兵頭裕己『後醍醐天皇』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店から2018年4月に刊行されました。本書は、同時代から現代まで評価の分かれる後醍醐天皇について、それらの評価を踏まえて統一的に理解しようとしています。本書は後醍醐の伝記というだけではなく、後醍醐とその治世がどのように評価されてきたのか、その評価が後世にいかなる政治思想的影響を及ぼしたのか、という観点を強く打ち出しています。中世のみならず、近世・近現代をも視野に入れた、射程の長い後醍醐論と言えるでしょう。

 後醍醐はそもそも一代限りの「中継ぎ」だった、との見解は一般層にも広く浸透しているのではないか、と思います。本書は、後醍醐が当時日本の知識層(当時は支配層と大きく重なるわけですが)にも浸透しつつあった宋学の影響を強く受け、宋のような中央集権体制(皇帝専制政治)を目指した、と強調しています。後醍醐の「新政」で目指されたのは一君万民的な天皇「親政」で、君と民の間の臣は理念的には排除されるべきものでした。

 それが、後醍醐の家格・前例を無視した人事となります。これは、後醍醐が一代限りの「中継ぎ」とされたことにも起因しているのでしょう。後醍醐は、家柄により官位とそれに基づく利権が決まっているような体制を「破壊」していき、それが同時代と後世の公家社会における後醍醐の悪評を決定づけました。このような知識層たる公家社会における悪評は、後世の後醍醐認識にも影響を及ぼしました。また、後醍醐の家格・先例無視の政治が失敗した要因として、唐代までの貴族層が没落し、知識層(士大夫層)が官僚予備軍として広範に存在した宋とは異なり、当時の日本にはそうした広範な知識層が存在しなかった、ということが指摘されています。

 しかし、後醍醐の「新政」は失敗に終わったものの、それは身分制社会にたいするアンチテーゼとして「王政」への幻想を醸成し、近世・近代に大きな影響を及ぼした、と本書は指摘します。後世の後醍醐評価と関連して興味深いのは、南朝正統論を打ち出したとしてその画期性が言われる『大日本史』の当初の意図は、後期水戸学的な意味での「勤王」ではなく、徳川が南朝に仕えた新田の後裔を称したことから、南朝を正統とすることにより徳川幕藩体制を正当化することにあった、との見解です。

 本書は、後醍醐の家格・先例無視の政治を当時の公家社会の常識から外れた異端的なものと評価しつつも、「異形の王権」との評価には行きすぎがあった、と指摘しています。これと関連して本書は、文観を「妖僧」ではなく、当時としては常識的な高僧だった、と評価しています。なお、正中の変に関しては、後醍醐にはその時点では討幕の意思がなく、後醍醐を退位に追い込もうとするための謀略だった、との見解も提示されており(関連記事)、『陰謀の日本中世史』でも肯定的に取り上げられていたのですが(関連記事)、本書では言及されていませんでした。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック