現生人類の生態的地位
現生人類(Homo sapiens)の生態的地位に関する研究(Roberts, and Stewart., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類の起源に関しては、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、という「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。このアフリカ多地域進化説は、現生人類の起源に関する仮説では、現時点での証拠を最も整合的に説明できると思います(関連記事)。
現生人類の起源に関しては、人類遺骸と現代人および古代人のDNA解析が重要となり、大きく報道されることもあります。本論文は、そこからさらに、現生人類の生態的地位に関する研究も重要ではないか、と主張します。人類進化史において、現生人類の特徴として、言語・社会的ネットワーク・芸術活動などを可能とする象徴的思考といった、認知能力の発達を重視する傾向がありました。それとも密接に関連しますが、近年では現生人類の独特な生態的地位が注目されつつあります。現生人類は環境変化にもたいへん柔軟に対応でき、多様な環境に適応できたことこそが現生人類の重要な特徴で、現生人類は「万能家(generalist)」だった、というわけです。
本論文は、蓄積されてきた考古学・古環境的データを再検証し、現生人類の生態的地位は万能家だとする見解の修正を主張しています。現生人類が多様な環境へと拡散していったことは、本論文でも強調されています。そうした多様な環境の中には、砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境も含まれます。これは、ホモ属の他系統とは異なる、と本論文は指摘します。
ホモ属でも(広義の)エレクトス(Homo erectus)は、遅くとも100万年前までには、ユーラシアの西端から東端・東南端まで、広範に拡散しました。しかし本論文は、動物・植物の痕跡や化学分析により、エレクトスの拡散先の環境は森林と草原が混在しており、それは初期ホモ属の進化したアフリカの環境と同様だった、と指摘します。東南アジアの現生人類よりも前のホモ属としては、エレクトスやフロレシエンシス(Homo floresiensis)がおり、高温多湿で資源の不足している熱帯雨林環境を利用した、との見解も提示されていますが、信頼できる証拠はない、と本論文は指摘しています。
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、寒冷地適応と解釈されてきたその顔の形態や、おもにマンモスのような大型獣を狩猟対象としていたことから、ユーラシアの高緯度地帯に特化した、と言われてきました。しかし本論文は、考古学・古環境的データから、ネアンデルタール人はおもに多様な森林と草原の混在した環境を利用し、ユーラシア北部から地中海地域までの多様な動物を狩っていた、と指摘します。
このように本論文は、現生人類系統ではないホモ属は多様な環境に適応していない、と指摘し、現生人類が進化したアフリカの森林と草原の混在した環境と類似した地域はもちろん、砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境まで拡散した現生人類の多様性を強調しています。本論文は、この現生人類の独特で新たな生態的地位を「万能家-専門家(generalist specialist)」と定義しています。現生人類は多様な環境に適応する万能家として把握されてきましたが、熱帯雨林など極限環境への拡散とそこにおけるいくつかの適応への特化は専門家としても定義され得るものであり、両方を兼ね備えていることこそ現生人類の重要な特徴である、というわけです。
現生人類がこのような生態的地位を確立した要因や、その基盤となった能力をいつどのように獲得したのか、現時点での証拠からはまだ正確なところが明らかではありません。本論文は、将来の研究の進展によりさらに解明されていくだろう、と指摘しつつ、現時点での仮説を提示しています。それは、更新世の現生人類社会における非血縁個体群の間での広範な協力が、「万能家-専門家」生態的地位の基盤になっている可能性がある、というものです。具体的には、食料の共有・長距離交換・儀式などでで、文化の蓄積が重視されています。これにより現生人類系統においては、環境変動への適応と、他系統の人類の置換(とはいっても、交雑を伴う置換でしたが)が可能になったのではないか、と本論文は推測しています。
本論文の「万能家-専門家」生態的地位仮説は、現生人類系統ではないホモ属による極限環境利用の証拠により反証され得るもので、エレクトスやネアンデルタール人に関しては、極限環境利用の可能性は一定水準以上ありそうです。また、チベット人は種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)から高地適応関連遺伝子を継承したと推測されているので(関連記事)、デニソワ人が高地に適応していた可能性もじゅうぶん考えられます。その意味で、本論文の「万能家-専門家」生態的地位仮説は今後修正されていくかもしれませんが、それでも、現生人類と他系統の人類とで、適応した環境の多様性に大きな違いがあった可能性は高いでしょうから、本論文の見解と観点は、今後も長く重要であり続けるでしょう。
本論文は、これまで軽視されてきた砂漠や熱帯雨林などの極限環境の研究を促していますが、そうした極限環境地域での研究の進展により、現生人類の起源と特徴について、さらに多くの知見が得られるのではないか、と期待されます。また本論文は、「万能家-専門家」生態的地位仮説が、経済発展の持続可能性と環境破壊という現代社会の難題に貢献する可能性も指摘しています。人類進化研究において、現代社会の問題を強く意識することも時として必要だとは思います。
参考文献:
Roberts P, and Stewart BA.(2018): Defining the ‘generalist specialist’ niche for Pleistocene Homo sapiens. Nature Human Behaviour, 2, 8, 542–550.
https://dx.doi.org/10.1038/s41562-018-0394-4
現生人類の起源に関しては、人類遺骸と現代人および古代人のDNA解析が重要となり、大きく報道されることもあります。本論文は、そこからさらに、現生人類の生態的地位に関する研究も重要ではないか、と主張します。人類進化史において、現生人類の特徴として、言語・社会的ネットワーク・芸術活動などを可能とする象徴的思考といった、認知能力の発達を重視する傾向がありました。それとも密接に関連しますが、近年では現生人類の独特な生態的地位が注目されつつあります。現生人類は環境変化にもたいへん柔軟に対応でき、多様な環境に適応できたことこそが現生人類の重要な特徴で、現生人類は「万能家(generalist)」だった、というわけです。
本論文は、蓄積されてきた考古学・古環境的データを再検証し、現生人類の生態的地位は万能家だとする見解の修正を主張しています。現生人類が多様な環境へと拡散していったことは、本論文でも強調されています。そうした多様な環境の中には、砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境も含まれます。これは、ホモ属の他系統とは異なる、と本論文は指摘します。
ホモ属でも(広義の)エレクトス(Homo erectus)は、遅くとも100万年前までには、ユーラシアの西端から東端・東南端まで、広範に拡散しました。しかし本論文は、動物・植物の痕跡や化学分析により、エレクトスの拡散先の環境は森林と草原が混在しており、それは初期ホモ属の進化したアフリカの環境と同様だった、と指摘します。東南アジアの現生人類よりも前のホモ属としては、エレクトスやフロレシエンシス(Homo floresiensis)がおり、高温多湿で資源の不足している熱帯雨林環境を利用した、との見解も提示されていますが、信頼できる証拠はない、と本論文は指摘しています。
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、寒冷地適応と解釈されてきたその顔の形態や、おもにマンモスのような大型獣を狩猟対象としていたことから、ユーラシアの高緯度地帯に特化した、と言われてきました。しかし本論文は、考古学・古環境的データから、ネアンデルタール人はおもに多様な森林と草原の混在した環境を利用し、ユーラシア北部から地中海地域までの多様な動物を狩っていた、と指摘します。
このように本論文は、現生人類系統ではないホモ属は多様な環境に適応していない、と指摘し、現生人類が進化したアフリカの森林と草原の混在した環境と類似した地域はもちろん、砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境まで拡散した現生人類の多様性を強調しています。本論文は、この現生人類の独特で新たな生態的地位を「万能家-専門家(generalist specialist)」と定義しています。現生人類は多様な環境に適応する万能家として把握されてきましたが、熱帯雨林など極限環境への拡散とそこにおけるいくつかの適応への特化は専門家としても定義され得るものであり、両方を兼ね備えていることこそ現生人類の重要な特徴である、というわけです。
現生人類がこのような生態的地位を確立した要因や、その基盤となった能力をいつどのように獲得したのか、現時点での証拠からはまだ正確なところが明らかではありません。本論文は、将来の研究の進展によりさらに解明されていくだろう、と指摘しつつ、現時点での仮説を提示しています。それは、更新世の現生人類社会における非血縁個体群の間での広範な協力が、「万能家-専門家」生態的地位の基盤になっている可能性がある、というものです。具体的には、食料の共有・長距離交換・儀式などでで、文化の蓄積が重視されています。これにより現生人類系統においては、環境変動への適応と、他系統の人類の置換(とはいっても、交雑を伴う置換でしたが)が可能になったのではないか、と本論文は推測しています。
本論文の「万能家-専門家」生態的地位仮説は、現生人類系統ではないホモ属による極限環境利用の証拠により反証され得るもので、エレクトスやネアンデルタール人に関しては、極限環境利用の可能性は一定水準以上ありそうです。また、チベット人は種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)から高地適応関連遺伝子を継承したと推測されているので(関連記事)、デニソワ人が高地に適応していた可能性もじゅうぶん考えられます。その意味で、本論文の「万能家-専門家」生態的地位仮説は今後修正されていくかもしれませんが、それでも、現生人類と他系統の人類とで、適応した環境の多様性に大きな違いがあった可能性は高いでしょうから、本論文の見解と観点は、今後も長く重要であり続けるでしょう。
本論文は、これまで軽視されてきた砂漠や熱帯雨林などの極限環境の研究を促していますが、そうした極限環境地域での研究の進展により、現生人類の起源と特徴について、さらに多くの知見が得られるのではないか、と期待されます。また本論文は、「万能家-専門家」生態的地位仮説が、経済発展の持続可能性と環境破壊という現代社会の難題に貢献する可能性も指摘しています。人類進化研究において、現代社会の問題を強く意識することも時として必要だとは思います。
参考文献:
Roberts P, and Stewart BA.(2018): Defining the ‘generalist specialist’ niche for Pleistocene Homo sapiens. Nature Human Behaviour, 2, 8, 542–550.
https://dx.doi.org/10.1038/s41562-018-0394-4
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