日本列島にはいつから人類が存在したのか

 2000年11月に発覚した旧石器捏造事件(関連記事)の影響もあり、現在では、日本列島における人類の痕跡は4万年以上前までさかのぼる、と想定する見解はとても主流とは言えないようです。日本列島において遺跡が急増するのは4万年前頃で(関連記事)、その担い手として現生人類(Homo sapiens)のみを想定するのが一般的な見解だと思います。しかし、石器技術の比較から、15000年前頃まで日本列島には現生人類ではない系統の人類が存在した、との見解も提示されています(関連記事)。その可能性はきわめて低い、と私は考えていますが。

 日本列島における4万年前頃よりも前の人類の痕跡も主張されていますが、現時点では、広く認められているとはとても言えないでしょう。近年では、12万年前頃とされる島根県出雲市の砂原遺跡で発見された石器が注目されていますが、これが本当に石器なのか、疑問視する見解は根強くあります(関連記事)。かりに、砂原遺跡の石器が本物だとしても、開発が進み、更新世の考古学的発掘密度の高い日本列島において、4万年前頃以降にならないと人類の痕跡がほとんど発見されないわけですから、砂原遺跡の石器群を製作した人類集団は絶滅し、現代日本人への遺伝的・文化的影響は皆無と考えるのが妥当なところでしょう。

 かりに12万年前頃の日本列島に人類が存在したとすると、どの系統なのかが問題となります。10年前くらいまでの認識ならば、日本列島に12万年前頃に現生人類が存在したとは想定しにくいのですが、近年では研究の進展により状況は大きく変わってきました。現生人類は20万年前頃までにレヴァントよりも東方まで拡散していた可能性があり(関連記事)、ユーラシア東部には12万~8万年前頃までに到達していた可能性も指摘されています(関連記事)。これは華南の事例で、現生人類との断定は時期尚早だと思いますが、12万年前頃に華南にまで現生人類が拡散していた可能性は低くないでしょう。そうだとすると、現生人類が12万年前頃に日本列島に到達していたとしても不思議ではないと思います。

 一方、同じ頃に華北には現生人類ではなさそうな人類集団が存在しており(関連記事)、そのような人類集団がユーラシア東部から日本列島へと渡海するか、あるいは日本列島とユーラシア東部が陸続きになるような寒冷期に生存して日本列島へと陸路で到達できるのか、疑問は残りますが、現生人類ではない系統の人類集団がかつて日本列島に存在した可能性は、無視してよいほど低いものではないと思います。また、125000~105000年前頃となる華北の別の人類遺骸からは、現生人類と他系統の人類との交雑も想定されます(関連記事)。いずれにしても、上述したように、12万年前頃の日本列島に人類集団が存在したとしても、現代日本人というか、4万年前頃以降の日本列島の住民への遺伝的・文化的影響は皆無(に近い)でしょう。

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