ヨーロッパの人類史

 中期更新世~青銅器時代までのヨーロッパの人類史を遺伝学的観点から検証した研究(Lazaridis., 2018)が公表されました。近年の遺伝学的諸研究が整理されており、たいへん有益だと思います。とくに、図はよく整理されていて分かりやすいと思います。本論文には当ブログで近年取り上げた研究が多く引用されており、それらを再度参照しつつ、読み進めていきました。また、最近刊行された『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)と併せて読むと、さらに理解が深まると思います。私も、近いうちに同書を再読しようと考えています。

 下部旧石器時代(前期~中期更新世)~中部旧石器時代(中期~後期更新世)までのヨーロッパには、現生人類(Homo sapiens)とは異なる系統のホモ属が存在していました。これらの人類の遺伝学的情報に関しては、今年(2018年)3月に一度まとめました(関連記事)。ヨーロッパで最古となる人類のDNAは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群から得られており、核DNAでは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方に近縁で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では現生人類やネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁となります(関連記事)。本論文が対象とするのは、このSH人骨群の存在した43万年前頃以降のヨーロッパとなります。ただ本論文は、43万年前頃~現生人類が拡散してくるまで(45000年前頃?)のヨーロッパの人類史をネアンデルタール人系統に集約させていますが、もっと複雑だった可能性が高いように思います(関連記事)。

 45000年前頃かそれ以前より、ヨーロッパには現生人類が拡散してきて、中部旧石器時代から上部旧石器時代へと移行します。ヨーロッパのネアンデルタール人は4万年前頃には絶滅したとされていますが(関連記事)、イベリア半島ではさらに3000年ほどネアンデルタール人生存の可能性が指摘されています(関連記事)。ただ、現時点では、遺伝的に明確に現代ヨーロッパ人系統とつながる最古の個体は、ヨーロッパロシアで確認された39000~36000年前頃の個体までしかさかのぼらず(関連記事)、西ヨーロッパの35000~34000年前頃のベルギーの個体がそれに続きます。一方、クロアチアの42000~37000年前頃の現生人類個体は、その4~6代前にネアンデルタール人と交雑し、現代には子孫を残していない、と考えられています(関連記事)。そのため、4万年前頃のナポリ近郊の大噴火により、ヨーロッパの現生人類とネアンデルタール人は絶滅して後続の現生人類に置換された、とも考えられますが、この大噴火がヨーロッパの初期現生人類を絶滅させたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。

 ベルギーの、現代ヨーロッパ人系統とつながる最初期の個体は、他の同年代の西ユーラシア人よりも多くの対立遺伝子を近い年代の東アジア人と共有しており(関連記事)、しかもmtDNAハプログループでは、ユーラシア東部やオセアニアでは高頻度で見られるものの、現代のユーラシア西部ではほとんど確認されていないM系統に分類されます。これは例外ではなく、21000年前頃となる最終氷期極大期前のヨーロッパには、他にもmtDNAハプログループMが存在していました。こうしたユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性は、グラヴェティアン(Gravettian)と関連する31000~26000年前頃のイタリア・ベルギー・チェコの集団や、マグダレニアン(Magdalenian)と関連する19000~15000年前頃のスペイン・フランス・ドイツ・ベルギーの集団では消滅していました。ヨーロッパの大半では15000年前頃までには、西ヨーロッパ更新世狩猟採集民集団(WHG)が優勢となり、現代の南部および北部ヨーロッパ人に遺伝的影響を残しています。WHGには、ヨーロッパの周辺地域、とくにアナトリア半島の集団との遺伝的類似性も見られます。東ヨーロッパでは、WHGと上部旧石器時代シベリア狩猟採集民との混合により、狩猟採集民集団(EHG)が形成されました。EHGは北ヨーロッパの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼしました。

 ヨーロッパには9000年前頃よりアナトリア半島から農耕民が拡散してきて、しだいに農耕が定着していきます。WHG系統は前期新石器時代のハンガリーや6000~5000年前頃までのドイツではまだ強い遺伝的影響力を有していたものの、しだいにアナトリア半島からの農耕民と融合し、その独自の遺伝的構成は失われていきました。このアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民は、仮定上の存在である「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響を受けていました。基底部ユーラシア人は、他の非アフリカ系と101000~67000年前に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推定されています。後期~末期更新世を通じて、おそらくは自然選択もあり、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は減少していきました。そこへ、基底部ユーラシア人の遺伝的影響を受けたアナトリア半島からの農耕民がヨーロッパに拡散してきて在来のWHGやEHGと融合したので、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響はさらに低下し、現在では東アジア系現代人よりも低くなっています。基底部ユーラシア人は中東の農耕民とコーカサスの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼし、後にはユーラシア西部集団に強い影響力を有することになりました。

 現代ヨーロッパ人の基本的な遺伝的構成は、この新石器時代に確立した集団に、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯の遊牧民がヨーロッパに拡散してきて融合したことで成立します。銅石器時代~青銅器時代の間の草原地帯の集団は、東ヨーロッパに8000年以上前に存在したEHGと、現代アルメニア人と関連する南方集団と、コーカサスの狩猟採集民と、イランの農耕民との混合の結果成立しました。この草原地帯の集団が騎馬遊牧民となり、5000年前頃からヨーロッパに拡散したことで、とくに中央部と北部に関しては大きな影響を及ぼした、と明らかになっています。ただ、草原地帯遊牧民のヨーロッパにおける遺伝的影響については、地域的な違いが見られる、とも指摘されています(関連記事)。この草原地帯遊牧民は、おもにヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と考えられており、東方にも拡散して南および西アジアとヨーロッパにインド・ヨーロッパ語族を普及させた、と想定されているのですが、南および西アジアに関しては、この見解に疑問も呈されています(関連記事)。

 このように、古代DNA研究の進展によりヨーロッパの人類史に関して多くのことが解明されました。しかし、同時に多くの問題が新たに浮かび上がってきた、と本論文は指摘します。35000年前頃以降にヨーロッパに出現した現代ヨーロッパ人と遺伝的につながっている最初の人類集団はどこから到来したのか、中東集団は基底部ユーラシア人とどのよう過程を経て交雑したのか、基底部ユーラシア人系統が直接ヨーロッパに拡散しなかった理由、WHGが15000年以上前に最終氷期以前の人類と事実上置換した理由、EHGを創出することになった古代シベリア集団の西進理由、草原地帯からの移住民がヨーロッパで大きな遺伝的影響力を有するようになった理由などです。今後、こうした問題も古代DNA研究の進展により解明されるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Lazaridis I.(2018): The evolutionary history of human populations in Europe. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 21-27.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.06.007

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