人類進化における犬歯の縮小
現代人(Homo sapiens)も類人猿の一系統です。現代人と他の類人猿との大きな違いとして、脳容量、とくに脳重比もありますが、犬歯の縮小も指摘されます。人類進化史においては、脳容量が他の類人猿とさほど変わらない段階で犬歯の縮小が見られるので、犬歯の縮小は、直立二足歩行への特化とともに、人類系統と他の類人猿系統とを区別する重要な指標とされています。『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』で述べられていたように(関連記事)、人類系統における犬歯の縮小は、一夫一妻制により雄同士の争い(同性内淘汰)が穏やかになったことの表れとの見解は有力なようです。
一方、『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』で述べられていたように(関連記事)、人類系統における犬歯の縮小を、臼歯の拡大との相関で把握する見解もあります(上巻P92~P98)。球根のような堅いものを食べるようになり、臼歯を拡大させるような選択圧が生じ、歯を収納する空間には限界があるので、同時に犬歯が縮小するような選択圧も生じた、というわけです。しかし、『絶滅の人類史』では、初期人類において横方向の咀嚼運動が発達していた証拠はなく、武器としてより重要な上顎犬歯が下顎犬歯よりも先に縮小しているので、人類系統における犬歯の縮小は、食性の変化も多少は関係しているかもしれないとしても、雄同士の戦いが穏やかになったことの表れだろう、と指摘されています(P57~P58)。
そもそも、初期人類の化石が少なく、犬歯がどのように縮小していったのか、また同性内淘汰の程度とも関連するだろう性的二型がどのように変わっていったのか、まだ的確に評価できる状況ではないでしょうから(残念ながら、将来もこの状況が大きく改善されるとはとても思えません)、難しい問題ではあります。ただ、それでもあえて推測していくと、『絶滅の人類史』の感想記事でも述べたように、犬歯の縮小は雄同士の戦いが穏やかになったことの表れとの見解に、そもそも私は疑問を抱いています。
一夫一妻制では、たとえばハーレム型社会よりも雄同士の戦いが穏やかになる可能性は高いでしょうが、だからといって、雄同士の戦いがなくなるわけではなく、大きな犬歯は依然として有効だと思います。しかも、雄同士の争いの激しさと相関している場合が多いと思われる雄と雌の体格差(性的二型)は、異論もあるとはいえ(関連記事)、現時点での有力説では、アウストラロピテクス属でも現代人より大きく、ゴリラ並だった、とされています。『ヒトはどのように進化してきたか』第5版(関連記事)では、アウストラロピテクス属でも現代人の祖先である可能性の高そうな300万年以上前のアファレンシス(Australopithecus afarensis)は、チンパンジーよりも犬歯がかなり縮小していたものの、体格でも犬歯でも雄が雌よりも大きく、性的二型は大きかった、とされています(P396~P406)。
現代人の祖先である可能性の高そうなアファレンシスでも性的二型が現代人より大きくゴリラ並だったとしたら、雄同士の争い(同性内淘汰)が現代人より激しかったとしても不思議ではありません。化石証拠はまだ得られていないものの、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジーとその次に近縁な現生系統のゴリラの犬歯が大きいことから、人類の祖先もチンパンジー系統と分岐するまでは犬歯がチンパンジーやゴリラのように大きかった、と考えられます。しかし、300万年以上前のアファレンシスにおいて、犬歯はかなり縮小して現代人に近づいています(それでも現代人より大きいのですが)。つまり、アファレンシスにおいては、雄同士の争いが激しかった一方で、犬歯は(現代人よりも大きいとはいえ)縮小していた可能性は高いわけで、犬歯の縮小は雄同士の争いがより穏やかになったことの指標になるとは言えないでしょう。
では、犬歯の縮小はなぜ起きたのかというと、上述したように、食性の変化が選択圧になった可能性もありますし、犬歯を縮小させるような遺伝子発現の変化が別の表現型とも関わっていて、その表現型が適応度を向上させたことによる選択圧があったのかもしれません。また、犬歯の縮小(をもたらした遺伝子発現の変化)自体はとくに適応度の変化をもたらさず、単に遺伝的浮動により定着したのかもしれません。いずれにしても、犬歯の縮小は人類系統において適応度の大きな低下をもたらさなかった、ということになりそうです。
雄同士の争いが依然として激しいのに、犬歯の縮小が適応度の大きな低下をもたらさなかった要因は直立二足歩行にあるのではないか、と私は考えています。闘争のさいに、直立二足歩行によりさらに効率的に可能となった、手と腕を用いての石や木などの使用が、鋭い犬歯の使用より効率的だったため、犬歯を縮小させるような遺伝的多様体の定着を妨げなかったのではないか、というわけです。巨大な犬歯は威嚇として有効ですが、それも、じっさいに使われるかもしれない、という前提(恐怖心)があってのことです。しかし、犬歯の使用には頭部を相手に密着させねばならず、奇襲攻撃ができたとしても危険です。一方、攻撃において木や石の使用は犬歯で噛みつくよりも安全です。
とくに、石を投げることができれば、もっと安全です。現代人の投擲能力はおそらく現生種の中でも最高ですが、現代人並の投擲能力を可能とする形態が完成したのは、ホモ属でも200万年前頃以降に出現した広義のエレクトス(Homo erectus)だろう、と考えられています(関連記事)。しかし、現代人並の投擲能力を可能とする形態は短期間に一括して出現したのではなく、すでにアウストラロピテクス属の段階で一部が確認されています(関連記事)。おそらく、人類系統の投擲能力はチンパンジー系統と分岐した後に段階的にじょじょに向上していったのであり、チンパンジーも時として投擲行動を見せるように(速度・精度ともに現代人に遠くおよびませんが)、初期人類も石を投げていたとしても不思議ではない、と思います。もちろん、初期人類の投擲能力はエレクトス以降のホモ属には及ばないでしょうし、投擲行動を見せることはほとんどなかったかもしれませんが、雄同士の争いでは、石や木で殴れば犬歯の使用よりも効率的に相手を攻撃できるわけで、犬歯の縮小を妨げるような強い選択圧は生じなかった、と思います。
では、アファレンシスにおいても雄同士の争いが激しかったとすれば、人類系統の配偶行動の変遷とはどう関連しているのか、という問題も注目されます。一般的に霊長類において、一夫一妻制のようなペア型の系統は、単雄複雌(たとえばゴリラ)や複雄複雌(たとえばチンパンジー)のような系統よりも性的二型は小さいとされ、現代人の性的二型もゴリラやチンパンジーより小さくなっています。しかし、現代人にもある程度の性的二型は見られるわけで、じっさい、歴史的にも、一夫一妻制が一般的ではあるものの、少数派(その多くは社会上層)とはいえ一夫多妻制は多くの社会で容認されてきました。もちろん、その他の配偶行動も見られますが、それは現生人類もしくはもっと拡大してホモ属の柔軟性を示すものだと思います。おそらく人類社会においては、単雄複雌から単雄単雌のようなペア型へと移行しつつも、ハーレム型のような単雄複雌も一定以上続いてきたのではないか、と思います。その移行時期の画期としては、直立二足歩行により特化し、頭脳が大型化した結果、出産と育児がじゅうらいよりも困難になり、さらに父親およびその親族側の育児への関与が要求されるようになっただろう、広義のエレクトスの出現を想定しています。
なお、こうした人類社会の変化を、人類系統が発情期を喪失したことと関連づける見解も有力かもしれませんが、そもそも、この点に関して現代人とゴリラが類似していて、チンパンジーが異なっていることから、少なくとも現代人・ゴリラ・チンパンジーの最終共通祖先の段階では、発情徴候は明確ではなかった可能性が高いと思います(関連記事)。つまり、発情徴候の明確化に関しては、チンパンジー(およびボノボ)の進化が特異的というか、より進化していて、現代人やゴリラの方が祖先的なので、人類系統が発情期を喪失したという評価はあまり適切ではないだろう、というわけです。
以上の私見は、少ない証拠から推測していったもので、将来大きく修正する必要が生じるかもしれません。上述したように、人類系統における性的二型の変遷は不明で、一般的には現代人の祖先と考えられているアファレンシスについても、性的二型が現代人よりも大きかったとの見解が有力な一方で、そうではない可能性も指摘されています。さらに、最初期の広義のエレクトスにおいても、性的二型はアファレンシスと大差がなく、チンパンジーよりも大きかった、との見解さえ提示されています(関連記事)。人類系統における性的二型やそれとも関連する配偶行動の変遷については、今後長く議論が続くことになりそうです。
一方、『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』で述べられていたように(関連記事)、人類系統における犬歯の縮小を、臼歯の拡大との相関で把握する見解もあります(上巻P92~P98)。球根のような堅いものを食べるようになり、臼歯を拡大させるような選択圧が生じ、歯を収納する空間には限界があるので、同時に犬歯が縮小するような選択圧も生じた、というわけです。しかし、『絶滅の人類史』では、初期人類において横方向の咀嚼運動が発達していた証拠はなく、武器としてより重要な上顎犬歯が下顎犬歯よりも先に縮小しているので、人類系統における犬歯の縮小は、食性の変化も多少は関係しているかもしれないとしても、雄同士の戦いが穏やかになったことの表れだろう、と指摘されています(P57~P58)。
そもそも、初期人類の化石が少なく、犬歯がどのように縮小していったのか、また同性内淘汰の程度とも関連するだろう性的二型がどのように変わっていったのか、まだ的確に評価できる状況ではないでしょうから(残念ながら、将来もこの状況が大きく改善されるとはとても思えません)、難しい問題ではあります。ただ、それでもあえて推測していくと、『絶滅の人類史』の感想記事でも述べたように、犬歯の縮小は雄同士の戦いが穏やかになったことの表れとの見解に、そもそも私は疑問を抱いています。
一夫一妻制では、たとえばハーレム型社会よりも雄同士の戦いが穏やかになる可能性は高いでしょうが、だからといって、雄同士の戦いがなくなるわけではなく、大きな犬歯は依然として有効だと思います。しかも、雄同士の争いの激しさと相関している場合が多いと思われる雄と雌の体格差(性的二型)は、異論もあるとはいえ(関連記事)、現時点での有力説では、アウストラロピテクス属でも現代人より大きく、ゴリラ並だった、とされています。『ヒトはどのように進化してきたか』第5版(関連記事)では、アウストラロピテクス属でも現代人の祖先である可能性の高そうな300万年以上前のアファレンシス(Australopithecus afarensis)は、チンパンジーよりも犬歯がかなり縮小していたものの、体格でも犬歯でも雄が雌よりも大きく、性的二型は大きかった、とされています(P396~P406)。
現代人の祖先である可能性の高そうなアファレンシスでも性的二型が現代人より大きくゴリラ並だったとしたら、雄同士の争い(同性内淘汰)が現代人より激しかったとしても不思議ではありません。化石証拠はまだ得られていないものの、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジーとその次に近縁な現生系統のゴリラの犬歯が大きいことから、人類の祖先もチンパンジー系統と分岐するまでは犬歯がチンパンジーやゴリラのように大きかった、と考えられます。しかし、300万年以上前のアファレンシスにおいて、犬歯はかなり縮小して現代人に近づいています(それでも現代人より大きいのですが)。つまり、アファレンシスにおいては、雄同士の争いが激しかった一方で、犬歯は(現代人よりも大きいとはいえ)縮小していた可能性は高いわけで、犬歯の縮小は雄同士の争いがより穏やかになったことの指標になるとは言えないでしょう。
では、犬歯の縮小はなぜ起きたのかというと、上述したように、食性の変化が選択圧になった可能性もありますし、犬歯を縮小させるような遺伝子発現の変化が別の表現型とも関わっていて、その表現型が適応度を向上させたことによる選択圧があったのかもしれません。また、犬歯の縮小(をもたらした遺伝子発現の変化)自体はとくに適応度の変化をもたらさず、単に遺伝的浮動により定着したのかもしれません。いずれにしても、犬歯の縮小は人類系統において適応度の大きな低下をもたらさなかった、ということになりそうです。
雄同士の争いが依然として激しいのに、犬歯の縮小が適応度の大きな低下をもたらさなかった要因は直立二足歩行にあるのではないか、と私は考えています。闘争のさいに、直立二足歩行によりさらに効率的に可能となった、手と腕を用いての石や木などの使用が、鋭い犬歯の使用より効率的だったため、犬歯を縮小させるような遺伝的多様体の定着を妨げなかったのではないか、というわけです。巨大な犬歯は威嚇として有効ですが、それも、じっさいに使われるかもしれない、という前提(恐怖心)があってのことです。しかし、犬歯の使用には頭部を相手に密着させねばならず、奇襲攻撃ができたとしても危険です。一方、攻撃において木や石の使用は犬歯で噛みつくよりも安全です。
とくに、石を投げることができれば、もっと安全です。現代人の投擲能力はおそらく現生種の中でも最高ですが、現代人並の投擲能力を可能とする形態が完成したのは、ホモ属でも200万年前頃以降に出現した広義のエレクトス(Homo erectus)だろう、と考えられています(関連記事)。しかし、現代人並の投擲能力を可能とする形態は短期間に一括して出現したのではなく、すでにアウストラロピテクス属の段階で一部が確認されています(関連記事)。おそらく、人類系統の投擲能力はチンパンジー系統と分岐した後に段階的にじょじょに向上していったのであり、チンパンジーも時として投擲行動を見せるように(速度・精度ともに現代人に遠くおよびませんが)、初期人類も石を投げていたとしても不思議ではない、と思います。もちろん、初期人類の投擲能力はエレクトス以降のホモ属には及ばないでしょうし、投擲行動を見せることはほとんどなかったかもしれませんが、雄同士の争いでは、石や木で殴れば犬歯の使用よりも効率的に相手を攻撃できるわけで、犬歯の縮小を妨げるような強い選択圧は生じなかった、と思います。
では、アファレンシスにおいても雄同士の争いが激しかったとすれば、人類系統の配偶行動の変遷とはどう関連しているのか、という問題も注目されます。一般的に霊長類において、一夫一妻制のようなペア型の系統は、単雄複雌(たとえばゴリラ)や複雄複雌(たとえばチンパンジー)のような系統よりも性的二型は小さいとされ、現代人の性的二型もゴリラやチンパンジーより小さくなっています。しかし、現代人にもある程度の性的二型は見られるわけで、じっさい、歴史的にも、一夫一妻制が一般的ではあるものの、少数派(その多くは社会上層)とはいえ一夫多妻制は多くの社会で容認されてきました。もちろん、その他の配偶行動も見られますが、それは現生人類もしくはもっと拡大してホモ属の柔軟性を示すものだと思います。おそらく人類社会においては、単雄複雌から単雄単雌のようなペア型へと移行しつつも、ハーレム型のような単雄複雌も一定以上続いてきたのではないか、と思います。その移行時期の画期としては、直立二足歩行により特化し、頭脳が大型化した結果、出産と育児がじゅうらいよりも困難になり、さらに父親およびその親族側の育児への関与が要求されるようになっただろう、広義のエレクトスの出現を想定しています。
なお、こうした人類社会の変化を、人類系統が発情期を喪失したことと関連づける見解も有力かもしれませんが、そもそも、この点に関して現代人とゴリラが類似していて、チンパンジーが異なっていることから、少なくとも現代人・ゴリラ・チンパンジーの最終共通祖先の段階では、発情徴候は明確ではなかった可能性が高いと思います(関連記事)。つまり、発情徴候の明確化に関しては、チンパンジー(およびボノボ)の進化が特異的というか、より進化していて、現代人やゴリラの方が祖先的なので、人類系統が発情期を喪失したという評価はあまり適切ではないだろう、というわけです。
以上の私見は、少ない証拠から推測していったもので、将来大きく修正する必要が生じるかもしれません。上述したように、人類系統における性的二型の変遷は不明で、一般的には現代人の祖先と考えられているアファレンシスについても、性的二型が現代人よりも大きかったとの見解が有力な一方で、そうではない可能性も指摘されています。さらに、最初期の広義のエレクトスにおいても、性的二型はアファレンシスと大差がなく、チンパンジーよりも大きかった、との見解さえ提示されています(関連記事)。人類系統における性的二型やそれとも関連する配偶行動の変遷については、今後長く議論が続くことになりそうです。
この記事へのコメント