以外に関心がなく、汚職が蔓延り、平等や独立はもちろん、尊厳や人格といったものも社会からなくなった」とか、率直に言って、大した根拠もない与太話としか思えません。しかし、信頼性の高い調査はないかもしれませんが、現代日本社会で尊敬される「中国人」の大半が宋代より前の人物である可能性は高いと思います。もちろん、王陽明など例外もいるでしょうが。

 この一因は、「元代以降の日本による中国軽視」の原因を分析した記事にたいする雑感で述べたこととかなり重なりますが、遣唐使の「廃止(実際は延期)」以降、「日本」は「中国」の影響を受けず独自の文化を発展させていった、との認識が現代日本社会の一般層では定着しているからでしょう(以下、煩雑になるので「中国」も「日本」も「」で括りません)。この認識が間違っており、唐滅亡以後も日本が中国文化の影響を強く受け続けたことは、河内春人「国風文化と唐物の世界」などで指摘されています(関連記事)。さらに、上記の雑感でも述べましたが、日本では江戸時代において中国文化への傾倒が頂点に達し、この状況が変わるのは、中国文化とは大きく異なる近代ヨーロッパ文化の本格的な受容以降のことでした。

 なお、上記の記事にたいして、「ふざけるな。宋王朝は中華文明の精華やぞ。現代の歴史家に妙に評価が高いモンゴル帝国(元王朝)が偉大なる中華文明を何百年も以前の水準に後退させた。モンゴル帝国の拡大は人類史最大の厄災だったんだよ」との呟きを見かけました。しかし、以前にも述べましたが(関連記事)、大元ウルス治下の中国において出版文化が盛んになり、朱子学が普及していったわけで、モンゴル帝国の拡大が「中華文明を何百年も以前の水準に後退させた」との評価は的外れだと思います。

 もっとも、「明代のはじめ100年あまりは、まったく文化不毛となった。社会の暗黒さと、文化や著述の限りない乏しさは、中国史上で突出している。モンゴル治下における中国社会・経済・文化の繁栄・活発ぶりとは、両極端である。むしろ、中国文化の良さの多くは、明代のはじめ100年いじょうの空白で、いったん断絶したといってもいい。野蛮なモンゴルを追いはらって、中華文明が蘇ったなどというのは、誤解もはなはだしい」との杉山正明氏の評価(関連記事)もまた、行き過ぎかもしれませんが。

 ただ、大元ウルスの中国統治への評価の低さには理由がないわけでもなく、14世紀の中国の混乱は、大元ウルスの統治の失敗と言えるでしょうし、中国統治に関しては、おそらく後のダイチン・グルン(大清帝国)の方が上手く行なっていたのだろう、とは思います。もっとも、これに関しても、14世紀におけるユーラシア規模の気候悪化の影響が大きかったとの見解も提示されており、日本においても、観応の擾乱も含む南北朝時代の争乱が長引いた背景になっていた、との指摘もあります(関連記事)。その意味では、華夷の区別を掲げ、中国社会における南北の経済格差を解消して南北を統合するために、先進的な南を後進的な北に合わせようとして、貿易・貨幣を制限して現物主義を採用し、江南を弾圧した初期明朝の政策(関連記事)も、単にその守旧的・理念的にすぎる傾向に起因する時代錯誤ではなく、ユーラシア規模の気候悪化により混乱した中国社会への対応として評価できるのかもしれません。

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