原田隆之『サイコパスの真実』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2018年4月に刊行されました。サイコパス関連の一般向け書籍は少なくないでしょうし、中には大きな話題になったものもあります。しかし、どうも胡散臭そうだったこともあり、これまでサイコパス関連の一般向け書籍を読んだことはありませんでした。しかし本書は、少し読んでみてなかなか面白そうだったので、購入して読みました。期待通り本書は当たりで、長くサイコパス関連の入門書として読まれていくのではないか、と思います。まあ、私はこの問題の門外漢なので、専門家の評価はまた違うのかもしれませんが。

 本書は、高知能で冷酷な凶悪犯などといったサイコパスの通俗的な印象を訂正していきます。もちろん、サイコパスの中に高知能で冷酷な凶悪犯もいますが、それは例外的で、社会全体でサイコパスは1~3%程度存在する、と推定されていいます。本書は、サイコパスとはそれぞれ程度の異なる複数の特徴から成る多様な存在である、と強調しています。サイコパスが必ず犯罪者になるわけではなく、「成功者」もいれば、社会でそれなりに溶け込んでいる「マイルド」なタイプもいる、というわけです。

 サイコパスの特徴は色々とあり、本書では、対人・感情・生活様式・反社会性の4因子から説明されていますが(ただ、本書で指摘されているように、異なる区分もあります)、中心的なものは、良心と共感の欠如です。また、不安感・恐怖の欠如も重要な特徴です。本書はサイコパスが生まれる要因として、生得的なものと環境的なものとの相互作用を挙げていますが、これまでの研究からは、生得的なものが主因である可能性が高いそうです。サイコパスへの対処は難しく、現時点では決定的な解決策はないようです。本書は、サイコパスの中心的特徴は良心と共感の欠如なので、それを踏まえていない犯罪矯正計画ではかえってサイコパスの再犯率を上げかねず、専門家の間でさえ認識の甘さが見られる、と指摘しています。

 サイコパスがなぜずっと存在し続けているのか、という問題も本書は取り上げており、人類進化史に関心のある私も興味深く読み進められました。不安感・恐怖の欠如したサイコパスは、混乱した状況や、命のかかった手術や、大きな大会などで、冷静に実力を発揮できます。現代では、たとえば医師・指導者・運動選手などは、サイコパスだと優れた業績を残せる可能性があります。また、不安感・恐怖の欠如は、勇気がある、との評価につながりやすいとも言えます。こうした理由から、サイコパスは人類史において淘汰されず、今後も存在し続けるのでしょう。

 良心・共感の欠如したサイコパスは、認知能力に関してはサイコパスではない人々と変わらないので(つまり、認知能力には個体差があり、様々ということです)、規範(法律)や他者への共感が社会で果たす重要な役割を理解でき、そのように装うことができます。生得的に他者に共感できる利他的な傾向の強い人々の多い社会において、能力と環境(運)に恵まれたサイコパスはフリーライダーとして政治権力・経済力・繁殖などの点できわめて大きな利益を得ることが可能なので、狩猟採集社会よりもずっと大規模な社会においては、サイコパスを淘汰することがより難しくなっている、と言えるかもしれません。

 ただ、「有能な」サイコパスが大きな利益を得られるというか、高い適応度となるのは、あくまでも利他的な傾向の強い人々の多い社会においてであり、サイコパスが多数派となれば、少なくとも今のような社会は崩壊し、「有能な」サイコパスが現在得られるような大きな利益を得るのは困難でしょう。確かに、「有能な」サイコパスの適応度は現代社会においては高そうですが、それはあくまでもサイコパス、とくにその中でも「有能な」人の割合がきわめて低いからで、このように特性・形質の頻度に適応度が依存していることは、進化史において珍しくない、と言えるでしょう。


参考文献:
原田隆之(2018) 『サイコパスの真実』(筑摩書房)

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