新石器時代におけるイベリア半島からアフリカ北西部への移住

 新石器時代におけるイベリア半島からアフリカ北西部への移住に関する研究(Fregel et al., 2018)が公表されました。新石器時代には農耕が始まり、人類史における一大転機とされています。農耕の始まりに関して議論になってきたのは、農耕技術など関連文化の定着にさいして、交易などを通じた交流による伝播と、人々の移住のどちらが主流だったのか、ということです。現時点での証拠からは、文化伝播と集団移住のどちらもあり得て、地域・時代により状況は多様だった、と考えられます(関連記事)。

 本論文は、マグレブの新石器時代の住民はゲノム解析から、新石器時代への移行、さらには新石器時代における遺伝的構成の変容の具体的様相を解明しています。本論文は、モロッコの初期新石器時代となるIAM(Ifri n’Amr or Moussa)遺跡の7人、後期新石器時代となるKEB(Kelif el Boroud)遺跡の8人、イベリア半島の初期新石器時代となるTOR(El Toro)遺跡の12人のゲノムを解析し、中央アジア・西アジア・ヨーロッパの古代人のゲノム配列と比較しました。

 まず、紀元前5000年前頃までとなる初期新石器時代のIAM集団は、アフリカ北西部の新石器時代よりも前(後期石器時代)の住民と遺伝的に類似しており、ベルベル人など現代のアフリカ北西部集団特有の遺伝的構成のみを示しています。これは、更新世~現代にわたるアフリカ北西部の長期の遺伝的継続と、後期更新世~完新世となる紀元前5000年前頃までの、アフリカ北西部の人類集団の遺伝的孤立を示唆します。もちろん、ベルベル人は歴史的に他地域集団の影響をある程度以上受けており、すでにローマ帝国の支配以前にヨーロッパ人と交雑していたと推測されていますが、IAM集団には、そうした他地域からの大きな遺伝的影響は確認されませんでした。

 レヴァントも含む西アジアは世界で最初に農耕が始まった地域と言えそうですが、レヴァントの農耕開始直前とも言える、紀元前9000年前頃までとなるナトゥーフィアン(Natufian)の狩猟採集民集団は、IAM集団とは遺伝的関係はかなり遠いと明らかになりました。したがって、アフリカ北西部集団、少なくともIAM集団における農耕の始まりは、地域的な集団が外部の遺伝的影響をさほど受けずに継続し、近隣地域から農耕関連技術・概念を取り入れた、と考えるのが妥当だと思われます。

 一方、紀元前3000年前頃となる後期新石器時代のKEB集団には、ヨーロッパ人、おそらくはイベリア半島集団の遺伝的影響がある、と明らかになりました。同じ頃に、イベリア半島ではアフリカゾウの象牙やダチョウの卵のような遺物が見つかっており、ジブラルタル海峡を通じてアフリカ北西部とイベリア半島との交流があった、と確認されています。KEB集団の遺伝的構成は、そうした考古学的知見と整合的です。後期新石器時代には、初期新石器時代とは異なり、アフリカ北西部地域集団は他地域から遺伝的影響を受け、その遺伝的構成は変容していきました。

 さらに本論文は、後期新石器時代以降にも、アフリカ北西部はイベリア半島などヨーロッパからの人類集団の流入による遺伝的影響を受けたのではないか、と推測しています。IAM遺跡やKEB遺跡では、後期新石器時代よりも新しい層で鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)陶器が発見されており、イベリア半島などヨーロッパとの交流が窺えます。もちろん、本論文の見解はあくまでも2遺跡の事例に基づいているので、今後アフリカ北西部で古代ゲノム解析が進めば、この地域の人類集団の遺伝的構成の変容について、また違った様相が見えてくるかもしれません。


参考文献:
Fregel R. et al.(2018): Ancient genomes from North Africa evidence prehistoric migrations to the Maghreb from both the Levant and Europe. PNAS, 115, 26, 6774–6779.
https://doi.org/10.1073/pnas.1800851115

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