現代ペルー人の形成史
現代ペルー人の形成史に関する研究(Harris et al., 2018)が公表されました。本論文は、ペルーのアンデス地域・アマゾン地域・沿岸地域の13集団計150人の高網羅率(平均35倍)のゲノム配列および追加の130人の遺伝子型配列標本から、現代ペルー人がどのように形成されてきたのか、調べました。この13集団のなかには、ヨーロッパ系やアフリカ系など外来集団の遺伝的影響をあまり受けていないアメリカ大陸先住民集団と、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)とアメリカ大陸先住民系との混合により形成されたメスティーソ集団とが含まれます。アフリカ系の遺伝的影響の強い集団は、少ないながらも沿岸地域に存在します。
分析の結果、現代ペルー人の複雑な形成史が明らかになりました。アメリカ大陸先住民系統は23000年前頃までに東アジア系と分岐し、16000年前頃までにアメリカ大陸への拡散を始めました。ペルーへの人類の移住は12000年前頃と推測されています。これは、12000~11000年前頃までさかのぼるペルーの考古学的証拠と整合的と言えるでしょう。ただ、これはあくまでも現代ペルー人の主要な遺伝子源の一つとなった人類集団の定着時期で、それ以前にペルーというか南アメリカ大陸に人類が拡散していた可能性は高いと思います(関連記事)。ただ、早期に南アメリカ大陸へと拡散した集団は時空間的に孤立しており、偶発的で継続的な移住とはならなかったのかもしれません(関連記事)。
ペルーではまず、アマゾン地域集団とアンデス地域集団および沿岸地域集団とが分岐します。これは、(現代人の主要な遺伝子源となった)南アメリカ大陸最初の移住集団が、アンデス山脈の両側でまず分岐したことを示唆します。その後で、アンデス地域系統と沿岸地域系統とが分岐します。これら3地域集団は比較的早期に分岐し、それは農耕の開始よりさかのぼるようです。ペルーの各地域における最古の考古学的痕跡と最古の農耕の痕跡との間には、アマゾン地域において約6000年、沿岸地域において約4000年、アンデス地域において約400年の差があるので、ペルーの各地域に人類が移住して何世代も経過した後に、農耕が始まったようです。ただ、農耕が各地域で独立して始まったのか、それとも単一地域から他地域へと拡散したのか、まだ確証は得られていません。
外来集団の遺伝的影響が小さいアメリカ大陸先住民集団は比較的孤立してきた歴史を有しており、有効人口規模が小さく、遺伝的多様性が低くなっています。一方メスティーソ集団は、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)集団とアメリカ大陸先住民集団との混合により形成されましたが、アメリカ大陸先住民集団の遺伝的要素においても、異なる地域の複数集団の混合と推測されました。メスティーソ系統におけるアメリカ大陸先住民集団の混合は、スペインの征服前に始まっていました。スペイン征服前のアメリカ大陸先住民集団の複雑な混合には長い歴史があったようですが、インカ帝国の拡大も影響を及ぼしたようです。また、こうした移住・混合においては非対称性も見られ、移住の主要な方向は、少なくともメスティーソ系統においては、高地のアンデス地域から低地のアマゾン地域・沿岸地域でした。これは、アンデス地域への移住には高地適応が必要なので、低地から高地への移住が難しかったためとも考えられますが、スペインの政策や先スペイン期の複雑な社会情勢の結果かもしれません。
メスティーソ集団を形成するにいたったアメリカ大陸先住民系とヨーロッパ系との混合の大きな波は、19世紀半ばに起きました。つまり、16世紀前半~半ばにかけてのスペインによるペルーの征服後300年間ほどは、アメリカ大陸先住民集団とスペイン系集団との間で混合はさほど起きなかった、というわけです。本論文は、両者の混合が19世紀半ばに大きく進展した要因として、19世紀前半のペルー独立戦争およびその結果としてのペルーの独立という社会政治的変動を挙げています。現代ペルー人の形成はたいへん複雑な経過をたどったようで、南アメリカ大陸の他地域でも同様の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Harris DN. et al.(2018): Evolutionary genomic dynamics of Peruvians before, during, and after the Inca Empire. PNAS, 115, 28, E6526–E6535.
https://doi.org/10.1073/pnas.1720798115
分析の結果、現代ペルー人の複雑な形成史が明らかになりました。アメリカ大陸先住民系統は23000年前頃までに東アジア系と分岐し、16000年前頃までにアメリカ大陸への拡散を始めました。ペルーへの人類の移住は12000年前頃と推測されています。これは、12000~11000年前頃までさかのぼるペルーの考古学的証拠と整合的と言えるでしょう。ただ、これはあくまでも現代ペルー人の主要な遺伝子源の一つとなった人類集団の定着時期で、それ以前にペルーというか南アメリカ大陸に人類が拡散していた可能性は高いと思います(関連記事)。ただ、早期に南アメリカ大陸へと拡散した集団は時空間的に孤立しており、偶発的で継続的な移住とはならなかったのかもしれません(関連記事)。
ペルーではまず、アマゾン地域集団とアンデス地域集団および沿岸地域集団とが分岐します。これは、(現代人の主要な遺伝子源となった)南アメリカ大陸最初の移住集団が、アンデス山脈の両側でまず分岐したことを示唆します。その後で、アンデス地域系統と沿岸地域系統とが分岐します。これら3地域集団は比較的早期に分岐し、それは農耕の開始よりさかのぼるようです。ペルーの各地域における最古の考古学的痕跡と最古の農耕の痕跡との間には、アマゾン地域において約6000年、沿岸地域において約4000年、アンデス地域において約400年の差があるので、ペルーの各地域に人類が移住して何世代も経過した後に、農耕が始まったようです。ただ、農耕が各地域で独立して始まったのか、それとも単一地域から他地域へと拡散したのか、まだ確証は得られていません。
外来集団の遺伝的影響が小さいアメリカ大陸先住民集団は比較的孤立してきた歴史を有しており、有効人口規模が小さく、遺伝的多様性が低くなっています。一方メスティーソ集団は、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)集団とアメリカ大陸先住民集団との混合により形成されましたが、アメリカ大陸先住民集団の遺伝的要素においても、異なる地域の複数集団の混合と推測されました。メスティーソ系統におけるアメリカ大陸先住民集団の混合は、スペインの征服前に始まっていました。スペイン征服前のアメリカ大陸先住民集団の複雑な混合には長い歴史があったようですが、インカ帝国の拡大も影響を及ぼしたようです。また、こうした移住・混合においては非対称性も見られ、移住の主要な方向は、少なくともメスティーソ系統においては、高地のアンデス地域から低地のアマゾン地域・沿岸地域でした。これは、アンデス地域への移住には高地適応が必要なので、低地から高地への移住が難しかったためとも考えられますが、スペインの政策や先スペイン期の複雑な社会情勢の結果かもしれません。
メスティーソ集団を形成するにいたったアメリカ大陸先住民系とヨーロッパ系との混合の大きな波は、19世紀半ばに起きました。つまり、16世紀前半~半ばにかけてのスペインによるペルーの征服後300年間ほどは、アメリカ大陸先住民集団とスペイン系集団との間で混合はさほど起きなかった、というわけです。本論文は、両者の混合が19世紀半ばに大きく進展した要因として、19世紀前半のペルー独立戦争およびその結果としてのペルーの独立という社会政治的変動を挙げています。現代ペルー人の形成はたいへん複雑な経過をたどったようで、南アメリカ大陸の他地域でも同様の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Harris DN. et al.(2018): Evolutionary genomic dynamics of Peruvians before, during, and after the Inca Empire. PNAS, 115, 28, E6526–E6535.
https://doi.org/10.1073/pnas.1720798115
この記事へのコメント