ランゴバルド人のゲノム解析

 ランゴバルド人のゲノム解析に関する研究(Amorim et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパ西部は3世紀から10世紀にかけて、西ローマ帝国の崩壊と、その後の諸集団の「大移動」により、大きな社会文化的・経済的変容を経験しました。しかし、「蛮族」と呼ばれる諸集団の「大移動」やその社会的構造などに関しては、主体者の諸集団が基本的には文献を残しておらず、残された文献も、簡潔だったり、偏見に満ちていたり、時には数世紀後に書かれたりしているため、考古学的記録、おもには墓地の副葬品に依拠して研究が進められてきました。そのため、この時期のヨーロッパ西部に関しては不明な点が多く、議論が激しく続いています。

 このような「大移動」の担い手の諸集団の一つにランゴバルド人がおり、現代のハンガリーも含むパンノニアからイタリアへと侵攻し、紀元後568年にイタリアで王国を建て、イタリアの大半を支配したこの王国は774年まで継続しました。ランゴバルドは、「大移動」の担い手の諸集団のなかでは、比較的多くの文献が残っています。本論文は、考古学的にランゴバルド人との関連が指摘されている、6~7世紀の2ヶ所の共同墓地の被葬者63人のゲノムを解析し、また同位体も分析しました。本論文が調査した墓地は、当時のパンノニアに位置するハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡と、イタリア北西部のコレーニヨ(Collegno)遺跡です。

 ソラッドとコレーニヨの被葬者はともに、遺伝的には現代ヨーロッパ人の範囲に収まります。しかし、両墓地の被葬者は現代の特定の国の住民と深い関係にあるわけではなく、多様な遺伝的分散を示し、本論文は両墓地の被葬者の遺伝的構成を、おもにヨーロッパ北部および中央部系統(以下、北部系統と省略)とヨーロッパ南部系統とに分けています。被葬者はおもに、北部または南部系統の強い個体(70%以上)、やや北部または南部系統の強い個体(50~70%)に分類されます。本論文のゲノムデータ解像度からは、ヨーロッパ中央部・北部系統をさらに細分化することは困難です。Y染色体のハプログループは、常染色体から推測される地域のパターンとおおむね一致します。

 ソラッドの共同墓地には45の墓があり、考古学的および同位体分析から、ランゴバルド期に遊動的な集団により20~30年ほど使われたにすぎない、と推測されています。男女比は1:0.65です。ソラッドでは、ゲノムデータから推測される系譜関係と副葬品と墓の位置から、中核的な1家系が存在したと推測されています。この中核的な1家系は3世代にわたっており、10人中8人は男性で、完全に南部系統の女性1人を除いて全員、遺伝的には北部系統の強い影響が見られます。この女性は、おそらくは外部集団からこの中核的な家系に迎え入れられたと思われます。同位体分析から、中核的な家系は他の家系(および特定の家系には分類されなかった個体群)よりも動物性タンパク質の摂取量が多い、と推定されています。また、同位体分析から、北部系統の影響の強い個体も南部系統の影響の強い個体もソラッド以外の地域から移住してきた、と推定されています。しかし、北部系統の影響の強い個体群の出身地域はより多様で、ソラッドの被葬者は単一の地域から移住してきたわけではなさそうです。副葬品に関しては明確な差があり、北部系統の影響の強い個体群は、南部系統の影響の強い個体群よりも、副葬品が豊富で豪華です。ソラッドでは、中核的な家系における女性の少なさから、北部系統の影響の強い遊動的な男系の家系が中核となり、他の家系(本論文で確認されたのは3家系)よりも優位に立っていた、と推測されます。

 一方、57の墓があるコレーニヨでも、ゲノムデータから推測される系譜関係と副葬品と墓の位置から、中核的な1家系が存在したと推測されています(その他に、2家系が識別されています)。この中核的な家系も北部系統の影響が強く、また副葬品に関して、北部系統の影響の強い個体群において、南部系統の影響の強い個体群よりも豊富で豪華という点は、ソラッドと同様です。また、遺伝的に南部系統の影響の強い個体群は、動物性タンパク質の摂取量がより少ない、と推定されており、この点でもソラッドと類似していますいます。一方、出身地に関しては、コレーニヨにはソラッドと異なる特徴が見られました。同位体分析から、コレーニヨの南部系統の影響の強い被葬者5人は、コレーニヨ周辺地域出身と推定されています。一方、遺伝的に北部系統の影響の強い中核的な家系ともう一つの別の家系に関しては、より早期の世代ではコレーニヨ以外の地域出身で、後の世代はコレーニヨ周辺地域で育ったと推定されています。中核的な家系の女性被葬者がより後の世代と推定されることから、男性中心の有力な家系が他地域からコレーニヨに侵攻してきて定着した、と推測されます。これらの知見は、ランゴバルド人がパンノニアからイタリアへと侵攻し、王国を建てたとする文献と整合的です。また、北部系統の影響の強い個体と南部系統の影響の強い個体との交雑も確認されています。

 ソラッドでもコレーニヨでも、6~7世紀の共同墓地の被葬者と現代の住民とでは、遺伝的傾向が異なります。すでに、ヨーロッパの大まかな遺伝的構成は青銅器時代にはおおむね形成されていた可能性が高そうですが、古代末期の「大移動」などにより、その後も地域単位では遺伝的構成の変動が起きたものと思われます。本論文の知見からは、「大移動」の時期には、北部系統の遺伝的影響の強い男性主体の集団が、他地域に移住して征服するような事例が多かったのではないか、と推測されます。「大移動」の時代に限らず一般的に、征服的な移住では男性主体の傾向が強かったのかもしれません(関連記事)。もっとも、本論文が指摘するように、「大移動」の時代をより正確に理解するには、他の遺跡の人類遺骸のゲノム解析がもっと多く必要となるでしょうし、歴史学・考古学などとの学際的研究もさらに進展させねばならないでしょう。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究の進展の目覚ましさを思い知らされました。日本列島も含めて東アジアでも古代DNA研究が大きく進展するよう、期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


古ゲノム:ランゴバルド人の歴史を解明する手掛かりが得られた

 西暦紀元568年にパンノニア(現在のハンガリー西部)からイタリアに侵入し、その後200年以上にわたってイタリアの大部分を支配した蛮族(ランゴバルド人)の社会組織と移動を解明する手掛かりが古ゲノムDNAの解析によって得られた。この研究知見に関する論文が、今週掲載される。

 3~10世紀の西ヨーロッパは社会文化的にも経済的にも変革期にあり、西ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパ全土で蛮族集団の移動があった。しかし、こうした蛮族社会の唯一の直接証拠は考古学的遺跡で発見されたものであり、この証拠を使って蛮族集団の正体と社会構造、移動パターンに関する推論が展開されてきた。6~7世紀のパンノニアとイタリアの考古学的墓地遺跡からは、ランゴバルド人の移動に関する史料と矛盾しないパターンが示唆されているが、ランゴバルド人の社会と移動については不明な点がかなり多い。

 今回、Johannes Krause、Krishna Veeramah、Patrick Geary、David Caramelliたちの研究グループは、ソラッド(ハンガリー)とコレーニヨ(イタリア)という2カ所の墓地に埋葬されていた63体から採取した古ゲノムDNAの塩基配列解読と解析を行った。これまでの研究で、これらの遺体は、ランゴバルド人と関連付けられている。それぞれの墓地は、1つの大きな家系を中心にして組織されており、それぞれの墓地には、祖先と葬儀の風習を異にする集団が2つ以上埋葬されていることが明らかになった。

 ソラッドの墓地は、3代にわたる地位の高い男性中心の血縁集団を中心にして組織されており、それに加えて中央/北ヨーロッパ系という共通点があったと考えられる男性の集団の墓もあった。コレーニヨの墓地は、その地に定着してから数世代を経たコミュニティーを反映したものである可能性が高い。主に中央ヨーロッパ系と北ヨーロッパ系の家族集団の両方において、南ヨーロッパ系の人々との混血があったことを示す証拠もKrauseたちは発見した。この新知見は、ランゴバルド人がパンノニアから北イタリアまで長距離の移動をしたとする学説と矛盾しない。



参考文献:
Amorim CEG. et al.(2018): Understanding 6th-century barbarian social organization and migration through paleogenomics. Nature Communications, 9, 3547.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-06024-4

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