現生人類アフリカ多地域進化説
現生人類(Homo sapiens)の進化に関する新たな見解を提示した研究(Scerri et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類アフリカ単一起源説は、今では定説と言えるでしょう。じゅうらいの単一起源説では、現生人類は単一の地域・(比較的小規模な)集団で進化し、アフリカ各地、さらには世界中へと拡散した、との想定が有力でした。アフリカにおける現生人類の起源地としては、人類化石証拠などから、東部と南部が有力視されていました。
本論文は形態学・考古学・遺伝学・古環境学の研究成果を統合し、現生人類の起源に関してじゅうらいの有力な見解を見直しています。現生人類の派生的な形態学的特徴としては、球状の頭蓋・頤・弱い眉上隆起・小さな顔面などがあります。本論文が問題としているのは、現時点での証拠からは、これらの特徴が異なる場所・年代に最初に出現したように見えることです。たとえば頭蓋に関して、現代人の変異内に収まるようになったのは、脳容量では30万年前頃までさかのぼりますが、球状の形態では100000~35000年前頃の間と推定されています(関連記事)。
アフリカにおいて、現生人類の派生的な形態学的特徴を有する人類遺骸として初期のものは30万~20万年前頃となりますが、その地域は広範囲に及んでいます。南部では南アフリカ共和国の26万年前頃となるフロリスバッド(Florisbad)化石、東部ではエチオピアの195000年前頃となるオモ(Omo)化石、北部では30万年以上前となるモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)化石(関連記事)です。これらの人類遺骸には、現生人類の派生的な形態学的特徴も祖先的特徴も認められ、現生人類の起源地に関して議論となってきました。一つの解釈は、アフリカ全域にわたる単一の巨大集団が存在した、というものです。もう一つの解釈は、これら初期の現生人類的な人類遺骸のいくつかは現生人類と近縁な絶滅系統で、現生人類は単一の地域・集団で進化して拡散した、というものです。
本論文は、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が出現した、との見解を提示しています。現生人類の進化はモザイク状だったのではないか、というわけです。本論文はこの見解を「アフリカ多地域進化説」と呼んでいます。現生人類の派生的な形態学的特徴の唯一の起源地をアフリカとする点では、じゅうらいの現生人類アフリカ単一起源説と同じですが、アフリカ内での現生人類の進化を多地域進化説的に説明するという点で、じゅうらいの有力説とは異なります。アフリカ多地域進化説により、初期の現生人類的な化石群のうちどれが現生人類系統でどれが絶滅系統だったのか、また起源地は東部なのか南部なのか、といった議論は止揚される、とも言えるでしょう。
本論文は、複数の集団間の交流により現生人類が形成されていった要因として、多様な環境への適応と、川・砂漠・森林・山脈などの障壁により、各集団が孤立していったことを挙げています。孤立して各環境へと適応していった比較的小規模な各集団において、異なる年代に現生人類の派生的な形態学的特徴が出現し、その後に気候変動によりそうした障壁が除去されたり、乾燥化などに伴い移住したりしたことで、比較的孤立していた各集団が交流するようになり、そうした複雑な過程を経て現生人類が形成されたのではないか、というわけです。こうした推測は古環境学の研究成果に基づいていますが、現時点ではまだ確固たる結論を提示できるほどの水準ではない、とも指摘されています。
こうした交流は考古学的にも証明される、と本論文は指摘します。現生人類の形成は、中期~後期更新世となる中期石器時代に相当します。調整石核技術に代表される中期石器時代への技術的移行は、アフリカの大半の地域でほぼ同時に起きたようです。ただ、現時点での証拠では、アフリカ西部は他地域よりも遅れます。中期石器時代には石器技術の地域化が進み、各環境に適応したと考えられます。これは、各地域集団の環境への適応という本論文の想定と整合的と言えるでしょう。しかし、たとえばアフリカ東部では石器文化に地域的多様性があるものの、中期石器時代を通じて継続性も見られます。これは、一定水準以上の人的交流を示しているかもしれず、そうした交流により交雑も生じ、現生人類が形成されていったのかもしれません。交流のより直接的な証拠としては、アフリカ東部において20万年以上前までさかのぼる石材の長距離輸送があり、集団間の交易が想定されています(関連記事)。
遺伝学的には、現生人類の最も深い分岐の年代が35万~26万年前頃と推定されていることは、本論文の見解と整合的と言えるかもしれません(関連記事)。また本論文は、多様な現生人類系統と非現生人類系統のホモ属との交雑の可能性も想定しています。じっさい、現生人類系統と200万~150万年前頃に分岐した遺伝学的に未知のホモ属が、現生人類と15万年前頃に交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。ただ、本論文は、交雑の根拠とされる合着年代の古さが交雑を意味するとも限らない、とも指摘しています。この問題に関しては、古代DNA研究の進展を俟つしかありませんが、アフリカの環境はDNAの保存に適していないので、ヨーロッパのような高緯度地域と比較すると、残念ながら今後も劇的な進展は期待しにくい、と思います。
アフリカにおいては、非現生人類系統のホモ属がほぼ確実に中期更新世までは存在していました。南アフリカ共和国においては、現生人類とは形態が大きく異なるホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)が、335000~236000年前頃まで存在していました。また本論文は、300000~125000年前頃と推定されているザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)頭蓋を、現生人類とは異なる系統ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類しています。後期更新世まで、現生人類とは異なる系統がアフリカに存在した可能性は高いだろう、と思います。これらの非現生人類系統のホモ属と現生人類系統との関係については、上述したアフリカにおける古代DNA研究の難しさという問題もあり、なかなか進展しないとは思いますが、大いに注目される分野です。
本論文の著者の一人は、現生人類アフリカ単一起源説の大御所であるストリンガー(Chris Stringer)氏です。ストリンガー氏はすでに、最近取り上げた論文において、アフリカ多地域進化説を採用していました(関連記事)。アフリカ多地域進化説については、当ブログで5年前(2013年)にすでに取り上げていましたし(関連記事)、上述したモロッコで発見された30万年以上前の現生人類的な化石を取り上げたさいに、妥当な見解だろう、とも述べました(関連記事)。その意味で、本論文の見解には驚かないというか、基本的には同意しています。今後、現生人類アフリカ単一起源説でも、アフリカ多地域進化説と、他系統の人類との交雑(交配説)を組み合わせた見解が有力になっていくのではないか、と思います。
参考文献:
Scerri EML. et al.(2018): Did Our Species Evolve in Subdivided Populations across Africa, and Why Does It Matter? Trends in Ecology & Evolution, 33, 8, 582-594.
https://doi.org/10.1016/j.tree.2018.05.005
本論文は形態学・考古学・遺伝学・古環境学の研究成果を統合し、現生人類の起源に関してじゅうらいの有力な見解を見直しています。現生人類の派生的な形態学的特徴としては、球状の頭蓋・頤・弱い眉上隆起・小さな顔面などがあります。本論文が問題としているのは、現時点での証拠からは、これらの特徴が異なる場所・年代に最初に出現したように見えることです。たとえば頭蓋に関して、現代人の変異内に収まるようになったのは、脳容量では30万年前頃までさかのぼりますが、球状の形態では100000~35000年前頃の間と推定されています(関連記事)。
アフリカにおいて、現生人類の派生的な形態学的特徴を有する人類遺骸として初期のものは30万~20万年前頃となりますが、その地域は広範囲に及んでいます。南部では南アフリカ共和国の26万年前頃となるフロリスバッド(Florisbad)化石、東部ではエチオピアの195000年前頃となるオモ(Omo)化石、北部では30万年以上前となるモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)化石(関連記事)です。これらの人類遺骸には、現生人類の派生的な形態学的特徴も祖先的特徴も認められ、現生人類の起源地に関して議論となってきました。一つの解釈は、アフリカ全域にわたる単一の巨大集団が存在した、というものです。もう一つの解釈は、これら初期の現生人類的な人類遺骸のいくつかは現生人類と近縁な絶滅系統で、現生人類は単一の地域・集団で進化して拡散した、というものです。
本論文は、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が出現した、との見解を提示しています。現生人類の進化はモザイク状だったのではないか、というわけです。本論文はこの見解を「アフリカ多地域進化説」と呼んでいます。現生人類の派生的な形態学的特徴の唯一の起源地をアフリカとする点では、じゅうらいの現生人類アフリカ単一起源説と同じですが、アフリカ内での現生人類の進化を多地域進化説的に説明するという点で、じゅうらいの有力説とは異なります。アフリカ多地域進化説により、初期の現生人類的な化石群のうちどれが現生人類系統でどれが絶滅系統だったのか、また起源地は東部なのか南部なのか、といった議論は止揚される、とも言えるでしょう。
本論文は、複数の集団間の交流により現生人類が形成されていった要因として、多様な環境への適応と、川・砂漠・森林・山脈などの障壁により、各集団が孤立していったことを挙げています。孤立して各環境へと適応していった比較的小規模な各集団において、異なる年代に現生人類の派生的な形態学的特徴が出現し、その後に気候変動によりそうした障壁が除去されたり、乾燥化などに伴い移住したりしたことで、比較的孤立していた各集団が交流するようになり、そうした複雑な過程を経て現生人類が形成されたのではないか、というわけです。こうした推測は古環境学の研究成果に基づいていますが、現時点ではまだ確固たる結論を提示できるほどの水準ではない、とも指摘されています。
こうした交流は考古学的にも証明される、と本論文は指摘します。現生人類の形成は、中期~後期更新世となる中期石器時代に相当します。調整石核技術に代表される中期石器時代への技術的移行は、アフリカの大半の地域でほぼ同時に起きたようです。ただ、現時点での証拠では、アフリカ西部は他地域よりも遅れます。中期石器時代には石器技術の地域化が進み、各環境に適応したと考えられます。これは、各地域集団の環境への適応という本論文の想定と整合的と言えるでしょう。しかし、たとえばアフリカ東部では石器文化に地域的多様性があるものの、中期石器時代を通じて継続性も見られます。これは、一定水準以上の人的交流を示しているかもしれず、そうした交流により交雑も生じ、現生人類が形成されていったのかもしれません。交流のより直接的な証拠としては、アフリカ東部において20万年以上前までさかのぼる石材の長距離輸送があり、集団間の交易が想定されています(関連記事)。
遺伝学的には、現生人類の最も深い分岐の年代が35万~26万年前頃と推定されていることは、本論文の見解と整合的と言えるかもしれません(関連記事)。また本論文は、多様な現生人類系統と非現生人類系統のホモ属との交雑の可能性も想定しています。じっさい、現生人類系統と200万~150万年前頃に分岐した遺伝学的に未知のホモ属が、現生人類と15万年前頃に交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。ただ、本論文は、交雑の根拠とされる合着年代の古さが交雑を意味するとも限らない、とも指摘しています。この問題に関しては、古代DNA研究の進展を俟つしかありませんが、アフリカの環境はDNAの保存に適していないので、ヨーロッパのような高緯度地域と比較すると、残念ながら今後も劇的な進展は期待しにくい、と思います。
アフリカにおいては、非現生人類系統のホモ属がほぼ確実に中期更新世までは存在していました。南アフリカ共和国においては、現生人類とは形態が大きく異なるホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)が、335000~236000年前頃まで存在していました。また本論文は、300000~125000年前頃と推定されているザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)頭蓋を、現生人類とは異なる系統ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類しています。後期更新世まで、現生人類とは異なる系統がアフリカに存在した可能性は高いだろう、と思います。これらの非現生人類系統のホモ属と現生人類系統との関係については、上述したアフリカにおける古代DNA研究の難しさという問題もあり、なかなか進展しないとは思いますが、大いに注目される分野です。
本論文の著者の一人は、現生人類アフリカ単一起源説の大御所であるストリンガー(Chris Stringer)氏です。ストリンガー氏はすでに、最近取り上げた論文において、アフリカ多地域進化説を採用していました(関連記事)。アフリカ多地域進化説については、当ブログで5年前(2013年)にすでに取り上げていましたし(関連記事)、上述したモロッコで発見された30万年以上前の現生人類的な化石を取り上げたさいに、妥当な見解だろう、とも述べました(関連記事)。その意味で、本論文の見解には驚かないというか、基本的には同意しています。今後、現生人類アフリカ単一起源説でも、アフリカ多地域進化説と、他系統の人類との交雑(交配説)を組み合わせた見解が有力になっていくのではないか、と思います。
参考文献:
Scerri EML. et al.(2018): Did Our Species Evolve in Subdivided Populations across Africa, and Why Does It Matter? Trends in Ecology & Evolution, 33, 8, 582-594.
https://doi.org/10.1016/j.tree.2018.05.005
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