春秋戦国時代における性差の拡大

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、春秋戦国時代における性差の拡大に関する研究(Dong et al., 2017)が公表されました。春秋戦国時代に成立し、その後(とくに後漢以降)20世紀初頭まで東アジアにおいて大きな影響力を有し続けた儒教には、女性蔑視傾向が見られます。こうした男性と比較しての女性の低い社会的地位が春秋戦国時代に成立していたのか、まだよく明らかにはなってません。本論文はこの問題を、空間的には中国でもいわゆる中原を、時間的には新石器時代から春秋戦国時代までを対象として、考古学的観点から検証しています。具体的には、安定同位体分析による当時の人類の食性の推定、人類遺骸による体格の測定、墓地の規模・埋葬品の分析です。

 なお、本論文では、紀元前5000~紀元前2900年頃が新石器時代の仰韶(Yangshao)文化期、紀元前2600~紀元前1900年頃が後期新石器時代、紀元前1700~紀元前221年が青銅器時代、紀元前771~紀元前221年が東周時代とされています。東周は紀元前256年に滅亡しているので、今回は東周時代ではなく春秋戦国時代との表記を用います。春秋戦国時代の人類遺骸に関しては、中華人民共和国河南省鄭州市新鄭市の鄭韓故城(Ancient City of Zheng Han)の暢馨園(Changxinyuan)と西亜斯(Xiyasi)で発見されたものが分析されました。春秋戦国時代の動物データは、鄭韓故城の墓地がある天利(Tianli)から得られました。

 中原で農耕が始まったのは紀元前8000年頃で、まずアワ(Setaria italica)やキビ(Panicum miliaceum)が栽培されるようになりました。紀元前の中原における栽培作物のなかでC4植物はアワとキビのみです。コムギ(Triticum aestivum)とオオムギ(Hordeum vulgare)が西方から中原に導入されたのは後期新石器時代(紀元前2600~紀元前1900年頃)ですが、後期新石器時代と青銅器時代において、一貫してアワやキビよりも植物遺骸に占める比率は低かったようです。ダイズ(Glycine max)の栽培は中原では後期新石器時代に始まり、しだいに重要な作物になっていきました。漢王朝においてコムギ・オオムギ・マメ類は、貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧でした。漢王朝末期には、製粉技術の革新により、コムギは麺類に用いられる価値の高い食材と認識されるようになりました。

 中原での動物の家畜化は、更新世から家畜化が進んでいただろうイヌを除けば、ブタから始まります。仰韶文化期の遺跡の動物の骨ではシカ・イヌ・ブタの割合が多く、家畜に限定されていませんでした。しかし、青銅器時代になると、遺跡の動物の骨は家畜の割合が支配的となります。後期新石器時代以降、中原にも他地域から家畜が導入されるようになります。家畜化されたウシ(Bos taurus)が出現するのは後期新石器時代となる紀元前2500~紀元前2000年頃、ヒツジの出現も後期新石器時代で、スイギュウ(Bubalus bubalus)が南アジアから中原に導入されたのは青銅器時代となる紀元前1000年頃です。わずかではありますが、青銅器時代の遺跡ではトラの骨も見つかっています。儀式で用いられたのかもしれません。

 安定同位体分析による人類の食性の推定の結果、C4植物のアワやキビは新石器時代以降ずっと重要な作物だったとはいえ、春秋戦国時代になると、次第に他地域から新たに導入されたC3植物のコムギ・オオムギ、また同じくC3植物で在来野生種から栽培化が進んだと思われるダイズの消費の割合が増えてきた、と明らかになりました。ここで重要なのは、安定同位体分析から、C3植物の消費の増大が女性で男性よりも有意に見られ、(肉だけではなく卵なども含めて)動物性食料の消費の減少と関連している、と明らかになったことです。本論文は、女性の食性においてマメ類の占める割合が増加したのではないか、と推測しています。一方、仰韶文化期の食性はかなり多様で、姜寨(Jiangzhai)遺跡を除いて食性に有意な性差は見られませんでした。上述したように、コムギ・オオムギ・マメ類は、漢代において貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧でした。これは、新石器時代と比較して、女性の社会的地位が低下したことを示唆する証拠となりそうです。

 現生人類(Homo sapiens)の平均身長は男性の方が女性より高いのですが、人類遺骸の分析から、仰韶文化期と比較して春秋戦国時代には、その差が拡大しました。これも春秋戦国時代に女性の社会的地位が男性との比較で低下していったことの証拠とされていますが、食性の影響が大きかったように思われます。春秋戦国時代の中原の女性が、男性との比較で仰韶文化期よりも動物性タンパク質の摂取量の比率が低下したとしたら、男性との身長差が拡大したとしても不思議ではないでしょう。本論文は、春秋戦国時代には家庭において、もはや食事が男女で共有されておらず、親が女子よりも男子に偏った投資をしていた可能性を指摘しています。

 これらは生前の社会状況ですが、死後においても性差が拡大した、と本論文は指摘します。埋葬において、墓地の規模・副葬品では、仰韶文化期には大きな性差は見られませんでした。しかし、春秋戦国時代になると、墓地の規模・副葬品で明らかに男性を優遇した状況が見られます。本論文は、骨格で識別された性と社会文化的な性(ジェンダー)とは必ず一致するわけではないものの、墓地の変遷はジェンダーの役割と不平等に関連する社会経済的変化への強い示唆になる、と指摘しています。

 本論文は、比較的性差の少ない新石器時代から、生前には親が女子よりも男子に多く投資し、死後には男性が女性よりも埋葬で優遇されるような社会が春秋戦国時代に形成された理由として、文化的規範を挙げています。儒教に見られるような女性蔑視には確たる社会的背景があったのではないか、というわけです。では、そうした文化的規範が成立した理由についてですが、本論文は、コムギ・オオムギなどの作物やウシなどの新たな家畜が他地域から導入され、生存戦略が変化し、社会がより複雑化したことと関連しているのではないか、と推測しています。

 性差の拡大は人類史における大問題で、かなり複雑な背景があるでしょうから、私が的確に全体像を把握することはほとんど無理と思われるのですが、共同体の拡大およびその延長としての国家の成立、さらにはその過程での軍事行動の重要性増大と深く関わっているのではないか、と漠然と考えています。もちろん、個体差は大きいとしても、更新世までの進化の過程が形成されていった、さまざまな表現型における男女の生得的な違いも重要ではないか、と思います。この問題に関しては、少しずつ情報を得て考え続けていくつもりです。


参考文献:
Dong Y. et al.(2017): Shifting diets and the rise of male-biased inequality on the Central Plains of China during Eastern Zhou. PNAS, 114, 5, 932–937.
https://doi.org/10.1073/pnas.1611742114

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