ジャワ島のエレクトスをめぐる研究動向(2)

 ジャワ島は、更新世の寒冷期にはスマトラ島やボルネオ島などと共にユーラシア大陸南東部と陸続きで、スンダランドを形成していました。ジャワ島では、現生人類(Homo sapiens)ではない、前期~中期更新世のホモ属化石が発見されており、エレクトス(Homo erectus)と分類されています。4年近く前(2014年7月)に、ジャワ島のエレクトスをめぐる研究動向についてまとめましたが(関連記事)、それから4年近く経過したので、その後に当ブログで取り上げたジャワ島のエレクトス関連の記事をまとめます。なお、前回のまとめ以前に公表されており、その後に当ブログで取り上げた研究にも言及することにします。ジャワ島のエレクトスをはじめとして東・東南アジアの現生人類ではないホモ属については、昨年公表された研究にてよくまとめられています(関連記事)。一般向け書籍では、昨年刊行された『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』が、東南アジアのエレクトスについて詳しく解説しており(関連記事)、たいへん有益だと思います。

 前回のまとめ以降に当ブログで取り上げた研究で重要なのは、ジャワ島の末期エレクトスの年代の修正です(関連記事)。以前は、ジャワ島の末期エレクトスの年代は50000~35000年前頃と推定されていました。これは、現生人類がオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはタスマニア島・ニューギニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)に定着した時期と一部重なっており、東南アジアで現生人類とエレクトスの接触があった可能性は高いと言えそうです。しかし、その後、ジャワ島の末期エレクトスの年代は下限が143000年前頃で、それよりもさかのぼりそうだと修正されました。ジャワ島では後期更新世にはエレクトスは存在していなかったのではないか、というわけです。そうだとすると、現生人類とエレクトスが東南アジアで接触した可能性は低そうです。ただ、ジャワ島で後期更新世のエレクトスの存在が今後確認される可能性は、無視してよいほど低いものではない、とも思います。

 ジャワ島のエレクトスの系統関係についても見直されつつあります。現生人類ではないホモ属化石では、ジャワ島の前期~中期更新世の化石も、東アジア北部となる中国の周口店(Zhoukoudian)の中期更新世の化石も、エレクトスと区分されてきました。しかし、ジャワ島の150万年前頃のホモ属化石は、周口店の中期更新世のホモ属化石よりも、アフリカやジョージア(グルジア)の前期更新世のホモ属化石の方と類似している、との見解も提示されています(関連記事)。これは、アフリカから東南アジアまで拡散してきた初期ホモ属が、東南アジア(ジャワ島)系統と東アジア北部(周口店)系統とに分岐した、とも考えられます。しかし、東南アジアにエレクトスが定着した後に、アフリカから別系統のホモ属が東アジアに拡散してきた、とも考えられます。人類が現生人類のみとなる前の東・東南アジアには、多様な系統のホモ属が存在した可能性もじゅうぶん想定されます。この問題に関しては、上述した研究(関連記事)や一般向け書籍(関連記事)で詳しく解説されています。

 エレクトスの認知能力についても、一部?で見直しの傾向が見られます。航海を行なった人類は現生人類のみとされています。しかし、現生人類ではない人類が渡海した事例は確認されています。インドネシア領フローレス島では、100万年以上前の石器や70万年前頃の人類遺骸が発見されています(関連記事)。フローレス島の現生人類ではないホモ属の起源については論争が続いていますが、スンダランドのエレクトスから派生した可能性が高い、と私は考えています。そうだとすると、エレクトスがフローレス島へと渡海したことになります。もちろん、渡海は航海とは限らず、台風などによる暴風雨や地震による津波により流木に捕まって漂着した可能性も考えられます。と言いますか、その可能性の方が高い、と一般には考えられているでしょう。

 しかし、エレクトスが遠洋航海を行なっていた、との見解も提示されています(関連記事)。フローレス島だけではなく、ルソン島でも70万年前頃の人類の痕跡が確認されていますから(関連記事)、現生人類ではない系統の人類による渡海事例は、きょくたんに珍しいわけでもなかったようです。ただ、上述したように、渡海は航海とは限りません。しかし、フローレス島とルソン島の事例はエレクトスによる渡海の可能性が高く、スラウェシ島でもエレクトスによる渡海の可能性がじゅうぶん想定されます(関連記事)。現時点でこれだけ証拠があるわけですから、エレクトスによる航海の可能性は、少なくとも無視してよいほど低いわけではないと思います。

 エレクトスが用いていた石器と、それにより利用可能な材料で遠洋航海に耐えられる舟を作ることは可能ですが、だからといってそれがエレクトスによる航海の直接的証拠になるわけではありません。舟を作ることなど、航海には一定以上の認知能力が必要です。エレクトスにどれだけの認知能力があったのか、直接的証拠は石器を除けばほとんどありませんが、注目されるのは、ジャワ島のトリニール(Trinil)遺跡で発見された54万~43万年前頃の淡水貝に幾何学模様の線刻が見られることで(関連記事)、これはエレクトスの所産である可能性が高そうです。そうだとすると、ジャワ島のエレクトスにも一定以上の認知能力があった可能性は高そうで、エレクトスによる航海を荒唐無稽と退けることはできないと思います。エレクトスの認知能力や航海については、今後の研究の進展が大いに期待されます。

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