ウルツィアンの担い手
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ウルツィアン(Uluzzian)の担い手に関する研究(Zilhão et al., 2015)が公表されました。先月(2018年9月)当ブログで取り上げた、イベリア半島北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行年代に関する論文(関連記事)に本論文が引用されており、重要だと思ったので取り上げます。なお、以下の考古学的年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です。
ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行は、47500~37500年前頃に起きました。この間、ヨーロッパ各地で「移行期インダストリー」と呼ばれる複数の文化が出現し、イタリア半島を中心に分布するウルツィアンもその一つです。イタリア半島のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)遺跡のウルツィアン層で発見された人類の乳臼歯2個は、形態的にネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)ではなく現生人類(Homo sapiens)と区分されました(関連記事)。そのため、ウルツィアンの担い手は現生人類で、現生人類はじゅうらいの見解よりも数千年早くヨーロッパ南部に到達し、ネアンデルタール人が現生人類のヨーロッパ到達前に上部旧石器文化的要素のある「移行期インダストリー」を開発したとは考えにくい、とも主張されました。
本論文は、1960年代のカヴァッロ洞窟の発掘状況を、当時の詳細な刊行物の検証も含めて再評価し、ウルツィアンの担い手について論じています。本論文は、カヴァッロ洞窟遺跡の発掘状況に疑問を呈します。カヴァッロ洞窟に関する以前の報告では、F層がムステリアン、D・E層がウルツィアン、C層が火山灰、B層が前期続グラヴェティアン(Early Epigravettian)とされていました。しかし、D層の遺物はプロトオーリナシアンとオーリナシアンが主体で、両者の前後のインダストリーであるウルツィアンと続グラヴェティアンの遺物も確認されます。本論文は、D層の形成はプロトオーリナシアン期に始まり、ウルツィアンと前期続グラヴェティアンの遺物も見られることから、それらの遺物がD層形成後の攪乱による嵌入である可能性を指摘しています。また本論文は、1960年代の発掘に問題があり、ムステリアンのF層にも影響を及ぼし、それが1964年まで認識されなかった、と指摘します。つまり、発掘時の問題により嵌入が発生した可能性もじゅうぶん考えられる、というわけです。本論文は、攪乱もしくは発掘時の問題、あるいはその両方により、カヴァッロ洞窟遺跡において遺物・人類遺骸の嵌入が起きた可能性は高い、と推測しています。現生人類と分類された乳臼歯2個は1963~1964年に発見されたので、ウルツィアンの担い手の根拠とするのは難しい、と指摘します。
本論文は次に、イタリア半島だけではなくヨーロッパに検証対象を拡大して、ウルツィアンの担い手について論じています。ウルツィアンは45000年前頃に始まりました。45000年前頃に近い年代のヨーロッパの現生人類遺骸として、イギリスのケンツ洞窟(Kent’s Cavern)で発見された上顎骨があり、年代は44200~41500年前頃と推定されています(関連記事)。しかし本論文は、ケンツ洞窟遺跡の現生人類遺骸もまた、カヴァッロ洞窟遺跡と同様に層序学的に疑問が呈されるとして、ヨーロッパにおける確実な現生人類遺骸として最古のものは、現時点ではルーマニアで発見されたワセ1(Oase 1)下顎骨のみである、と指摘しています。
さらに本論文は、45000年前頃のイタリア半島周辺では、東方のギリシア、北東のクロアチア、北方のドイツで、人類遺骸ではネアンデルタール人のみが確認されている、と指摘します。45000年前頃のヨーロッパに現生人類はおらず、人類ではネアンデルタール人しかいなかった、というわけです。また本論文は、ウルツィアンが始まった頃と同年代で、イタリア半島に直接到来できそうな地域であるエジプトやマグレブにおける、おそらくは現生人類所産のインダストリーには、ウルツィアンとの関連が確認されない、と指摘します。一方で、ウルツィアンに見られるルヴァロワ(Levallois)技術は、イタリア半島も含めてヨーロッパの先行インダストリーであるムステリアンとの明確な関連が認められます。
こうした状況証拠と、カヴァッロ洞窟遺跡の再評価から、ウルツィアンの担い手はネアンデルタール人と考えるのが最も節約的だ、との見解を本論文は提示しています。なお、本論文は、地中海における確実な航海の痕跡は7000年前頃までしかさかのぼらず、コルシカ島やサルデーニャ島にも上部旧石器時代末期か中石器時代まで人類の居住の痕跡はない、ということもウルツィアンの担い手をネアンデルタール人とする状況証拠としています。しかし、地中海を横断するような航海はなかったとしても、上部旧石器時代初期までに地中海で沿岸航海が行なわれており、ネアンデルタール人が担い手の場合もあった、という可能性は無視してよいほど低いわけではない、と思います(関連記事)。
もちろん、今後どのような発見があるか分からないので、現時点では断定できませんが、ウルツィアンの担い手がネアンデルタール人で、少なくともその始まりにおいて現生人類の影響を受けなかった可能性は高いと思います。ただ、上述したイベリア半島北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行年代に関する論文では、イベリア半島北部におけるオーリナシアン始まりは42000年以上前までさかのぼりそうなので(関連記事)、ヨーロッパにおける現生人類最初の拡散が45000年前頃近くまでさかのぼる可能性はあると思います。本論文が指摘するように、現生人類はヨーロッパ東部から西部へと拡散したでしょうから、ヨーロッパ最古級の現生人類遺骸が発見されるとしたら、東部地域の可能性が高そうです。
参考文献:
Zilhão J, Banks WE, d’Errico F, Gioia P (2015) Analysis of Site Formation and Assemblage Integrity Does Not Support Attribution of the Uluzzian to Modern Humans at Grotta del Cavallo. PLoS ONE 10(7): e0131181.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0131181
ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行は、47500~37500年前頃に起きました。この間、ヨーロッパ各地で「移行期インダストリー」と呼ばれる複数の文化が出現し、イタリア半島を中心に分布するウルツィアンもその一つです。イタリア半島のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)遺跡のウルツィアン層で発見された人類の乳臼歯2個は、形態的にネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)ではなく現生人類(Homo sapiens)と区分されました(関連記事)。そのため、ウルツィアンの担い手は現生人類で、現生人類はじゅうらいの見解よりも数千年早くヨーロッパ南部に到達し、ネアンデルタール人が現生人類のヨーロッパ到達前に上部旧石器文化的要素のある「移行期インダストリー」を開発したとは考えにくい、とも主張されました。
本論文は、1960年代のカヴァッロ洞窟の発掘状況を、当時の詳細な刊行物の検証も含めて再評価し、ウルツィアンの担い手について論じています。本論文は、カヴァッロ洞窟遺跡の発掘状況に疑問を呈します。カヴァッロ洞窟に関する以前の報告では、F層がムステリアン、D・E層がウルツィアン、C層が火山灰、B層が前期続グラヴェティアン(Early Epigravettian)とされていました。しかし、D層の遺物はプロトオーリナシアンとオーリナシアンが主体で、両者の前後のインダストリーであるウルツィアンと続グラヴェティアンの遺物も確認されます。本論文は、D層の形成はプロトオーリナシアン期に始まり、ウルツィアンと前期続グラヴェティアンの遺物も見られることから、それらの遺物がD層形成後の攪乱による嵌入である可能性を指摘しています。また本論文は、1960年代の発掘に問題があり、ムステリアンのF層にも影響を及ぼし、それが1964年まで認識されなかった、と指摘します。つまり、発掘時の問題により嵌入が発生した可能性もじゅうぶん考えられる、というわけです。本論文は、攪乱もしくは発掘時の問題、あるいはその両方により、カヴァッロ洞窟遺跡において遺物・人類遺骸の嵌入が起きた可能性は高い、と推測しています。現生人類と分類された乳臼歯2個は1963~1964年に発見されたので、ウルツィアンの担い手の根拠とするのは難しい、と指摘します。
本論文は次に、イタリア半島だけではなくヨーロッパに検証対象を拡大して、ウルツィアンの担い手について論じています。ウルツィアンは45000年前頃に始まりました。45000年前頃に近い年代のヨーロッパの現生人類遺骸として、イギリスのケンツ洞窟(Kent’s Cavern)で発見された上顎骨があり、年代は44200~41500年前頃と推定されています(関連記事)。しかし本論文は、ケンツ洞窟遺跡の現生人類遺骸もまた、カヴァッロ洞窟遺跡と同様に層序学的に疑問が呈されるとして、ヨーロッパにおける確実な現生人類遺骸として最古のものは、現時点ではルーマニアで発見されたワセ1(Oase 1)下顎骨のみである、と指摘しています。
さらに本論文は、45000年前頃のイタリア半島周辺では、東方のギリシア、北東のクロアチア、北方のドイツで、人類遺骸ではネアンデルタール人のみが確認されている、と指摘します。45000年前頃のヨーロッパに現生人類はおらず、人類ではネアンデルタール人しかいなかった、というわけです。また本論文は、ウルツィアンが始まった頃と同年代で、イタリア半島に直接到来できそうな地域であるエジプトやマグレブにおける、おそらくは現生人類所産のインダストリーには、ウルツィアンとの関連が確認されない、と指摘します。一方で、ウルツィアンに見られるルヴァロワ(Levallois)技術は、イタリア半島も含めてヨーロッパの先行インダストリーであるムステリアンとの明確な関連が認められます。
こうした状況証拠と、カヴァッロ洞窟遺跡の再評価から、ウルツィアンの担い手はネアンデルタール人と考えるのが最も節約的だ、との見解を本論文は提示しています。なお、本論文は、地中海における確実な航海の痕跡は7000年前頃までしかさかのぼらず、コルシカ島やサルデーニャ島にも上部旧石器時代末期か中石器時代まで人類の居住の痕跡はない、ということもウルツィアンの担い手をネアンデルタール人とする状況証拠としています。しかし、地中海を横断するような航海はなかったとしても、上部旧石器時代初期までに地中海で沿岸航海が行なわれており、ネアンデルタール人が担い手の場合もあった、という可能性は無視してよいほど低いわけではない、と思います(関連記事)。
もちろん、今後どのような発見があるか分からないので、現時点では断定できませんが、ウルツィアンの担い手がネアンデルタール人で、少なくともその始まりにおいて現生人類の影響を受けなかった可能性は高いと思います。ただ、上述したイベリア半島北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行年代に関する論文では、イベリア半島北部におけるオーリナシアン始まりは42000年以上前までさかのぼりそうなので(関連記事)、ヨーロッパにおける現生人類最初の拡散が45000年前頃近くまでさかのぼる可能性はあると思います。本論文が指摘するように、現生人類はヨーロッパ東部から西部へと拡散したでしょうから、ヨーロッパ最古級の現生人類遺骸が発見されるとしたら、東部地域の可能性が高そうです。
参考文献:
Zilhão J, Banks WE, d’Errico F, Gioia P (2015) Analysis of Site Formation and Assemblage Integrity Does Not Support Attribution of the Uluzzian to Modern Humans at Grotta del Cavallo. PLoS ONE 10(7): e0131181.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0131181
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