マダガスカル島の人口史
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、マダガスカル島の人口史に関する研究(Pierron et al., 2017)が公表されました。マダガスカル島の現代人の起源については、歴史学・言語学・民族誌・考古学・遺伝学的研究から、アフリカ東部と東南アジアの大きな影響を認める点では合意が成立していますが、両者の融合の場所・時期・様相については議論が続いており、国民の起源という敏感になりやすい問題なので、加熱する傾向にあるようです。
マダガスカル島の現代人の起源に関するじゅうらいの諸研究では、東南アジアから到来したオーストロネシア語族系と、アフリカ東部から到来したバンツー語族系のどちらが遺伝的には優勢なのか、という点で異なる見解が提示されることもあり、マダガスカル島における人類集団の形成にさいしての地理的多様性が示唆されています。本論文は、そうした「矛盾」解消のために、マダガスカル島全域にわたる257ヶ村の住民のDNAを解析しました。母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)の完全な配列は2691人分、父系遺伝となるY染色体DNAのデータは1554人分、ゲノム規模の一塩基多型250万ヶ所のデータは700人分となります。
mtDNAのハプログループでは、M23を除いて全系統がマダガスカル島外で確認され、東・東南アジアまたはアフリカのいずれかに由来します。マダガスカル島住民のmtDNAでは、ヨーロッパもしくは中東からの遺伝子流動の証拠は見られませんでした。mtDNAハプログループにおけるアジア系とアフリカ系の割合は地域により異なりますが、マダガスカル島全体では、アフリカ系42.4%にたいしてアジア系50.1%とさほど変わりません。ただ、マダガスカル島全体で割合は均一ではなく、地理的多様性が見られます。アフリカ系のmtDNAハプログループはほぼ全てバンツー語族に由来します。マダガスカル島でのみ確認されているM23の起源は1200±300年前頃と推定されており、マダガスカル島到達以前にバンツー語族系とオーストロネシア語族系とが交雑し、マダガスカル島に到達した、という可能性は低そうです。
Y染色体ハプログループではmtDNAハプログループと対照的な結果が得られ、マダガスカル島全体ではアフリカ系70.7%にたいしてアジア系20.7%です。その他には、わずかながらヨーロッパ系と中東系が見られますが、ヨーロッパ系では、西ヨーロッパからの影響は限定的と推測されています。Y染色体ハプログループでも、アジア系とアフリカ系の割合には地域的多様性が見られました。このような配偶行動における父系と母系の非対称性は、人類史において珍しくなかったようです(関連記事)。
ゲノム規模のデータからは、主要な祖先集団はオーストロネシア語族系(アジア系)とバンツー語族系(アフリカ系)で、マダガスカル島全体での平均的な遺伝的構成要素は、アフリカ系が59.4±0.4%、アジア系が36.6±0.4%、西ユーラシア系(中東系とヨーロッパ系)が3.9±0.1%となります。しかし、個人差は大きく、アフリカ系要素は26.1〜92.6%まで幅広くなっています。ゲノムの共有領域の長さの比較から、分岐年代も推定されています。マダガスカル島住民の祖先集団のうち、アジア系が母集団と推定されるボルネオ島南部集団と分岐したのは3000~2000年前頃、アフリカ系が母集団と推定されるアフリカ南部のバンツー語族と分岐したのは1500年前頃と推定されています。
これらの遺伝データを総合すると、マダガスカル島の現代人の遺伝的起源はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジア、とくにボルネオ島南部のオーストロネシア語族に由来し、ユーラシア西部(中東とヨーロッパ)からの遺伝的影響は限定的です。推定分岐年代からは、アジア系がアフリカ系よりも先にマダガスカル島に到達した、と推測されます。ただ、これはあくまでも母集団との推定分岐年代であり、じっさいの到来年代とその住民の遺伝的構成を解明するには、古代DNA研究の進展が必要でしょう。
マダガスカル島全体では現代人の遺伝的起源についてこうした傾向が見られますが、地域間の違いが大きいのも特徴となっています。母系(mtDNA)では、アフリカ系は北部、とくに沿岸部において高頻度で(60%以上)、アジア系は中央部・南部で高頻度となっています(中央部で60%以上、南部で50%程度)。父系(Y染色体DNA)では、アジア系は比較的高頻度の中央部でも30%程度で、アフリカ系は北部や南部沿岸などで高頻度(南部沿岸では80%以上)となっています。ゲノム規模のデータでは、アジア系は中央部で60%以上に、他の地域ではおおむね20~30%程度となっています。アフリカ系は、中央部で30%未満と低いものの、他の地域ではおおむね50~60%台で、北西部沿岸では70%以上となります。
上述したように、マダガスカル島住民の主要な祖先集団はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジアのオーストロネシア語族な由来します。マダガスカル島においては、遺伝的構成が地理的に単一的ではなく多様で、性的に偏った移住も見られることから、マダガスカル島への植民は独立して起きたと推測されます。上述したように、どこかマダガスカル島の外部地域でアフリカ系とアジア系が融合してから植民したのではない、というわけです。また、遺伝的構成の地理的多様性から、アジア・アフリカ両系統の融合はマダガスカル島の各地域において独立して生じた、と推測されます。
上述したように確定的とは言えませんが、現時点での知見からは、2000~1000年前頃の間に、アジア系が先にマダガスカル島へと移住し、その後でアフリカ系がマダガスカル島北部へと移住してきた、と考えるのが妥当だと思われます。その後、1000~500年前頃の間にアフリカ系は南部へと拡散しましたが、これは男性に偏ったものだった可能性が高そうです。アジア系の遺伝的影響が強い中央部集団は、アフリカ系の南下によるアジア系との混合の進んだ1000年前頃の前後に、有効人口規模が大きく減少したと推定されています。有効人口規模はあくまでも繁殖に関わった個体数なので、疫病や飢饉などによる人口激減というよりは、中央部への小集団の移住による創始者効果ではないか、と推測されています。その後、500~100年前頃には各地域集団が構造化されていきましたが、100年前頃からは、植民地化の影響もあって島内での移住が進み、とくに沿岸部では均一化もある程度進みました。それでも、マダガスカル島の現代人においては、地域間の遺伝的多様性が依然として見られます。
参考文献:
Pierron D. et al.(2017): Genomic landscape of human diversity across Madagascar. PNAS, 114, 32, E6498–E6506.
https://doi.org/10.1073/pnas.1704906114
マダガスカル島の現代人の起源に関するじゅうらいの諸研究では、東南アジアから到来したオーストロネシア語族系と、アフリカ東部から到来したバンツー語族系のどちらが遺伝的には優勢なのか、という点で異なる見解が提示されることもあり、マダガスカル島における人類集団の形成にさいしての地理的多様性が示唆されています。本論文は、そうした「矛盾」解消のために、マダガスカル島全域にわたる257ヶ村の住民のDNAを解析しました。母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)の完全な配列は2691人分、父系遺伝となるY染色体DNAのデータは1554人分、ゲノム規模の一塩基多型250万ヶ所のデータは700人分となります。
mtDNAのハプログループでは、M23を除いて全系統がマダガスカル島外で確認され、東・東南アジアまたはアフリカのいずれかに由来します。マダガスカル島住民のmtDNAでは、ヨーロッパもしくは中東からの遺伝子流動の証拠は見られませんでした。mtDNAハプログループにおけるアジア系とアフリカ系の割合は地域により異なりますが、マダガスカル島全体では、アフリカ系42.4%にたいしてアジア系50.1%とさほど変わりません。ただ、マダガスカル島全体で割合は均一ではなく、地理的多様性が見られます。アフリカ系のmtDNAハプログループはほぼ全てバンツー語族に由来します。マダガスカル島でのみ確認されているM23の起源は1200±300年前頃と推定されており、マダガスカル島到達以前にバンツー語族系とオーストロネシア語族系とが交雑し、マダガスカル島に到達した、という可能性は低そうです。
Y染色体ハプログループではmtDNAハプログループと対照的な結果が得られ、マダガスカル島全体ではアフリカ系70.7%にたいしてアジア系20.7%です。その他には、わずかながらヨーロッパ系と中東系が見られますが、ヨーロッパ系では、西ヨーロッパからの影響は限定的と推測されています。Y染色体ハプログループでも、アジア系とアフリカ系の割合には地域的多様性が見られました。このような配偶行動における父系と母系の非対称性は、人類史において珍しくなかったようです(関連記事)。
ゲノム規模のデータからは、主要な祖先集団はオーストロネシア語族系(アジア系)とバンツー語族系(アフリカ系)で、マダガスカル島全体での平均的な遺伝的構成要素は、アフリカ系が59.4±0.4%、アジア系が36.6±0.4%、西ユーラシア系(中東系とヨーロッパ系)が3.9±0.1%となります。しかし、個人差は大きく、アフリカ系要素は26.1〜92.6%まで幅広くなっています。ゲノムの共有領域の長さの比較から、分岐年代も推定されています。マダガスカル島住民の祖先集団のうち、アジア系が母集団と推定されるボルネオ島南部集団と分岐したのは3000~2000年前頃、アフリカ系が母集団と推定されるアフリカ南部のバンツー語族と分岐したのは1500年前頃と推定されています。
これらの遺伝データを総合すると、マダガスカル島の現代人の遺伝的起源はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジア、とくにボルネオ島南部のオーストロネシア語族に由来し、ユーラシア西部(中東とヨーロッパ)からの遺伝的影響は限定的です。推定分岐年代からは、アジア系がアフリカ系よりも先にマダガスカル島に到達した、と推測されます。ただ、これはあくまでも母集団との推定分岐年代であり、じっさいの到来年代とその住民の遺伝的構成を解明するには、古代DNA研究の進展が必要でしょう。
マダガスカル島全体では現代人の遺伝的起源についてこうした傾向が見られますが、地域間の違いが大きいのも特徴となっています。母系(mtDNA)では、アフリカ系は北部、とくに沿岸部において高頻度で(60%以上)、アジア系は中央部・南部で高頻度となっています(中央部で60%以上、南部で50%程度)。父系(Y染色体DNA)では、アジア系は比較的高頻度の中央部でも30%程度で、アフリカ系は北部や南部沿岸などで高頻度(南部沿岸では80%以上)となっています。ゲノム規模のデータでは、アジア系は中央部で60%以上に、他の地域ではおおむね20~30%程度となっています。アフリカ系は、中央部で30%未満と低いものの、他の地域ではおおむね50~60%台で、北西部沿岸では70%以上となります。
上述したように、マダガスカル島住民の主要な祖先集団はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジアのオーストロネシア語族な由来します。マダガスカル島においては、遺伝的構成が地理的に単一的ではなく多様で、性的に偏った移住も見られることから、マダガスカル島への植民は独立して起きたと推測されます。上述したように、どこかマダガスカル島の外部地域でアフリカ系とアジア系が融合してから植民したのではない、というわけです。また、遺伝的構成の地理的多様性から、アジア・アフリカ両系統の融合はマダガスカル島の各地域において独立して生じた、と推測されます。
上述したように確定的とは言えませんが、現時点での知見からは、2000~1000年前頃の間に、アジア系が先にマダガスカル島へと移住し、その後でアフリカ系がマダガスカル島北部へと移住してきた、と考えるのが妥当だと思われます。その後、1000~500年前頃の間にアフリカ系は南部へと拡散しましたが、これは男性に偏ったものだった可能性が高そうです。アジア系の遺伝的影響が強い中央部集団は、アフリカ系の南下によるアジア系との混合の進んだ1000年前頃の前後に、有効人口規模が大きく減少したと推定されています。有効人口規模はあくまでも繁殖に関わった個体数なので、疫病や飢饉などによる人口激減というよりは、中央部への小集団の移住による創始者効果ではないか、と推測されています。その後、500~100年前頃には各地域集団が構造化されていきましたが、100年前頃からは、植民地化の影響もあって島内での移住が進み、とくに沿岸部では均一化もある程度進みました。それでも、マダガスカル島の現代人においては、地域間の遺伝的多様性が依然として見られます。
参考文献:
Pierron D. et al.(2017): Genomic landscape of human diversity across Madagascar. PNAS, 114, 32, E6498–E6506.
https://doi.org/10.1073/pnas.1704906114
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