各省庁のシステムは西暦で統一へ

 日本政府はシステム連携を西暦で統一していくよう指示した、と報道されました。来年(2019年)5月1日に現在の皇太子が即位し、改元となることに備えて、システムやカレンダーなどでの対応が懸念されています。すでに、各省庁が管理する個別の行政システムは、年月日を西暦で管理している例が多い、とのことです。私は天皇制にはどうも否定的になってしまうところがあり、元号の使用にもかなりうんざりしています。これは、多感な十代半ばに、昭和天皇が入院してから崩御までの期間の「自粛」を経験したことに起因します。当時、昭和天皇が闘病中だからと「自粛」を強要する風潮に、内心では激しく反発したものでした。私は「リベラル」にはとてもなれないと自覚していますが、天皇制関連では保守にも反「リベラル」にも徹することができず、何とも中途半端な存在です。しかし、大半の人はそうした中途半端な存在ではないか、と開き直っています。

 それはともかく、度々変更される(現在では一世一元なので、天皇の代替わりごと)元号の不便性は明らかで、私は昔から、西暦に統一してもらいたいと考えていましたし、じっさいに自分はできるだけ西暦を使うようにしています。しかし、現在の西暦とはグレゴリオ暦のことであり、正直なところ、子供の頃からキリスト教への根強い反感を抱き続けてきた私にとって、西暦を使うのはたいへん不愉快です。ただ、利便性・通用性を考えると、事実上西暦を使うしかないかな、と諦めています。また、最近では、現代日本社会にとって、もはや保守すべきものは「西洋近代」であり、元号は保守に値するものではない、との考えからも元号の使用にいっそう否定的になりました。

 現実問題として、元号は天皇制と密接に関わっており、天皇制の廃止とまではいかず、元号だけの廃止でもかなりの反発があるだろう、と容易に予想されます。その意味で、元号の廃止は「現実的」ではないかもしれません。もっとも、「現実主義者」はしばしば「現実追認主義者」なので、安易に「現実主義者」になるべきではない、とも思いますが。それはさておき、言語の廃止が「現実的」ではないとしたら、公文書は原則として西暦とし、私文書も西暦の使用が推進されて定着し、元号は公的には使われ続けるものの、実使用としては現在の六曜程度の頻度・重要性となるのが、私にとっては理想的です。まあこれも、まだとても「現実的」とは言えないかもしれませんが。

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  • 次の元号は令和

    Excerpt: 次の元号は令和と発表されました。出典は『万葉集』巻五とのことで、私の所有している岩波文庫版第91刷『新訂 新訓万葉集』上巻(岩波書店、1997年)でも典拠を確認しました(P217)。次の元号への想いは.. Weblog: 雑記帳 racked: 2019-04-01 14:11