本村凌二『教養としての「ローマ史」の読み方』第3刷
2018年5月にPHP研究所より刊行されました。第1刷の刊行は2018年3月です。本書は王政期から滅亡へといたるローマ史を時系列で語りつつ、通史というよりは、王政期から滅亡までのローマの歴史を規定した要因を探るという、問題史としての性格を強く打ち出しています。初期ローマであれば、同じ地中海地域の都市国家として始まりながら、なぜローマとギリシアは異なる政治体制を選択したのか、といった問題です。著者の他の著書を読んでいれば、目新しい点はあまりないかもしれませんが、相変わらず読みやすく、ローマの歴史的展開の背景に関する考察は興味深いものですし、ローマ史の復習にもなります。楽しく読み進められました。
民主政に進んだギリシア(アテネ)と、共和政に進んだローマの違いは、構成員たる市民間の格差が比較的少なく平等だったギリシア(もちろん奴隷はおり、居住民の間の格差は大きかったわけですが)と、当初より格差の存在したローマという、社会構造の違いが大きかったのではないか、と指摘されています。本書は、ギリシアを「村落社会」、ローマを「氏族社会」と呼んでいます。ローマが大国になれてギリシア(アテネ)が大国になれなかった理由としては、ギリシアが独裁・貴族政・民主政という政体の三要素のどこかに偏り過ぎたのにたいして、ローマは共和政のなかに独裁(二人の執政官、時として独裁官)・貴族政(元老院)・民主政(民会)の要素をバランスよく含んでいたからだ、と指摘されています。
また、ローマが大国になれた要因として、「公」への意識、つまり祖国ローマへの強い帰属意識があったことも重視されています。貴族層では「父祖の遺風」、平民層では「敬虔なる信仰心」がその背景にあった、と本書は指摘します。ローマ市民は、同時代の他地域の人々からは、敬虔だと思われていました。このような意識に基づき、何度も負けては立ち上がり、他国を征服していった共和政期ローマを、「共和政ファシズム」と呼んでいます。
500年にわたって共和政を維持してきたローマが帝政へと移行した背景として本書が重視するのは、ローマ市民の意識の変容です。支配地が増え、平民は重い軍役で没落する一方、元老院を構成する貴族層は征服地の拡大により富裕になっていき、貧富の差が拡大します。この階級闘争的な過程で、「公」よりも自己愛・身内愛といった「個」を優先する意識が強くなっていきます。それと同時に、ローマにおいて以前から存在した、有力者によるより下層の人々の保護という、保護者(パトロヌス)と被保護者(クリエンテス)との関係が拡大・強化されていきます。これが、ポエニ戦争後100年以上にわたる内乱の一世紀およびその後の帝政の基盤になった、と本書は指摘します。この保護者と被保護者の関係が、最終的には頂点に立つ一人の人物たる皇帝に収斂される、というわけです。
帝政期も当初は暴君がたびたび出現して混乱しますが、いわゆる五賢帝の時代には安定し、ローマの領土も最大となります。本書は、プラトンが唱えた「賢者による独裁」という理想に最も近い事例として、この五賢帝を挙げています。五賢帝の時代が終焉し、セウェルス朝を経てローマは軍人皇帝時代を迎えます。しかし本書は、軍人皇帝時代は単なる混乱期ではなく、分割統治・皇帝直属の機動軍の創設といった改革が模索され、進んだ時期とも把握し、在位期間が短く多くが殺害された皇帝たちのなかで、ウァレリアヌスとガリエス父子やアウレリアヌスのように、高く評価されるべき皇帝がいたことも指摘しています。本書は軍人皇帝時代の特徴として、支配層が変容していったことも指摘しています。ローマの支配層は当初、古くから続く元老院貴族でした。内乱の一世紀~帝政初期にかけて、イタリアの新興貴族層が台頭し、帝政の支持基盤となります。軍人皇帝時代には、それまでの文人的な元老院貴族から武人層へと政治的主導権が移っていった、というのが本書の見通しです。軍人皇帝時代の諸改革の延長戦上に、ディオクレティアヌスによる安定があったのでしょう。
軍人皇帝時代を経て専制君主政期になると、ローマ帝国においてキリスト教が確固たる基盤を築き、やがて現在のような大宗教にまで拡大します。本書はローマ帝国においてキリスト教が普及した理由として、社会下層からじょじょに広がったというよりも、皇帝による保護の方が大きかったのではないか、と指摘しています。キリスト教が国教化されてすぐ、ローマ帝国は分割され、二度と再統一されることはありませんでした。西ローマが分割後100年も経たずに滅亡したのにたいして、東ローマが1000年以上続いた理由として、西ローマでは都市が衰退していたのにたいして、東ローマでは都市が衰退していなかったからだ、と本書は指摘します。東ローマは西ローマよりも経済状況がよかったから長期にわたって存続したのだ、というわけです。
このように、ローマ帝国は東西に分裂したと言われますが、本書はもっと長い視点でローマ帝国の分裂を把握しています。ローマ帝国は、オリエント・ギリシア・ラテンという三つの世界を統合しました。ローマ帝国の分裂後、これらの地域は最終的に、イスラム教・ギリシア正教・カトリックに分裂していきます。ローマ帝国の統合前と分裂後の各地域はおおむね対応しているのではないか、というわけです。本書はその要因として、言語の違いを挙げています。オリエント世界のセム語系・ギリシア世界のギリシア語・ラテン世界のラテン語および後に加わったゲルマン語です。
ローマ帝国の滅亡に関して、本書は単なる衰亡ではなく、三つの側面から把握しています。一つは伝統的な史観とも言える経済的衰退で、社会資本が劣化していきます。本書はその背景として、奴隷制社会では奴隷に面倒なことをやらせるので、技術革新・経済成長への動機が乏しくなりがちであることを挙げています。次に、こちらも伝統的な史観と親和的と言える、国家の衰退です。本書はこの過程を、皇帝権力の低下→異民族の侵入→軍隊の強化→徴税強化による皇帝権力の低下という悪循環で把握しています。最後に、文明の変質です。本書はこれを、人々の意識が共同体から個人へと変容し、弱者を切り捨てるような平等な個人間の関係から、強者による弱者の保護を前提とする社会への変容と把握しています。本書はローマ帝国の分裂・滅亡を、単なる衰退ではなく、人々が異なる価値観を受け入れて時代に対応していった、古代末期という概念で把握すべきではないか、と提言しています。
民主政に進んだギリシア(アテネ)と、共和政に進んだローマの違いは、構成員たる市民間の格差が比較的少なく平等だったギリシア(もちろん奴隷はおり、居住民の間の格差は大きかったわけですが)と、当初より格差の存在したローマという、社会構造の違いが大きかったのではないか、と指摘されています。本書は、ギリシアを「村落社会」、ローマを「氏族社会」と呼んでいます。ローマが大国になれてギリシア(アテネ)が大国になれなかった理由としては、ギリシアが独裁・貴族政・民主政という政体の三要素のどこかに偏り過ぎたのにたいして、ローマは共和政のなかに独裁(二人の執政官、時として独裁官)・貴族政(元老院)・民主政(民会)の要素をバランスよく含んでいたからだ、と指摘されています。
また、ローマが大国になれた要因として、「公」への意識、つまり祖国ローマへの強い帰属意識があったことも重視されています。貴族層では「父祖の遺風」、平民層では「敬虔なる信仰心」がその背景にあった、と本書は指摘します。ローマ市民は、同時代の他地域の人々からは、敬虔だと思われていました。このような意識に基づき、何度も負けては立ち上がり、他国を征服していった共和政期ローマを、「共和政ファシズム」と呼んでいます。
500年にわたって共和政を維持してきたローマが帝政へと移行した背景として本書が重視するのは、ローマ市民の意識の変容です。支配地が増え、平民は重い軍役で没落する一方、元老院を構成する貴族層は征服地の拡大により富裕になっていき、貧富の差が拡大します。この階級闘争的な過程で、「公」よりも自己愛・身内愛といった「個」を優先する意識が強くなっていきます。それと同時に、ローマにおいて以前から存在した、有力者によるより下層の人々の保護という、保護者(パトロヌス)と被保護者(クリエンテス)との関係が拡大・強化されていきます。これが、ポエニ戦争後100年以上にわたる内乱の一世紀およびその後の帝政の基盤になった、と本書は指摘します。この保護者と被保護者の関係が、最終的には頂点に立つ一人の人物たる皇帝に収斂される、というわけです。
帝政期も当初は暴君がたびたび出現して混乱しますが、いわゆる五賢帝の時代には安定し、ローマの領土も最大となります。本書は、プラトンが唱えた「賢者による独裁」という理想に最も近い事例として、この五賢帝を挙げています。五賢帝の時代が終焉し、セウェルス朝を経てローマは軍人皇帝時代を迎えます。しかし本書は、軍人皇帝時代は単なる混乱期ではなく、分割統治・皇帝直属の機動軍の創設といった改革が模索され、進んだ時期とも把握し、在位期間が短く多くが殺害された皇帝たちのなかで、ウァレリアヌスとガリエス父子やアウレリアヌスのように、高く評価されるべき皇帝がいたことも指摘しています。本書は軍人皇帝時代の特徴として、支配層が変容していったことも指摘しています。ローマの支配層は当初、古くから続く元老院貴族でした。内乱の一世紀~帝政初期にかけて、イタリアの新興貴族層が台頭し、帝政の支持基盤となります。軍人皇帝時代には、それまでの文人的な元老院貴族から武人層へと政治的主導権が移っていった、というのが本書の見通しです。軍人皇帝時代の諸改革の延長戦上に、ディオクレティアヌスによる安定があったのでしょう。
軍人皇帝時代を経て専制君主政期になると、ローマ帝国においてキリスト教が確固たる基盤を築き、やがて現在のような大宗教にまで拡大します。本書はローマ帝国においてキリスト教が普及した理由として、社会下層からじょじょに広がったというよりも、皇帝による保護の方が大きかったのではないか、と指摘しています。キリスト教が国教化されてすぐ、ローマ帝国は分割され、二度と再統一されることはありませんでした。西ローマが分割後100年も経たずに滅亡したのにたいして、東ローマが1000年以上続いた理由として、西ローマでは都市が衰退していたのにたいして、東ローマでは都市が衰退していなかったからだ、と本書は指摘します。東ローマは西ローマよりも経済状況がよかったから長期にわたって存続したのだ、というわけです。
このように、ローマ帝国は東西に分裂したと言われますが、本書はもっと長い視点でローマ帝国の分裂を把握しています。ローマ帝国は、オリエント・ギリシア・ラテンという三つの世界を統合しました。ローマ帝国の分裂後、これらの地域は最終的に、イスラム教・ギリシア正教・カトリックに分裂していきます。ローマ帝国の統合前と分裂後の各地域はおおむね対応しているのではないか、というわけです。本書はその要因として、言語の違いを挙げています。オリエント世界のセム語系・ギリシア世界のギリシア語・ラテン世界のラテン語および後に加わったゲルマン語です。
ローマ帝国の滅亡に関して、本書は単なる衰亡ではなく、三つの側面から把握しています。一つは伝統的な史観とも言える経済的衰退で、社会資本が劣化していきます。本書はその背景として、奴隷制社会では奴隷に面倒なことをやらせるので、技術革新・経済成長への動機が乏しくなりがちであることを挙げています。次に、こちらも伝統的な史観と親和的と言える、国家の衰退です。本書はこの過程を、皇帝権力の低下→異民族の侵入→軍隊の強化→徴税強化による皇帝権力の低下という悪循環で把握しています。最後に、文明の変質です。本書はこれを、人々の意識が共同体から個人へと変容し、弱者を切り捨てるような平等な個人間の関係から、強者による弱者の保護を前提とする社会への変容と把握しています。本書はローマ帝国の分裂・滅亡を、単なる衰退ではなく、人々が異なる価値観を受け入れて時代に対応していった、古代末期という概念で把握すべきではないか、と提言しています。
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