イベリア半島北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行年代
取り上げるのが遅くなりましたが、イベリア半島北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行年代に関する研究(Marín-Arroyo et al., 2018)が公表されました。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の洞窟壁画の年代を見直した論文(関連記事)にて本論文が引用されており、重要だと思ったので取り上げます。ユーラシア西部における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、現生人類によるネアンデルタール人の置換と関連していると考えられることから関心の高い問題で、その解明には各遺跡の精確な年代測定が必要となります。
この十数年ほど、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが続いており(関連記事)、それは中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行年代の推定にも大きな影響を及ぼしています。年代見直しの根拠となるのは、じゅうらいの放射性炭素年代測定法で用いられた試料は汚染の可能性が否定できず、その場合にはじっさいよりも新しい推定年代が得られてしまう、ということです。試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、汚染の影響を受けにくいコラーゲンが精製され、年代測定されるようになりました。ただ、この方法は、コラーゲンの得られない遺跡では適用できない、という難点があります。
本論文もこの改善された方法を用いて、イベリア半島北部でも中央部となる、スペイン北部のカンタブリア(Cantabria)州の諸遺跡の新たな年代を提示しています。文化的には、ムステリアン(Mousterian)の末期からシャテルペロニアン(Châtelperronian)期とオーリナシアン(Aurignacian)期を経てグラヴェティアン(Gravettian)期となり、新たな年代の報告とともに、既知の信頼性の高い年代と統合して、カンタブリア州における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期の年代的枠組みを提示しています。ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、異なる地域で異なる時期に起きた、と明らかになりつつあるので、本論文のように各地域の精確な年代を提示することが重要となります。以下の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代ですが、シャテルペロニアンに関しては新たな年代が得られませんでした。
各インダストリーの開始および終焉の推定年代(確率95.4%)は以下の通りです。なお、()は確率68.2%の年代です。ムステリアンの終焉は47914~45078(47298~46048)年前、シャテルペロニアンの開始は42868~41686(42508~41930)年前で終焉は42406~41370(42142~41632)年前、オーリナシアンの開始は43270~40478(42406~41000)年前で終焉は34376~33784(34604~336140)年前、グラヴェティアンの開始は35914~35206(36818~35030)年前です。
カンタブリア州におけるムステリアンの終焉は、イベリア半島北東部やフランス南西部のムステリアンの終焉より早く、カンタブリア州においてはムステリアンとシャテルペロニアンの間に明確な空白期間が存在します。シャテルペロニアンの担い手と起源についてはさまざまな議論がありますが、その担い手の少なくとも一部がネアンデルタール人であった可能性はきわめて高いでしょう(関連記事)。本論文は、カンタブリア州のシャテルペロニアンが外来インダストリーだった可能性と、空白期間に未発見の遺跡があり、ムステリアンから派生した可能性を指摘しています。
シャテルペロニアンをめぐる議論との関連では、カンタブリア州においてシャテルペロニアンとオーリナシアンが500~1000年ほど重なっていることも注目されます。そのため本論文は、カンタブリア州におけるネアンデルタール人と現生人類との一定期間の共存の可能性を指摘しますが、一方で、カンタブリア州の後期ムステリアン・シャテルペロニアン・最初期オーリナシアンには明確な人類遺骸が共伴していない、と注意を喚起しています。カンタブリア州における各インダストリーの担い手は確定していない、というわけです。じっさい、シャテルペロニアンの担い手の一部が現生人類である可能性も指摘されており(関連記事)、カンタブリア州のシャテルペロニアンに関しても、その可能性を考慮に入れておくべきだと思います。カンタブリア州においては、オーリナシアンとグラヴェティアンの年代も重なっています。イベリア半島北部のグラヴェティアンは、西部より東部の方で早く出現しますから、イベリア半島北部のグラヴェティアンは東方に起源があると考えられます。
各インダストリーの担い手について色々と議論はありますが、カンタブリア州においては、ムステリアンの担い手がネアンデルタール人で、オーリナシアンの担い手が現生人類である可能性はきわめて高そうです。グラヴェティアンの担い手は、議論の余地なく現生人類と言えるでしょう。問題となるのはシャテルペロニアンの担い手で、ネアンデルタール人だとしても、現生人類の影響を受けた可能性は高そうです。フランス南西部のシャテルペロニアンに関しても、とくに後期は、ネアンデルタール人が担い手だったとしても、現生人類の一定以上の影響を想定するのが妥当かもしれません。
参考文献:
Marín-Arroyo AB, Rios-Garaizar J, Straus LG, Jones JR, de la Rasilla M, et al. (2018) Chronological reassessment of the Middle to Upper Paleolithic transition and Early Upper Paleolithic cultures in Cantabrian Spain. PLOS ONE 13(6): e0194708.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0194708
この十数年ほど、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが続いており(関連記事)、それは中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行年代の推定にも大きな影響を及ぼしています。年代見直しの根拠となるのは、じゅうらいの放射性炭素年代測定法で用いられた試料は汚染の可能性が否定できず、その場合にはじっさいよりも新しい推定年代が得られてしまう、ということです。試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、汚染の影響を受けにくいコラーゲンが精製され、年代測定されるようになりました。ただ、この方法は、コラーゲンの得られない遺跡では適用できない、という難点があります。
本論文もこの改善された方法を用いて、イベリア半島北部でも中央部となる、スペイン北部のカンタブリア(Cantabria)州の諸遺跡の新たな年代を提示しています。文化的には、ムステリアン(Mousterian)の末期からシャテルペロニアン(Châtelperronian)期とオーリナシアン(Aurignacian)期を経てグラヴェティアン(Gravettian)期となり、新たな年代の報告とともに、既知の信頼性の高い年代と統合して、カンタブリア州における中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期の年代的枠組みを提示しています。ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、異なる地域で異なる時期に起きた、と明らかになりつつあるので、本論文のように各地域の精確な年代を提示することが重要となります。以下の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代ですが、シャテルペロニアンに関しては新たな年代が得られませんでした。
各インダストリーの開始および終焉の推定年代(確率95.4%)は以下の通りです。なお、()は確率68.2%の年代です。ムステリアンの終焉は47914~45078(47298~46048)年前、シャテルペロニアンの開始は42868~41686(42508~41930)年前で終焉は42406~41370(42142~41632)年前、オーリナシアンの開始は43270~40478(42406~41000)年前で終焉は34376~33784(34604~336140)年前、グラヴェティアンの開始は35914~35206(36818~35030)年前です。
カンタブリア州におけるムステリアンの終焉は、イベリア半島北東部やフランス南西部のムステリアンの終焉より早く、カンタブリア州においてはムステリアンとシャテルペロニアンの間に明確な空白期間が存在します。シャテルペロニアンの担い手と起源についてはさまざまな議論がありますが、その担い手の少なくとも一部がネアンデルタール人であった可能性はきわめて高いでしょう(関連記事)。本論文は、カンタブリア州のシャテルペロニアンが外来インダストリーだった可能性と、空白期間に未発見の遺跡があり、ムステリアンから派生した可能性を指摘しています。
シャテルペロニアンをめぐる議論との関連では、カンタブリア州においてシャテルペロニアンとオーリナシアンが500~1000年ほど重なっていることも注目されます。そのため本論文は、カンタブリア州におけるネアンデルタール人と現生人類との一定期間の共存の可能性を指摘しますが、一方で、カンタブリア州の後期ムステリアン・シャテルペロニアン・最初期オーリナシアンには明確な人類遺骸が共伴していない、と注意を喚起しています。カンタブリア州における各インダストリーの担い手は確定していない、というわけです。じっさい、シャテルペロニアンの担い手の一部が現生人類である可能性も指摘されており(関連記事)、カンタブリア州のシャテルペロニアンに関しても、その可能性を考慮に入れておくべきだと思います。カンタブリア州においては、オーリナシアンとグラヴェティアンの年代も重なっています。イベリア半島北部のグラヴェティアンは、西部より東部の方で早く出現しますから、イベリア半島北部のグラヴェティアンは東方に起源があると考えられます。
各インダストリーの担い手について色々と議論はありますが、カンタブリア州においては、ムステリアンの担い手がネアンデルタール人で、オーリナシアンの担い手が現生人類である可能性はきわめて高そうです。グラヴェティアンの担い手は、議論の余地なく現生人類と言えるでしょう。問題となるのはシャテルペロニアンの担い手で、ネアンデルタール人だとしても、現生人類の影響を受けた可能性は高そうです。フランス南西部のシャテルペロニアンに関しても、とくに後期は、ネアンデルタール人が担い手だったとしても、現生人類の一定以上の影響を想定するのが妥当かもしれません。
参考文献:
Marín-Arroyo AB, Rios-Garaizar J, Straus LG, Jones JR, de la Rasilla M, et al. (2018) Chronological reassessment of the Middle to Upper Paleolithic transition and Early Upper Paleolithic cultures in Cantabrian Spain. PLOS ONE 13(6): e0194708.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0194708
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