古代日本の女性首長

 古墳時代、とくに前期の日本列島には女性首長が多く、近畿地方では1/3程度、全国規模では半分程度と推定されています(関連記事)。これと関連して興味深いのは、『日本書紀』巻七に、景行「天皇」の時代のこととして、現在の山口県(周防国)に神夏磯媛という「一國之魁帥(ヒトコノカミ)」たる女性がいる、と見えることです。さらに同じく『日本書紀』巻七に、現在の大分県(豊後国)の「速見邑(大分県日出町?)」に速津媛という「一處之長」がいる、と見えます。

 景行「天皇」は、実在したとしたら、その時期は古墳時代前期となりそうです。まあ私は、どこまで「実在性」が認められるのか、怪しいと考えていますが。上記の『日本書紀』の記事は、日本列島規模では女性首長が珍しくなかった時代の事実を反映している、とも解釈できるかもしれませんが、「中央(都)」より「未開な地方」の首長には女性が相応しい、という偏見が反映された、多分に創作である可能性もじゅうぶん想定されると思います。ただ、『日本書紀』編纂の頃には「女帝」が珍しくなく、女性首長の存在自体は、当時の「中央」支配層にとって想定外のことではなかった、とは言えると思います。

 古代日本において、最初の「女帝」とされる推古「天皇」よりも前においても、首長(王)位の父系継承が徹底されていなかったことは、他の記事からも窺えます。飯豊青「皇女」は清寧「天皇」の没後、顕宗「天皇」即位前に「ミカドマツリコトシタマフ」とあり、実質的に王(大王)位にあった、とも考えられます。欽明「天皇」の即位前に、その先々代の「皇后」だった春日山田「皇女」に即位する(というか政務を執る)よう要請があったという事例もあります。これらの記事がどこまで史実を反映していたのか、定かではありませんが、7~8世紀に「女帝」が珍しくなかったのは、女性が首長・王位を継承したり代行したりすることが珍しくなかった、という社会構造が背景にあったからなのでしょう。

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