ルソン島における70万年前頃の人類の痕跡(追記有)

 フィリピンのルソン島における70万年前頃の人類の痕跡に関する研究(Ingicco et al., 2018)が報道されました。解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。これまで、フィリピンにおける最古の人類の痕跡は、ルソン島のカヤオ洞窟(Callao Cave)で発見された人類の足の骨で、年代は67000年前頃と推定されています。このホモ属の足の骨は、現生人類(Homo sapiens)との類似性も指摘されているものの、種区分は確定していません。また、この足の骨に関しては、小人症の可能性が指摘されています。

 1950年代以降、更新世の寒冷期でもスンダランドと陸続きにならなかった、フローレス島やスラウェシ島やルソン島など東南アジア島嶼部において石器や大型動物遺骸が発見され、現生人類ではない系統のホモ属、たとえばエレクトス(Homo erectus)が中期更新世に東南アジア島嶼部にまで拡散したかもしれない、との見解も提示されていました。しかし、よく記録された層序学的文脈や信頼性の高い年代測定結果が欠如していたので、そうした現生人類よりも前のホモ属による東南アジア島嶼部への拡散は懐疑的に見られていました。しかし、フローレス島での中期更新世にまでさかのぼる現生人類ではない系統の人類遺骸(Homo floresiensis)の発見により(関連記事)、東南アジア島嶼部に広義のエレクトスやその子孫が拡散していた可能性は高くなりました。スラウェシ島でも、10万年以上前の石器群が発見されており、その製作者が現生人類ではない可能性も指摘されています(関連記事)。

 本論文は、ルソン島北部のガヤン盆地(Cagayan Valley)のカリンガ(Kalinga)州の遺跡で2014年以降に発見された、動物遺骸や石器について報告しています。この遺跡では、57個の石器とともに、サイ(Rhinoceros philippinensis)・ステゴドン・シカ・淡水のカメ・オオトカゲなどの動物遺骸が発見されました。注目されるのは、骨格の75%が回収されたサイには、肋骨・足の骨への解体痕(cut marks)や腕の骨を破壊するような打撃痕(percussion marks)といった屠殺の痕跡が確認されたことです。最も注目されるのは、歯のエナメル質と河川の石英に適用した電子スピン共鳴法により、年代が777000~631000年前頃(709000年前頃)と推定されていることです。本論文は、アルゴン- アルゴン法・ウラン系列法・古地磁気学も組み合わせて年代を推定しました。

 709000年前頃という年代は、じゅうらいのフィリピン最古の人類の痕跡よりもずっとさかのぼることになります。ルソン島は第四紀において東南アジア大陸部とは陸続きではなかったので、70万年前頃の人類は渡海したことになります。しかし、どこからどのように当時の人類がルソン島に渡ったのか、不明です。この研究では、当時の人類がすでに航海技術を有していたか、台風などによる流木に捕まっての偶発的に漂着したのではないか、と推測しています。このルソン島の70万年前頃の人類がどの系統なのか、人類遺骸が発見されていないので不明ですが、ホモ属、おそらくは広義のエレクトスである可能性が高そうです。

 本論文は、こうした渡海が前期~中期更新世にかけて何度か起き、ワラセア(フローレス島なども含まれる、東南アジアとオーストラリアの間に挟まれた生物地理学的区分)への(現生人類ではない系統の)人類の拡散にさいして、フィリピンが中心的役割を果たした可能性を想定しています。エレクトスによる航海の可能性もすでに指摘されており(関連記事)、さすがにその可能性は低いかな、と私は考えていました。しかし、更新世の寒冷期にも東南アジア大陸部と陸続きにならなかった東南アジア島嶼部における、中期更新世以前の人類の渡海例が今後も増加する可能性は低くないようにも思われますから、現生人類ではない系統の人類が何らかの航海技術を有していた可能性は、無視してよいほど低いものではないようにも思います。もちろん、漂着の可能性の方が高そうではありますが。

 カヤオ洞窟の人類遺骸には小型化の可能性が指摘されており、フローレス島の中期更新世人類は島嶼化により小型化したと推測されていますから、ルソン島でも島嶼化により人類の小型化が進んだ可能性は考えられます。ただ、カリンガ州の遺跡には石器と屠殺の痕跡があっても人類遺骸はなく、カヤオ洞窟には人類遺骸と屠殺の痕跡はあっても石器は共伴していないことから、両遺跡の比較は容易ではない、とも指摘されています。また、人類も含むルソン島の70万年前頃の動物がどのようにルソン島に渡ったのか、という問題の解明については、中国やインドネシアの同年代の動物相との比較が役立つのではないか、とも指摘されています。東南アジア島嶼部の現生人類到達よりも前の人類の痕跡に関する研究は、今後大いに進展するのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ingicco T. et al.(2018): Earliest known hominin activity in the Philippines by 709 thousand years ago. Nature, 557, 7704, 233–237.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0072-8


追記(2018年5月7日)
 以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



【考古学】解体されたサイの化石から初期人類がフィリピンでもっと昔から生活していたことが明らかに

 初期人類がフィリピンで生活していたのは、今から70万9000年前までさかのぼる可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。石器で解体された痕跡のあるサイの骨の化石が、ヒト族の活動を示す証拠となった。

 更新世に生息していた可能性の高い大型動物の化石と石器が、1950年代にフィリピンのルソン島で別々に発見され、この島に初期人類が定住したのは更新世中期(78万1000~12万6000年前)であった可能性が示唆されている。ところが、このことを裏付ける確実に年代決定された証拠は見つかっていない。これまでのところ、フィリピンにヒト族が生活していたことを示す具体的な証拠で最も古いものは、シエラマドレ山脈で発見された片方の足骨の化石で、6万7000年前のものと年代決定されていた。

 今回、Thomas Ingiccoたちの研究グループは、ルソン島北部のカガヤンバレー地方の遺跡で、57点の打製石器と共に400点を超える骨の化石が発見され、その中には、1頭のサイの75%完全な化石が含まれていたことを報告している。サイの骨化石のうち13点には切り痕があり、2点には骨髄を取り出すための打撃痕があった。また、Ingiccoたちは、フィリピンジカ、オオトカゲ類、淡水カメ、およびステゴドン(ゾウやマンモスに似た絶滅した動物属)の化石も発掘し、約70万9000年前のものと年代決定した。

 これらの石器の持ち主の正確な種は分かっていないが、今回の研究によって得られた知見は、東南アジアの隣接する2つの島(フローレス島とスラウェシ島)の場合と同様に、初期人類が、現生人類の到来のはるか前の中期更新世の初期にフィリピンに到達したことを示唆している。加えて、今回の研究結果は、道具作りをした初期ヒト族が単純な構造の船を作るという意外な能力を持っていたか否か、という論争に一石を投じるものとなった。



追記(2018年5月10日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



進化学:70万9000年前以前にさかのぼるフィリピンの既知で最古のヒト族活動記録

進化学:フィリピンにおけるヒト族の最古の証拠

 フィリピンでの古代ヒト族の活動は数十年来ささやかれてきたが、これまで、確実な年代測定が行われた唯一の証拠は6万7000年前の足の骨1つのみだった。今回、ルソン島北部で行われた発掘調査で、解体の痕跡が認められるサイ類の骨格と、それに関連する石器が多数発見され、それらの確実な年代が約70万年前と推定された。今回の知見は、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)が出現するはるか以前にホモ・エレクトス(Homo erectus)などの古代ヒト族がフィリピンまで到達していたか、もしくはさらに古い先住的ヒト族が島嶼部東南アジアに存在したことを示唆している。

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